Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

一度上げた生活レベルは簡単に落とせないということ

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一度生活レベルを上げると、下げるのが難しいという話はよく聞く。
確かにそうなのかもしれないと、最近しみじみ思っている。

相方と一緒になって12年。その間に住んだ物件は、東京時代に二軒、札幌で一軒の計三軒。
初めて二人で暮らしたマンションは2DKだった。三階建ての三階角部屋。リビングが南西の方角。部屋の下見、引越しをしたのが2月だったから「陽当たりが良いし、角部屋だ。悪くないんじゃない」と二人で納得した。
そして、夏が来て死ぬ程後悔した。最上階の南西角部屋は、夏の時期はサウナである。仕事が終わって帰宅すると、部屋の中の熱が全然下がっておらず、窓を全開にしても、熱気で淀んだままだった。

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その部屋には四年住んだのかな。契約更新の時、相方が「今の部屋飽きたなー。新しい処に住みたい」と言い出したので、別のマンションに引っ越した。こちらは、14階建ての13階の部屋。相方が「DKが広い部屋がいい」と言い出して、1LDKの部屋にした。
ここは建物や部屋の作りは古かったが、景色が良かった。が、古い建物なので窓ガラスが薄く、冬は窓際が寒い。この部屋は東向きだったから、真夏の灼熱地獄はなかった代わりに、冬の寒さが辛かった。

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帯に短し、襷に長しじゃないけど、なかなか全てがOKって部屋は無いよな。何かを求めると、代わりに別の部分を妥協しなくちゃいけない。

そして札幌へ引っ越した。札幌で部屋の下見をして思ったのだが、やはり東京は家賃が高い。札幌が安いというべきなのか、東京が高いというべきなのか、どちらなんだろう。やっぱり東京が高いんだよな。
札幌は家賃が東京よりも安かったから、相方は「2LDKの部屋に住みたい」とリクエストした。東京で2LDKに住もうと思ったら、それなりの家賃を払わないと無理だ。だが、札幌だと思った以上に安い賃料で住める事が判った。

新築の2LDK。駅から徒歩7分。ベランダから手稲山が見える良い部屋だった。陽当たりはあまり良くなかったけれど、札幌は天気が変わりやすいし、それはマイナスポイントにはならなかった。
何と言っても部屋が広くて綺麗なのが良かった。角部屋ではなかったが、壁が厚かったのか、隣の部屋の物音や話し声が聞こえてくるという事もなかった。住人のマナーが良かったというのもあるかもしれないが。
東京で同じ条件の部屋を借りようとしたら、札幌よりも最低でも5万から6万は多く払わないと無理だろう。

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ただ、それが逆に今は足かせとなっている。相方の東京帰還が現実のものとなってきた。相方と二人で「今度は何処に住もうか。どの程度の部屋で暮らそうか」と相談した時に、相方は「多少駅から遠くても良いから、広い部屋。これは譲れない」と言い出した。
これは間違いなく、札幌の広い部屋で暮らしてしまった弊害だ。2DK→1LDK→2LDKと暮らしてしまったら、今更1LDKや2DKの部屋には住めないということだ。
相方は俺と一緒になる前は、1Kのボロアパートに住んでいたから、着実に部屋のレベルはアップしているのだ。どこかで一度ダウンさせれば良かったのかな。

とは言え、俺も札幌時代のマンションの恩恵は受けた。「電子ピアノが置けて、サックスやギターをスタンドに掛けておける部屋」を手に入れられたからだ。そこで自由にピアノを弾いたり、ギターの練習をすることも出来た。人間、一度そういった良い環境を知ってしまうと元に戻るのは難しい。

勿論、今、俺は仕事があって、相方も働いているから、そういった理想や希望を語り、それを現実のものとする事が出来る。いつかは今みたいな暮らしは出来なくなる。それは間違いない。
将来の来るべき日に備えて、今から贅沢を控えるというのも考え方としてはありだと思う。だが、俺達いつまで生きていられるか、そんな保証はどこにもないのだ。
今、ささやかな贅沢が出来るのだとしたら、それを求めるのは悪いことじゃないだろう。

音楽は自由だからこそ楽しい

最近、昔話ばかり書いている気がするので、たまには音楽の話でも書こう。というか、このblogって何がテーマなのかと自問してみると「俺が書きたい事を、書きたいタイミングで書くblog」となる。
じゃ、別に音楽の事書かなくてもよくね?という意見も出てくるが、ま、それはそれ、これはこれと言うことで(意味不明)。

