Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

19のままさ~浜田省吾のliveを見て来た

11月12日の日曜日、横浜アリーナまで浜田省吾のライブを観に行ってきた。(上の画像は浜田省吾のlive画像ではない)
俺が浜田省吾を初めて聴いたのは15歳の時だ。あれから実に40年の月日が流れたことになる。そして、今回のライブが俺にとって初の「浜田省吾のライブ」である。初めて彼の歌声を聴いてから随分と時間が過ぎたものだ。

15歳の頃の俺は、いわゆるハードロックキッズだった。激しく歪んだギターが大音量で演奏され、ドラムが低音で地を這い、ボーカルが血管切れるんじゃないかというくらいに絶叫する、そういった音楽を好んで聴いていた。10代の頃というのは、間違いなく兄や姉の音楽の影響を受けると思う。だが俺は長兄だったから、そういった意味で俺に刺激を与えてくれる人がいなかった。家のすぐ近くに従兄妹が住んでいた。彼らのお陰で中島みゆきとダウンタウンブギウギバンドの音楽を仕入れることは出来たが、他の音楽はほぼ皆無だった。

中学生のクラスメイトに横山君というオタクがいて、彼がDeep Purpleのファンだった。彼には2,3つ年上の兄貴がいた。きっと兄の影響だろう。俺は横山君と友達になったお陰で、Deep Purpleやレッド・ツェッペリンというハードロックの世界を知ることになる。
そこからハードロックにのめり込んでいって、ギターも弾くようになるのだが、ある時ふと「そういや俺、邦楽ロック全然知らねえな」と思い至った。さすがに40年も前の話だから、なんで洋楽ハードロックを聴きまくっていた少年が「邦楽ロックも聴こう」と思い至ったのか、その理由がさっぱり思い出せない。

当時は今のようにネットやYoutubeで「物は試しに聴いてみるか」と興味を持ったミュージシャンを聴ける環境にない。友人らからアナログレコードやカセットテープを借りて聴くか、素直にレコード屋に行って大枚払ってアルバムを買うしかない。当時、アナログアルバムが一枚2,500円した時代である。15歳の少年にとって、2,500円は大金である。
邦楽を聴こうと思って、俺が候補に選んだのは矢沢永吉と浜田省吾だった。えーちゃんは、CMで彼の曲がヒットしていたのかな、あの頃。そして浜田省吾は当時愛読していた音楽雑誌のインタビューに彼がよく出ていたのだ。ただ、インタビューだから、音楽は一切判らない。どんなジャンルなのか、それすらも判らなかった。ただ、雰囲気からしてフォークじゃねえだろうとは思っていた。

そして、俺の財布にはアルバム一枚買う金しかなかった。つまり、えーちゃんか浜田省吾かどちらかしか選べない。
レコード屋に行くまで、どちらにするか決めかねていた。俺は「店に行って、アルバムジャケット見て決めよう」と思っていた。そして浜田省吾のコーナーのアルバムジャケットを漁った。当時、彼の新譜の「Promised Land」というアルバムが売り出して間がない頃だったと思う。アルバムジャケットを見ると、何か巨大な物体の前でサングラスにジャケットを羽織った長髪の男が写っていた。俺はなんとなく「お、浜田省吾にするか」と深い考えもなく、彼のアルバムを買った。えーちゃんでなく、浜田省吾を選んだのは、本当に何となくだ。もし、えーちゃんのアルバムを最初に漁っていたら、えーちゃんのアルバムを買っていたかもしれない。

