Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

女ロッカーも濡れる街角

人を好きになるのに理由は要らない。これは真理だけれども、そういった場面に遭遇することはあまりない。これは人の体験なんだけれども、それを実感した出来事を思い出したので、記しておきたい。

随分と昔の話だ。
30代半ばの頃に、女性ボーカリスト兼ギタリスト、男性ドラマー、俺の3人でバンドを組んでライブに出たことがあった。その話はこちら。シェリル・クロウのカバーバンドをやった時の思い出話 - Some Were Born To Sing The Blues(この話を読まなくても今日の話は伝わるように書くつもりだが、読んで貰ったほうが背景は判りやすくなるかと)

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奈緒ちゃん(ボーカル兼ギター)、圭司くん(ドラム)、俺(ベース)でライブをやって2年ちょっとぐらいが過ぎた頃。俺は長期出張で奈緒ちゃんの住んでいる街の近くへ出向くことになった。こんなことでもないと、元バンド仲間と直接話をする機会は中々作れない。
「仕事で***に行くんだけど、良かったら会って酒でも飲まない?」俺はメールを送った。奈緒ちゃんとはライブが終わった後も時々メールのやり取りはしていたが、ライブ以後は一切会っていなかった。互いに離れた場所に暮らしていたし、会う理由がなかった。
奈緒ちゃんから速攻でOKの返事が来る。

2人で駅前の居酒屋に入り乾杯する。俺は仕事の関係で3ヶ月程度、この街に滞在することを告げた。すると奈緒ちゃんは「じゃあ、当分は時々飲めるねー」と嬉しいことを言ってくれた。
話は当然、ライブやスタジオ練習の時の思い出話が中心となる。メールで知ってはいたが、奈緒ちゃんから圭司君とは既に別れていたことを告げられる。元々、恋人同士の2人で組んでいたところに俺が参加した形のバンドだった。俺は奈緒ちゃんの事が大好きだったが、圭司くんも同じくらいに好きだった。
正直、2人が一緒になってくれればいいなと心の中で思っていたが、それを口に出すことはなかった。それを俺が言うのは内政干渉だ。奈緒ちゃんは彼と別れた顛末を語ってくれた。

「新しいバンドに入ったらね、そこのベースの博志って人に口説かれちゃったの」
「その時はまだ圭司くんと付き合ってたんでしょ」
「うん。でもその頃は圭司とは上手く行ってなかったから、なんか流されちゃったのかなー。気づくと博志と付き合い始めて。それで圭司にはさよならを言った」
奈緒ちゃんはあっさりと言った。あっさりとはしていたが、きっと葛藤や苦悩があったのは想像に難くない。人は別れを告げられるのも辛いが、別れを告げるのも同じくらい辛い。
「でも、やっぱり悪いことした報いなのかな。最近、博志とも上手くいってない。博志、別に好きな人が出来たみたいなの」
奈緒ちゃんは泣きべそをかいたような表情を浮かべた。付き合っている男がいるのに、他の男に口説かれてそちらになびく。そうしたら口説いてきた男は別の女に惚れる。
果たして誰が悪いのか。悪人は誰なのか。俺に言わせれば誰も悪くない。人を好きになる、嫌いになる。これらは人の心の部分だ。心のコントロールなんて誰にも出来やしない。付き合っている人がいるのに、他の人を好きになるのは珍しい話でもないし、非難される事でもない。
心は制御出来ないのだ。だから面白くもあり、難しくもあるのだけれど。

それから、俺の出張中は互いに会いやすかった事もあり、奈緒ちゃんとは週に1回くらいのペースで飲んでいた。
「博志に振られちゃったよー」奈緒ちゃんはサバサバした表情で言った。そうかと俺は返した。こういった時に気の利いた言葉なんて世の中には存在しない。俺は奈緒ちゃんの頭を軽く撫でた。奈緒ちゃんは俺の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
奈緒ちゃんが顔を上げた時、俺のシャツの胸の辺りに、奈緒ちゃんの涙と溶け落ちた化粧の染みが出来た。
「ゴメンね。シャツ汚れちゃった…」
大丈夫、そう言って俺は笑った。化粧の落ちかけた顔で奈緒ちゃんも笑った。今は辛いかもしれないけれど、いつか自然に笑えるようになる。