数日前にバンド(俺の担当はドラム)のグループLINEにベース担当からメッセージが来た。「スタジオどうしましょうか?」みたいな投げかけ。
ギター担当が「うーん。まだ難しいかな?」と返し、そこにボーカルが「自分は病院勤務ですから。ボーカルがマスクして歌う訳にもいかないし。ちょっとまだ様子見かなー」と意見を載せる。
俺もそれに賛同した。俺達のバンドは邦楽ロックの歌物だから、ボーカル抜きだと、練習が殆ど意味をなさない。ここまで辛抱してきた以上、慌てても仕方あるまい。もしこのバンドが存続出来る流れなら、もうちょっと潜行していても、なんとかなるだろう。
ならなかったら、それはこのバンドの寿命がそれまでだったと諦めるだけの話だ。こういったものは抗ってもしょうがないのだ。

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それに俺は今、ピアノの新曲を練習中なのだ。新曲はまだ曲全体の1/3くらいしか弾けていない。一番難しいパートを今やっている最中。ちなみにやっている曲を紹介するのはまだ待って頂きたい。
最後まで弾けるようになったら、その時は厚かましく、下手くそなピアノ演奏の動画をアップするので。迷惑千万な奴である。

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俺がピアノを始めたのは何度も書いているが、札幌へ行ってから。その時にA先生に二年半程習った。とは言っても、札幌時代に弾けたフレーズは今殆ど弾けないけれども(駄目じゃねーか)。
そして東京へ戻って、今年の1月からB先生に習っている。おまけにコロナで途中休会期間があったから、B先生のレッスンはまだトータルで四カ月程度しか受けていない。

ピアノ教室の先生はどちらも、音楽大学の出身。つまりクラシックが専攻だ。勿論、音楽教室は俺みたいに、クラシックとは無縁の生徒もいる。俺がピアノでやりたいのはブルースだ。だが、ブルースをやる前にまずコードを覚えたいという事を先生に伝えてあるので、今はビートルズの曲を使ってコードに慣れようとしている最中だ。
左手でコード、右手でボーカルのメロディラインをなぞるという作業。
歳喰ってから始めたピアノだから、5つ覚えると、すぐに3つは忘れるみたいな、賽の河原に石を積むような作業である。やれやれだ。

レッスンを受けていて思うのが、やはりクラシックの人は譜面に忠実なんだと言うこと。俺なんか、譜面はまともに読めないし、かなりアバウト。小節の中に納まってりゃいいでしょ、くらいの感覚。
「そこは付点四分音符ですよね、ということは?」
「えーと、えーと。1.5伸ばせばいいのかな」
「そうです、そうです」
みたいなやり取りが頻繁にある。俺に言わせりゃ、そんなのどうでもいいじゃねえかと思う。そこを1伸ばそうが、1.5伸ばそうが、2伸ばそうが。小節の結で帳尻が合えばよいだろうみたいな。
あと、俺自身がビートルズの曲のメロディを微妙にオリジナル(譜面)と違って覚えている箇所とかも結構ある。そうなると、俺は譜面通りには弾かない、というか弾けない。それが先生には違和感となるらしい。ま、そりゃそうだろうな。

札幌時代はサックスも習っていたのだが、サックスの先生にもよく言われた。
「あの、そこのフレーズですけど、わざとそう吹いてますか?」
「え? なんで。ここ、こういうフレーズでしょ」
先生に模範演奏して貰うと、確かに俺のフレーズと微妙に違う。俺が間違えて覚えていたからだ。だが、ジャズなんだから、そんな細かい事はどうでもいいじゃねえかと思う。半拍短かろうが、音が一音ずれてようが。だって、ジャズなんだから。自由な音楽なんだから。

今のピアノのB先生にも「譜面通りに弾く事は考えてません。そこは多少違ってても、スルーして下さい」と最初のレッスンの時にお願いしていた。
でもきっとB先生からすると、聴いていて気持ち悪いんだろうなぁと思う。譜面無視して弾いてるんだから。
俺にとって譜面は、せいぜいコードと構成を確認する為のものでしかない。コードはさすがに間違えて弾いたらNGだと思っているけれども、メロディは多少ずれていても、いいじゃんと思っている。
ただ、ビートルズの曲はメロディが流麗だから、音を外すとさすがに俺も弾いていて気持ち良くない。だから、音はずらさないようにしている。長さは弾く度に変わるけれど。

そもそも、普段仕事で抑圧された日々を送っているのだ。音楽くらいは自由にやりたいじゃないか。
音楽まで規則に縛られたら詰まらない。
そうだろう?