アルバムを聴いてみると、いきなりオープニングがインストルメンタル。そして笑ってしまうのだが、完璧なイーグルスのパクリ(笑)
次いでギターのイントロで実質オープニング曲が始まる。歌声は割と濁声だな、というのが最初の感想。曲は思ったよりもポップで俺の期待していたハードロックとはちょっと違った。おまけに一番がっかりしたのが、間奏がピアノソロだった。今だったら、「ピアノソロ格好良いなー」と思えるのだが、当時はとにかく、派手でうるさく、早いフレーズのギターソロが至高だと思っていたから、これにはガッカリした。
このアルバムの最後の曲のタイトルが「僕と彼女と週末に」である。このタイトルを見た瞬間に「なんだよー、ナンパな彼女との週末のラブライフの世界がラストソングかよー。軟弱だなー、しくじった」俺は曲を聴く前はそう思っていた。だが、実はこの歌は迫りくる核の恐怖を歌いつつも、自分が一番愛する「君を守りたい」という、ある意味捻くれたラブソングだったのだ。この歌は傑作である。

俺は洋楽ハードロックを聴きつつ、浜田省吾も聴きながら10代を過ごした。 浜田省吾はバラードの名手でもあり、彼はバラードだけを集めたバラードアルバムを発表したりしていた。17歳の頃、そのバラードアルバムを当時のガールフレンドにプレゼントして一緒に聴いたのも、今となっては良い思い出だ。え? いいじゃねえかよ、17歳の少年が彼女にバラードアルバムをプレゼントするのなんて、可愛い話じゃないか。

それから、俺は変わらず洋楽を聴いていた。20歳を超えて、ローリングストーンズの魅力に気づき、友人らとストーンズのカバーバンドをやったり、いつの間にかジャズも聴きだすようになっていた。
30代に入った頃は、もう俺は浜田省吾は聴いていなかった。これは浜田省吾に飽きたというよりも、30代の前半から後半くらいまでは、音楽そのものをあまり聴いていなかったからだ。バンドも解散して酒ばかり飲んでいた。楽器からも離れ、やることが酒を飲む事しかなかった数年を俺は過ごす。今思い出してもあの7~8年は無益な時代だった。

30代の終わりになって、俺はSaxを手にしてまた音楽に嵌り始める。そして50代を迎える頃になると、俺の憧れていたミュージシャンが次々と鬼籍に入るようになる。年齢的に仕方ないことではあるとは言え、俺は愕然とする。
「やべえ、好きだったミュージシャンのライブ、見られるうちに見ておかないと。いつ(相手、或いは自分が)死ぬか判らんぞ」と気付いた。気付くのが遅すぎる。

それから俺は機会があれば、お気に入りのミュージシャンのライブを極力逃さず見るようにしようと決めた。そして「そーいや俺、浜田省吾のライブ1回も観たことねえな」と思い至る。もう浜田省吾も70歳だ。彼にはいつまでも元気に頑張って貰いたいが、何があるか判らないのが人生だ。
俺は慌てて彼のライブの抽選に申し込んだ。

ライブ会場は横浜アリーナ。オープニングが「愛の世代の前」にという、俺が10代の頃に聴きまくったハードナンバー。おお、懐かしいなーと一緒に歌いまくる。
それから何曲か演奏されるが、どの曲も俺が10代の頃に聴いていた曲ばかり。MCで浜田省吾が「今日のセットリストは、自分が23歳から30代前半くらいまでに作った曲を選びました」と語っていた。ちょうど、俺が一番浜田省吾を聴いていた時代ともろ被りである。
驚いたのが、聴いたのが何十年か振りの曲もあったのだが、イントロが始まり彼が歌い出すと、俺も一緒にフルコーラス歌えたことだ。10代の頃に何の気なしに覚えた曲は50代半ばになった今でも、身体に沁み付いているんだなと正直驚いた。

浜田省吾のライブに関してはもう、何も言うことはない。いちファンとして堪能させて貰った。一緒に歌い、手拍子をして、純粋にライブを楽しんだ。
浜田省吾は70歳になろうというのに、声は全く衰えておらず、それにも感動した。何かを動かそうとする人、何かを動かしてきた人というのは、老いることはない。

俺が果たして70歳まで生きているかは不明だが、もし生きていたとしたら、あんな70歳になろう。朽ち果てるのではなく、倒れる瞬間まで10代の煌きを心の中に持った老人になって、死のう。
心の中に火を灯し続ければ、決してその輝きは消えるものじゃない。