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それから何週間か過ぎ、俺は奈緒ちゃんに招待されて、彼女のバンドのライブを観に行った。
彼らのライブはオリジナルを中心としたポップ寄りのロックだった。そのバンドは奈緒ちゃん以外にもう1人ギターがいた。ツインギター編成だ。背が高く髪が長い。へぇ、イケメンギタリストだな、俺は思った。
俺はツインリード(2人のギタリストがどちらもソロを取る)かと思ったが、イケメンはサイドギター専門だった。ソロは一切弾かない。ソロは奈緒ちゃんの独壇場だ。奈緒ちゃんがソロを弾くバックで、曲を盛り上げる役目に徹していた。2人が背中を合わせてギターを弾く姿は様になっていた。

数日後にまた2人で飲んだ時、奈緒ちゃんにライブの感想を求められた。
「ツインギター編成のアレンジ、格好良かったよ。あのイケメンの彼はリードやらないんだ?」
「うん。私がバンドに入って最初のセッションやった時に、ソロは任せるって言われたの」
「へぇ。職人肌なんだな」
「彼ね、ジョーちゃんて言うの」
俺は思うところがあった。奈緒ちゃんに言った。
「奈緒ちゃん、もしかしてそのジョー君のこと好きなんじゃないの?」
奈緒ちゃんは、えへへと笑った。判りやすい子だな。彼女が話したそうにしていたので、「彼の何が良かったの?」と尋ねる。奈緒ちゃんは尋ねて欲しそうな顔をしていた。
前に一緒に酒を飲んだ時、奈緒ちゃんは恋愛に関して俺に色々語ってくれていたのだ。
付き合う相手には2つの譲れない条件がある。1つはバンドマンであること。もう1つは自分よりも楽器が上手いこと。ジョー君のギターは客観的に見て、奈緒ちゃんのギターよりも上手いとは思えなかった。だが楽器演奏の上手下手は、最重要事項ではない。
「ライブ前に地震あったでしょ。あの時ね、ジョーちゃんがメールくれたの。地震大丈夫だった? って」

俺は納得した。あのイケメンギタリストは確かに優しそうな雰囲気を持っていた。彼から「地震大丈夫だった?」なんて訊かれたら、大抵の女性は一発で心を持っていかれるだろう。
「そのメールにやられちゃった?」
「ん。それまではジョーちゃんのこと、ただのイケメンだと思ってただけ。私、イケメンに興味ないしさ。ギターだって私のほうが上だとちょっと偉そうに思ってたくらいだし」
ま、ギターの腕前に関しては事実だな。俺は頷く。
「でもね、一度意識しちゃったら、なんか全てが良く見えてきちゃうの。私がソロ弾いてる時のジョーちゃんのギターも凄く良いの。私を引き立てるように弾いてくれてるし」
「そーだな。ライブの時は俺もそれ感じたなー。彼、奈緒ちゃんを盛り立てるようにギター弾いてるなぁって」
「でしょー」
ごめん奈緒ちゃん。これは嘘だ。俺は彼のギターがそこまで気配りしていたかどうか、よく判ってなかった。
「メール貰ってから、もうずっと彼のこと意識しちゃって」
ああ、これを恋と言わずして、何を恋と言うのか。奈緒ちゃんは恋する乙女になっていた。

「で、もう付き合ってるの?」
奈緒ちゃんは顔を赤くして、顔を激しく左右に振った。そんなに激しく振ると脳震盪起こすぞ。
「ジョーちゃん、私が博志と付き合ってたの、知ってるんだよ。そんな簡単に次から次へとはいけないよ」
「でも、好きなんでしょ。彼のこと」
黙って頷く奈緒ちゃん。素直で良いね。うん。俺はなんだか妹の恋愛を応援している兄のような気持ちになっていた。
「好きだったら、そう言えばいい。そんな良い男、ほっておくと他の女に取られちゃうぞ」
「振られたらどーすんの? ジョーちゃんに振られたら、立ち直れない」
俺は言った。「そんときゃ、俺に連絡寄越せ。やけ酒付き合うから」

出張が終わり、俺が東京に戻って暫く経った後、奈緒ちゃんからメールが届いた。内容は書くまでもない。俺が奈緒ちゃんのやけ酒に付き合う必要はなかった。
それからかなりの時間が経ち、奈緒ちゃんから『彼と一緒になります』という連絡が来た。女性ロッカーの心を掴んだのは、格好良いギタープレイじゃなくて、人としての優しさだった。
いや、そうじゃないな。彼のギタープレイに技巧は無かったかもしれないが、優しさと人を酔わせるハートはあったのだ。それは間違いない。