本当の贅沢とは

今考えると、かなり贅沢だったのだなと気付く事がいくつかある。
それを思い出したので、今日はその事について書く。

うちの実家は、祖父の代まで農家だった。どこまで本当かは不明だが、明治、大正時代辺りまでは地主だったのだと言う。
確かに、実家の土地はそれなりに広い(400坪ある)。だが、それとて群馬の片田舎の赤城山の麓の土地だ。現代では二束三文である。
お袋が「農地改革で土地を取られて没落した」と言っていた。町内には俺の姓と同じ家が何軒かあるのだが、うちを示す場合は「地主さんとこの**さん」みたいに区別していたらしい。
元地主の割りには、その後随分と底辺な生活を強いられたものだと思うけれど。

俺がガキの頃の話だから、今から40年くらい前になる。親父は農業を継がずにサラリーマンを選択した。親父は若い頃、農家を継ぐのが嫌でサラリーマンを選んだのだ。それでも広い庭で、家庭菜園をいつの間にか始めていた。これも血という奴なのか?

夏の朝食の時は、お袋が菜園からトマトを取ってくる。それをミキサーに掛けて、トマトジュースを作るのだ。ついさっきまで生えていたトマトを使って作るジュースだ。新鮮さで言えば、これ以上のものはどこにもない。

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大きめのグラスにお袋がミキサーからジュースを注ぎ、俺達家族はそれを飲む。家族にとって、トマトジュースは買ってくるものではなくて、作るものという認識だった。大人になってから、スーパーとかでトマトジュースを見た時に、その色合いに俺はかなり驚いたのを覚えている。

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母親の作るトマトジュースは、薄いピンク色だった。市販のそれは真っ赤だ。何故あんなに色が違うのか、今でも不思議でならない。市販のものは、きっと色が濃くなる成分を何か入れているのだろうと思う。
ガキの頃から、そのトマトジュースを飲んでいたのが理由かどうかは不明だけれど、俺はトマトが好物である。トマトジュースも無論好きだ。残念ながら、市販のトマトジュースはそれほど美味しくないけれど(ガキの頃に美味いものを飲み過ぎたのだな)。

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また家庭菜園では茄子も大量に作っていた。どうやら作り過ぎたのか、茄子は簡単に作れるのか知る由もないが、夏場になると食卓に茄子の生姜焼きがやたらに出てくる。酷い時は週に三回くらい、晩飯のおかずが茄子の生姜焼きだ。さすがに飽きる。
お袋に文句を言うと「あるんだからしょうがないでしょ」の答え。子供からすれば、茄子よりも肉のほうが良いのは当然の話。
だが、今考えれば、これほどのご馳走はない。何しろ庭で取れた茄子がその日の晩御飯になるのだから。当時は「茄子飽きたー」とか言っていたが、相当な贅沢であるのは間違いない。
味はもう忘れてしまったが、スーパーで売られている物よりも断然良かったであろう事は想像に難くない。

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また、庭には鶏を放し飼いにしていた。厩舎とかがあるのではない。本当に庭で放し飼い。基本的に餌も与えない。完全放置である。勿論、生ごみとか出ると、それを鶏に与えたりもしていたが。鶏は勝手に地面をクチバシで突いて、虫やミミズを捕獲していては食べていた(のだと思う)。
そして庭の適当なところに卵を産む。お袋がそれを拾い集めて、玉子焼きにしたりするのが日常だった。
或る日、晩御飯に玉子焼きが出た。一口食べて俺が「お母さん、この玉子焼き、美味しくないね!」と言うと、お袋が返した。
「今日は卵あまり取れなかったから、スーパーで買ってきたんだよ」
つまり、自然放置した鶏の卵とスーパーの卵は、それほどまでに味が違ったのだ(加熱調理してあるのに、判る程だった)。

