Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

あした、天気にしておくれ

いつものように、店の扉を開ける。いつものようにカウンターに目を遣る。あ、なんだ。残念。彼はいなかった。
 「あ。姉さん、いらっしゃーい」
カウンターの中からバイトのヒロコちゃんが声を掛けてくれる。彼が私を姉さんと呼ぶものだから、ヒロコちゃんもママも私のことを姉さんと呼ぶ。確かに、ヒロコちゃんに姉さんと呼ばれるのは互いの歳からして仕方ないけど、五十歳過ぎてるだろうママに姉さんて呼ばれるのもね。

私はいつものように、カウンターの一番左端から二番目のスツールに腰を下ろす。一番左端は彼の指定席だ。ヒロコちゃんがテキーラのボトル、そして氷の入ったロックグラスを運んでくれる。
「…ねえ、彼、今日来るかなあ?」
「んー。どうかなあ。あ、でも昨日来た時に『最近、姉さん来てねえな』って言ってたから、今日は来るかもしれませんよ」
私は嬉しくなって、テキーラを飲む。彼が私のことを気に懸けてくれたことが、なんだか少し嬉しい。いい歳して、変かな私?

「あー、でも姉さんからも言ってあげて下さいよー。最近、飲む量半端じゃないんだから、兄貴ったら」
「彼の飲む量が半端じゃないのは、今に始まったことじゃないでしょ」
私は笑いながら言う。ヒロコちゃんは眉を顰めて「そうなんですよねえ…」と呟く。なんだか可笑しい。出来の悪い兄貴を心配する、優等生の妹みたいだ。

「ねえ。一つ訊いてもいいかな」
「なんですか」
屈託のない表情でヒロコちゃんは応える。
「なんで、彼のこと兄貴って呼ぶの? 実は血が繋がってる、とか」
「あははは。姉さん、あり得ないですよー。あんな酒飲みの兄がいたら、やだなー、ワタシ」
それもそうかもね。おまけに飲兵衛姉さんの私、か。最悪の兄姉だよね、ヒロコちゃんからしたら。

「あのね…一年くらい前の話なんだけど、私凄い失恋して、ここの近くの居酒屋で自棄酒してたんです」
「あれ? ヒロコちゃんお酒苦手じゃなかった」
「うん。だから、自棄酒なの。普段苦手なお酒でも飲んで、失恋の憂さを晴らそうって、感じで。判ります、この気持ち?」
私は頷く。勿論判るよ。私だって彼と出逢ったのは、正しく失恋した夜のことだったんだから。
「そしたらね、丁度横に兄貴が座ってたの。酔って、彼に絡んでたんですよ」
「なんか、今のヒロコちゃんからは想像つかないなあ」
「でしょー。へへへ。何話したか全然憶えてないんだけど。そしたらね、兄貴が『いい店連れて行ってやるから、一緒に来い』って」
「へえ。随分強引…」
「後で聞いたら、だいぶ酔ってたから、このままだと危ないって思ったらしいです」

ヒロコちゃんは苦笑しながら話を続ける。
「でね。連れて来られたのがこの店」
「えー。そうなんだあ」
ヒロコちゃんは頷きながら、私のグラスにテキーラを注ぐ。ボトルが空になる。ヒロコちゃんは黙って新しいボトルの栓を開ける。
「兄貴、ワタシの話延々聞いてくれて。黙ってテキーラ飲みながら、煙草吹かして…」
なんだか、私の時に似ているなあ。

「それでね。兄貴が言ったの。『今は辛くてもさ、いつか笑える日がくるよ、きっと』って。それで慰められたなあ、ワタシ」
私は吹き出しそうになった。私が失恋した時にも同じこと言ってたじゃない、彼。まったく、もう。彼の女を口説く手口はワンパターンなのかも。って、ヒロコちゃんも私も口説かれてないけど、よく考えたら。うん、口説かれてはいないよなあ…
でも、そうなんだよね。今は辛くても、きっといつか笑える日が来る。それは間違いない。

    夢に破れて あてにはずれて
    泣いてばかりじゃ いやになります
    雨が好きです 雨が好きです
    あした天気になれ

ヒロコちゃんが口ずさむ。中島みゆきの「あした天気になれ」だ。
「これ、兄貴がワタシに歌ってくれたんです。『今日は雨かもしれねえけど、明日は晴れると信じよう。今日は泣きたくなるような日かもしれねえけど、明日は笑える日になると信じよう』…って、言ってくれて」

私はヒロコちゃんに言う。
「彼って基本的に気障だよね」
「うんうん、ですよね。でもね、私がここで働き出してから、毎日のように顔を見せてくれて」
「あらまあ。彼、随分優しいんだ。ヒロコちゃん、大事にされてんだね」
「姉さん、茶化さないで下さいよ。やだなあ。ワタシがね、そんなに心配しなくても大丈夫ですよって言ったら、『なんか妹を見守ってるみたいで心配なんだ』って」
「あー。やっぱり気障だ、彼。あ、だから、そこから『兄貴』なの?」
「そそ。いつでもワタシを見守ってくれてる感じかなぁ……」
私は少しばっかり、ヒロコちゃんに嫉妬する。でもまあ、これは兄貴と妹だもんね。しょうがないか。

店の扉が開けられた。振り向くと、そこには髪を、ジャケットを濡らした彼がいた。
「お。なんだ姉さん。もう来てたのか」
言いながら、彼はカウンターの一番左端に座る。ヒロコちゃんが慌ててタオルを彼に渡す。
「参ったよ、急に降られてさ。ついてねえな」
彼はいつものように右手をひらひらさせる。

「何言ってんのよ。私に会えたんだから、今夜はついてるでしょ」
「あははは。しょってんなあ。って、俺のボトル空けやがったな!?」
「いいじゃないの。そんな小さいこと、気にしない、気にしない。…ねえ、それより明日は晴れるかな」
「さあな。俺に判る訳ねえだろ。でも明日天気になれ、そう祈ってればきっと晴れるんじゃねえか」
気障だねえ、貴方。やっぱり。
私はヒロコちゃんと顔を見合わせて笑った。彼は一人、不思議そうな顔をしている。相変わらず、右手をひらひらさせながら。

***

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