俺は19歳の時に、地元群馬を離れて上京し、アパートで独り暮らしを始めた。アパートの水道水を飲むと、これが恐ろしいくらいに不味かった。
今から30年以上も前の話だ。ミネラルウォーターなんて存在しない。水は水道水を飲むのが常識の時代。
上京するまで、群馬の赤城山の麓で暮らしていたのだ。想像つくと思うが、山の麓エリアは基本的に水が美味い。
「東京ってのは、水が不味いところなんだな」俺はしみじみ思った。

初めて相方を群馬の実家に連れて行った時(12年くらい前)、風呂上がりに相方が水を所望した。無論、実家にはミネラルウォーターを買うなんていう発想はない。俺は水道水をコップに入れて相方に飲ませた。食べ物の味にうるさい相方が水道水を飲んで「この水、美味しいねー」と感嘆していた。
逆に東京で20年以上暮らし、酒、煙草やり放題だった俺は馬鹿舌になっていて、赤城山の水の美味さが判らなくなっていた。駄目じゃん。

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美味い水を使って、庭で取れた野菜や卵を材料にした料理を、子供の頃の俺は食べる事が出来た。
今の俺はレストランに行ってフルコースのディナーを食う事も出来る(しないけどさ)。だが、フルコースのディナーよりも、子供の頃にした食事のほうがずっと贅沢で、ずっと価値あるものだったのだな、今になって思う。
そして、その食事は、もういくら金を積んでも手に入らないものなのだ。手に入らないからこそ、価値があり贅沢なのかもしれない。

趣味は遺伝しない

俺は平気でblogに自分の写真とか載せている厚顔無恥な男なので、俺とリアルに会った事がなくても「こいつ、だいたいこんな雰囲気の見た目なんだな」というのは判って頂けるかと思う。
俺は親父に似ているらしく(自分では判らない、というか認めたくない)、親戚や実家の近所の人からは「良く似た親子だねえ」としばしば言われた。
俺が身長177センチ、親父が170センチ。共に中肉中背。大学生の頃とか帰省して庭にいると、近所のおばちゃんに「あらま、お父さんがいたのかと思ったよ」と言われたものだった。
姿形はかなり似ているのだな。俺の顔のエラを滅茶苦茶張った造形にすると親父の顔になる。
中学生の頃は(思春期だったから)「親父みたいにエラが張ったら、どうしよう?」と悩んだものだった。若いって素晴らしいね(笑)

性格的な部分でもやはり似通っている。俺も親父もかなりの小心者だ。親父を見ていて「ああ、この人、気が小さいんだなぁ」とガキの頃は思っていた。そして自分もそうである事に気付き、これは血なんだと納得した。
また、親父は異常な高所恐怖症だ。何年か前に親父とお袋が東京に遊びに来た時に、俺と相方でスカイツリーに連れて行った。最上階で記念写真を撮ったのだけれども、親父はビビッて窓際に立つ事が出来なかった。
俺は大笑いしていたけれども、実は俺も結構な高所恐怖症である。俺のほうが、親父よりは軽症かな、という程度。

札幌に行く前、俺と相方はマンションの13階に住んでいた。そのマンションは廊下が外廊下。で、俺は廊下を歩く時、外側が怖くて歩けなかった。いつも内寄りを歩いていたのだ。
相方は「このマンションはボロいけど、景色だけは最高だねー」と喜んでいたが、俺からすれば恐怖しかなかった。

若い男女のデートのパターンで、遊園地に行ってジェットコースターや観覧車で親密になるというのは王道かと思う。だが、俺にはそれが当て嵌まらなかった。ジェットコースターは高さとスピードの二段攻撃でそもそも駄目だ。そして、観覧車。あの床が地面に密着していない状況というのは恐怖でしかない。
過去に女性と二人きりで観覧車に乗った経験は何度かある。だがその度に降りる頃は顔が青ざめて気分が悪くなっていた。一度なんか、降りてすぐにお手洗いに行って吐いてしまった程である。
世の高所恐怖症の方達は、デートの時にどうやって観覧車の問題に対処されているのであろうか。御教授願いたいものである。
てゆーか、もう女性と観覧車に乗る機会なんかないけどな。ちなみに、最後に観覧車に一緒に乗った女性は相方だ。葛西臨海公園の観覧車に乗ったのであった(昔、葛西臨海公園近くに住んでいたから)。

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外見、内面で俺が親父から受け継いだのはこのくらいかな、自覚しているところでは。
趣味的な部分、遊びの部分では、俺は全く親父とは似ても似つかない方面に面白さを見出した。親父の若い頃の趣味は釣りだった。俺が三歳くらいの時、釣りをしている親父とのツーショットのモノクロ写真があった。
小学生くらいの時に、釣り堀とかに連れて行って貰った事が何度かあったが、俺は釣りの面白さが判らなかった。結局、判らず仕舞いで終わった。
何十分もじっと垂れた釣り糸を見ているのが退屈で仕方なかったのだ。

そして家には、レコードプレイヤーもカセットデッキプレイヤーもなかった。俺の親父は音楽には一切興味が無かった。テレビの音楽番組くらいでしか音楽を聴いた事がなかったと思う。
俺は小学校高学年辺りから、レコードを買うようになり、レコードプレイヤーはお年玉で買った。偶々運良く、親父が町内会の会長になったのでラジカセを購入した(ラジカセで夏休みのラジオ体操とかを流す為)。そのお蔭で、従弟や同級生から借りたレコードをカセットにダビングして聴ける環境が出来た。

 小学生の頃は、歌謡曲がメインだった。中学に入って、俺は洋楽ロックを聴くようになった。ギターが弾ける同級生にギターを教えて貰って、ギターを弾き始めたのは中学二年生の時だ。そして、ジャズを聴くようになったのは20代後半になってから。

今思い返してみても、あれだけ音楽に興味のなかった親父の息子が、音楽が大好きで、ギター、サックス、ドラムス、ピアノを手慰みにしているというのも面白い話だと思う。
趣味ってのは遺伝しないのだ。不思議な話である。

二人の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めてバッグを買うようになったか

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相方が先日東京にやってきた。主目的は仕事の出張だ。相方は医療系コンサル会社に勤めている。週末や休日には、そういった医療関係のお偉いさんを講師としたセミナーやら勉強会が発生するので、それに駆り出されるのだ。

ただ、今回はその四日間の出張のうち、昨日は丸々一日休みに充てて貰っていた。俺と一緒に神奈川に出掛けて新居の下見をする為だ。
予定通りに行けば、相方は10月に札幌から東京に戻る。そして、俺は10月一杯で今住んでいるワンルームアパートを引き払う。10月からは再び二人で神奈川で暮らすのである(相方が職場に通い易い為、俺達は東京でなく神奈川に住もうと決めたのだ)。

ただ、まだ実際に部屋の下見をするにはタイミングが早い。今部屋を見ても契約出来ない。だから住む予定の町を実際に歩いてみて、雰囲気や部屋の値段の相場を確認しようというのが狙い。
「だって、神奈川なんて住んだ事ないんだよ。実際に行ってみて雰囲気確認しないとさー」相方は言う。尤もな意見だ。
「俺も神奈川なんて住んだ事ないから判らん」そう返した。

アクセスが良いのがターミナルであるA駅、そしてそのA駅に乗換一回で行けるB駅。この二つの駅に近いところを借りよう。それが俺達の最初の計画。
一昨日、相方は既に都内のホテルにチェックインしていた。相方から連絡が来る。「明日さ、どこで待ち合わせしようか?」俺の住んでいる町、相方の滞在しているホテルの場所。それらを考慮して、直接A駅で待ち合わせよう、そう決めた。
昨日、A駅の改札前でお昼に相方と待ち合わせた。相方と会うのは4月以来。約三ヶ月振りか。というかこの一年、相方とはほぼ三ヶ月に一回のペースでしか会っていない。狙ってそうなっているのではなく、互いの都合とかで仕方ない。

A駅の改札前でスマホをいじっていると、相方が「やあ」と声を掛けて来た。三ヶ月振りの再会。だからと言って格別何か思う訳でもなく。いい歳した大人の男女だ。既に一緒になって12年が経っている。感慨に耽るような歳でも間柄でもない。
歩き出しながら「とりあえず町の雰囲気を確認しようか」と話し合う。A駅はターミナルだけあって、商業施設も多いし、栄えている。だが、それは逆算的に言えば、家賃が高くなるという事を意味している。
駅前の不動産屋の前に張り出してある賃貸情報を見る。「高いねー」「これじゃ無理だな」俺達の想定予算を遥かに超えている。こんな部屋に暮らしていたら、三ヶ月で破産する。

試しにということで、目についた不動産屋に飛び込みで入り、営業マンに値段の相場等を教えて貰う。30分程、話を聴いて俺達は不動産屋を後にした。
「これはA駅は無理だな。ここでは俺達の予算じゃ部屋は借りられないな」俺が言うと、相方は頷いた。
「じゃ、B駅行ってみようよ」相方が言う。俺達のターゲットはB駅に絞られた。
B駅を降りると、A駅よりは明らかにこじんまりはしているが、駅前に色々店やスーパーもあるし、暮らし易そうな雰囲気。

テレビCMをやっているような有名な不動産屋があったので、またまた飛び込みで入る。すると、場末のスナックのママのような雰囲気の、ボサボサのパーマが取れかかったような茶髪長髪の女性(50代半ばくらい?)が接客してくれた。それにしても巨乳(それはどうでもいい)で、ワイシャツの第二ボタンまで外して、胸の谷間を強調している。
ここ、不動産屋かな、それともスナックかな? 俺はそんなことを考えた。スナックのママから情報を得る。実はB駅に来るまで知らなかったのだが、B駅は快速が止まる駅なのだ。なるほど、B駅の物件はそれなりに良いものが多かったが、これもちょっと予算を考えると微妙に厳しい。
絶対に無理じゃないけど、この予算にすると、月々厳しくなるなぁと。この辺りが難しい。

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相方とドトールに入って、スナックのママ(じゃないよ!)から貰った物件情報を見る。
「ねえねえ、隣のC駅の物件も結構あるね」
C駅はB駅から一駅だ。但し、C駅は快速が止まらない。各駅停車のみだ。でも、せっかく来たのだからとC駅まで行ってみる。と、C駅はB駅よりもさらに駅前がこじんまりとしている。
駅前の不動産屋の情報を見ると、明らかにB駅よりもランクが良い(部屋が広い、駅から近い、家賃が安い)。
「なるほどなー。交通の利便性を取るか、部屋のランクを取るか、だなー」俺が言うと、相方も頷いた。俺達の中で、C駅で部屋を探そうというコンセンサスが出来上がっていた。

とりあえず町の雰囲気は掴めたし、多分C駅で部屋を探す事になるのだろう。今日俺達に出来る事はここまでだ。これ以上はもう少し時間が経ってからやればいい。

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「そういや、バッグ欲しいって言ってたろ。何処で買えるの?」
「買ってくれんの?」相方が目を輝かせて言う。「じゃあ、銀座に行こう」
俺達はC駅に戻り、銀座を目指した。相方がスマホでお目当てのバッグを見せる「これで4万円だって!」
「お前、給付金のうち、7万でパソコン買ったって言ったろ。なんで予算オーバーしてんだよ」

銀座に行って、そのなんちゃらというブランドの本店に行く。相方がスマホで見せてくれた奴はどうも実物を見たら気に喰わなかったらしい。別の奴が良いなーと言い出した。
「これ、すっごく可愛いねー」俺には、どうしてそのバッグが可愛いと思えるのか理解出来ない。だが、俺がギターショップに行って「このレスポール、色がいいなあ」と言っても相方は理解出来ないだろう。それと一緒だ。
「これ、おいくらですか?」と相方が店員に尋ねる。店員が言った値段は税込みで約片手分の値段。たけー。こんな舐めたバッグで安いギター一本買えるじゃん。
すると今度は店員がそのバッグにチャーム(っていうの?バッグに付ける飾り)まで出してきた。相方はそれをつけて、肩にしょって鏡を見ている。女性ってバッグを持った時の自分の姿を確認するんだね。いやはや、ビックリだ。

「これ、可愛いなー。欲しいなー」相方が俺を上目遣いで見て来る。かなり予算オーバーだが、しょうがねえな。バッグ買ってやるって言ったしなあ。
俺は店員に「すいません。このチャームっていくらですか?」(俺は3千円くらいかと思っていた)と訊く。
「1万4千円になります」(これを言われた瞬間、俺の中の経済常識がゲシュタルト崩壊した)

「ああ、毒を喰らわば皿までだ。じゃ、これお願いします」俺がそう言うと、店員は笑っていた。
相方はバッグを手に入れてご満悦だ。

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腹も減ったので飯を喰いに行く。相方は前日から突貫出張なので体調があまり良くないから、うどんで良いと言う。銀座の東急プラザにつるとんたんといううどん屋があるとのことで、そこで食事。

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うどん屋さんはビルの10階。運良く窓際の席に通されたので景色が良い。
この東急プラザは切子細工をイメージして建物を設計したのだという。無駄にお洒落なビルだよな。

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相方は体調が今一つとの事なので、ホテルまで送る。ホテル近くのスタバでお茶をして、本当にどうでもいい雑談(一緒に暮らしていた頃に日々していたような話)をした。
生産性のある話をした訳でもなく、ただダラダラとお喋りをしただけ。勿論、今後の引越のプランの話とかもしたけれども。コロナで海外旅行は当分行けそうもないから、長崎にでも行こうか、とか(グラバー邸やハウステンボス、夜景観たいねとかのどうでもいい話など)。
でも、そういったどうでもいいような時間がきっと今の俺達には貴重なんだと思う。

車を売る時がやってきた

先日、相方からメッセージが来た。
「ねえ、印鑑証明って持ってる?」
「ないよ」
俺は返答した。俺の中で印鑑証明というのは、家を買う時に必要なもの。その程度の認識しかなかった。起業した事もなければ、不動産売買もした事のない俺からすれば、印鑑証明なんて縁のないものだ。

「車売るでしょ。その時に必要なんだって。今度、取ってきて」
「判った」
俺と相方が札幌で暮らす時に、足が必要だったから、ハスラーという軽自動車を買った。尤も、その車を最大限に活用したのは相方のほうだけれど。俺は札幌の最後の一年では、一回か二回くらいしか運転をしなかった。
俺はそもそも運転が好きじゃないし、得意じゃない。相方は運転が好きで、そして(確実に)俺よりも運転が上手い。相方は俺と一緒になる時に「まさか、車に興味のない人と一緒になるとは思わなかった」と何度も言っていた。

俺が運転免許を持っているのは、20歳の時に「就職する時に、車の免許あったほうが良いかもな」そう思ったからだ。それだけの理由。ガールフレンドを助手席に乗せて、海までドライブなんて洒落た趣味は持ち合わせていなかった。

(下の写真は約10年前のもの。LA旅行でレンタカーを走らせた。運転下手な俺がLAなんかをよく走れたものだなあ)

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そして相方が10月に東京に戻る。相方が札幌で住んでいるマンションは賃貸だから解約すればそれで済む。が、車は売らなくてはいけない。東京近郊で住むには車は不要だし、車を維持するだけの経済的な余裕は俺達にはない。
そう考えると、東京で家を買って、子供を二人くらい育てて、ファミリーカーを購入してなんて出来る経済的余裕のある人ってどれくらいいるんだろうね。今の若者は車もバイクも乗らない、って当たり前じゃん。こんな金の掛かること、今の若者世代が金銭的に出来る訳がない。

或る意味、俺は車に興味がなくて良かったと思う部分もある。というのも、車は金食い虫だから。まず初期費用で相当の金が掛かる。そしてガソリン代、車税、保険、車検代。下手に車をチューンナップすればさらに金が掛かる。
家族がいるから、通勤や生活に必要だからといった理由以外で(つまり、趣味として)車を持てる人は相当経済的に余裕があるということだ。
逆に余裕がなかったら、車を趣味には出来ないということだよな。

20代から30代前半まで、学生時代の仲間とローリングストーンズのカバーバンドをやっていた(俺の担当はベース)。その時、いつもスタジオ練習後に行く飲み屋があった。そこのマスターがマフィアのボスみたいな風貌で(背が高くて、恰幅が滅茶苦茶良かった。白髪をオールバックにしていた)、俺達が年中行くものだから、顔なじみになった。
俺達はバンドマンだから楽器を抱えている。するとマスターが「おお、商売道具(楽器)はこちらで預かっておくよ」と嫌な顔せずに言ってくれた。

たまにマスターと雑談とかしていると「バンドなんて健全な趣味で良いじゃないの。賭け事や女に狂うよりも、奥さん達も安心して送り出せるでしょ。ゴルフとかと違って金も掛からないし」
そういった話をしたのを思い出した。確かにバンドなんて車やゴルフ、賭け事、女に比べて金は掛からない。そりゃ楽器に金を掛ける気になれば、いくらでも掛けられるけど、抑える事が可能だ。
楽器は5万、10万で調達出来るけど、車は5万って訳にゃいかないからねえ。

俺達が買ったハスラーという軽自動車は新古車だったので、カーナビとかも含めて130万程掛かった。三年使ったから、一年辺りの費用として割れば40万ちょっと。さらにそれを12(ヶ月)で割れば、3.3万円。ついで、30(日)で割れば、一日辺り千円ちょっとか。
そう考えれば、費用対効果としては悪くないのかな。よく判んないけど。

それに売れば、いくらかの金になるだろう(車を売るのも初めてだから、どの程度で売れるのかすらも想像がつかない)。

五十歳を過ぎて、初めて車を持ったのは想定外だったが、色々な経験出来たのだから、それも悪くないのかもしれない。
願わくば、相方が東京に戻る前に、もう一度積丹半島までドライブしたいものだが。出来るかなぁ…

非日常を味わうのは悪くない

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この画像は、ネットでたまたま見つけた長野県の奈良井宿という町。いやあ、風情あるなあ。時代劇と池波正太郎と蕎麦が好きな俺からすると、堪らない感じである。
相方にこの画像をLINEで送って「色々落ち着いたら、ここ行ってみたいね」とメッセージを送った。相方からは「いいね!」の返事が。

俺も相方も(海外)旅行が好きなのだけれども、その目的がちょっと異なっている。相方が旅行に行くのはあくまでも世界遺産が目当て。だから、相方が海外に行きたいなーとなった場合、それは世界遺産(それも自然遺産でなく、文化遺産)がある事が最重要テーマとなる。
過去に二人で行った海外でも、世界遺産が絡んでいなかったのは、LAに行った時だけだ。この時はLAでしかやっていないシルク・ドゥ・ソレイユの演目を観に行ったのである。相方はシルク・ドゥ・ソレイユのファンでもある。
LAでは、レンタカーでサンタモニカまで行ったり、サンディエゴまでハイウェイを飛ばしたりと楽しかった。サンディエゴで二人で歩いていると、白人女性(50代後半から60代前半くらいだったろうか)に声を掛けられた。
「貴方達はご夫婦?」
「そうですけど」
「そうやって二人で歩いているのはいいわね。うちはもう別行動。こうなったら、駄目ね。夫はどこにいるのかしら?」
そんな愚痴言われても知らんがな。

俺が海外旅行を好むのは、非日常を味わいたいからだ。そして旅行よりもどちらかというと、その現地で生活するほうが好き。出来れば、アパートでも借りて、ジモティ御用達のスーパーに行って現地の食材やら飲み物を買って自炊し生活する。そういった事をやりたい。だが、現地で生活するというのはそう簡単じゃない。それだけの時間と金の余裕がなくちゃ不可能。
その代替手段としての旅行である。
現地で暮らしていたら、それが日常になるんじゃないの?という疑問をお持ちの方もいるだろう。だが、日本人が日本以外の国で、日本語以外の言語を使って暮らす、これが非日常でなくて、何なのだろう。

また、若い頃よりも歳喰ってからのほうが旅行が好きになった。これは自己分析すると、学生時代とかは毎日が呑気だったから、精神的ストレスが少なかった。仕事を始めてどんどん日々がきつくなった時に、それを忘れる(ストレス解消)為に旅行が良い作用を及ぼしているのだと思う。
非日常ということであれば、何も海外でなくても国内でも良い。だが、海外のほうがより非日常感は強くなる。日本人が殆どおらず、日本語が一切使えないという場所に行くのが最高である。

相方と一緒になって、早いもので12年が過ぎた(うちらは出逢ったのが遅いので晩婚なのよ)。そして毎年海外へ出掛けた。若い頃はサーフィンをやっていたアウトドア派の相方も、歳喰ってサーフィンを引退していたから、海外旅行が唯一の楽しみなんだーと年中言っていた(俺と知り合った時は、既にサーフィンは引退していた)。
基本的にこの12年で出掛けた海外は全て相方の希望の国、都市である。俺が希望を出した事は一度もない。典型的な「金は出しても口出すな」の人である。
ちったあ、相方も俺に感謝の念を示せよな、ぶつぶつ。

だが、今年はそもそも海外旅行の予定は立てていなかった。今年は相方が札幌から東京に戻る予定になっていたから、旅行をする余裕がなかったのだ(金銭的にも時間的にも)。
代りに初冬か年末辺りに温泉でも行きたいものだな。ゆっくりと非日常を味わうのは悪くない。