Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

それでも家を買いました(購入編)


19歳の時、大学進学を機に上京した。初めての独り暮らしは4畳半一間の学生専用ボロアパート。トイレ、風呂共同。家賃が1万5千円だった。部屋の窓を開けると大家の家の壁が見えた。というか、壁しか見えなかった。

それから36年、多少は部屋のランク(広さと家賃)は上がったが、ずっと賃貸物件暮らし。別に「俺は一生賃貸で構わない」というポリシーがあったわけじゃない。ただ単純に家を買うという選択肢が俺の人生で発生しなかっただけのこと。
20代で結婚し、30歳前後に35年ローンでマンションを買う。そういった世間に存在する王道のライフプランとは無縁だった。これは俺が若い頃に1度失敗してバツがついていることも影響している(詳細は書かない)。

相方と知り合った時、俺は38歳だった。相方は2つ歳下。それから2年交際して一緒になった。ちなみにプロポーズは相方からだ。これも詳細は書かない(書けない)。

俺も相方も40代だった頃は、何も考えずに賃貸マンションに暮らしていた。そして40代の終わりに札幌へ移住する。何度か書いているが、俺は60歳になるまで札幌で暮らす予定だった。だから、やはりマンションを買うとか、家を持つとかそういったことを1度たりとも考えたことがない。
俺が自分の終の棲家を持つことに無頓着だったのは、故郷の群馬の赤城山の麓には、オヤジの建てた家があるからだ。いざとなれば、そこで暮らせば良い。
結局、最低60歳まで住むつもりだった札幌生活をたったの2年半で追われ、俺は東京に戻った。そして現在は川崎市在住。鹿島アントラーズサポーターの俺が、ライバル川崎フロンターレのホームタウンである川崎に住むというのもムカつく話だ。

2人で川崎で再び暮らすようになってから、相方に何度も問われた。「今後、どうするつもりなの。賃貸は何十年払っても何も残らないんだよ。老後どうするのよ」
それは正論だ。確かにそうだ。相方と知り合う前も含めて、俺が支払った家賃の総額があれば、小さいマンションくらい買える。だが、それは言っても詮無いことだ。

「ねえ、貯金どのくらいある?」
相方に問われた。俺は相方と知り合う前から、毎月給料から一定額を貯金用口座に入れるということをしていた。いつから始めたのかは覚えていない。口座に使える金があれば、若かった頃の俺は全部それを酒につぎ込んでいたから、それを防止する作戦だったのだと思う。毎月の額は大したことはないが、「塵も積もれば山となる」である。それに俺は楽器演奏くらいしか趣味と言えるものがない。車とかにも興味がないから、大きな買い物をしたことがない。
俺が今までの人生で買った1番大きい買い物が札幌時代の軽自動車(130万円)、次がテナーSax(40万円)である。

俺が貯金額を伝えると、相方は何か考えていたようだった。この時点で、俺達がマンションを購入することは既定路線となった。
10月の或る日、相方が「ネットで****で検索してみて」と言う。検索すると、売り出し中の中古マンションが表示された。
「これ、内見に行きたい。週末、いつが空いてる?」相方に問われ、音楽教室のレッスンが入っていない日を告げる。運良く、次の週末には内見することが出来た。部屋の間取りは今住んでいる賃貸物件とほぼ変わらない。ただ、キッチンや寝室が今までよりも狭い。が、そんな贅沢を言える身分ではない。

そしてここが重要なところでもあるのだが、相方はいわゆる「見えざるものが見えてしまう人」なので、そういったものが棲みついている物件もNGだ。そこはクリアされた模様。
部屋としては、特に不満もなくOKな感じだった。帰宅してから、相方が「今日見た物件の真裏に同じような間取りの部屋が出てる。ここも見させて貰おうか。あと、戸塚(神奈川の奥だが結構栄えている)にも、同条件のマンションがある。これも見させて貰おう」と言い出した。
こういった場合、俺に主体性や権限はないので、言われるがままである。

翌週、最初に見た部屋から徒歩1分のところにある別の物件を見させて貰う。俺は正直、3つの中から選ぶならここだと思っていた。理由は単純で、この物件だけ他と比べて、約500万円安かったからだ。

入ってみると、部屋の広さは申し分なかったが、異臭が気になった。相方は「これ、配管が古いんじゃないのかなー」と言う。となると、もうこの部屋は除外されるだろう。相方は匂いに敏感なのだ。たかが匂いというなかれ、毎日暮らす場所だ、匂いや音は重要である。
そして戸塚に移動して最後の部屋も見させて貰う。戸塚は駅前が栄えているし、駅をちょっと離れると今度は個人商店街がある。俺も相方も「あー、ここは良い街だねー。個人商店が多い街って素敵だよねー」と意見が一致する。もっとも、マンションに到着した時は既に「ここはないな」となっていた。というのもマンションまで徒歩12分程度だったのだが、道中の坂が凄かった。俺達が20代ならともかく、これから60歳を迎えようという世代の人間が住める場所ではない。

戸塚の最後の部屋を見終わった後に、相方とどうするか相談する。
「どうする? もう決めちゃおうか。そう何軒も出てこないと思うよ」
「そうだなー」
俺達が、マンションに億単位の金や7、8千万円使えるというのならともかく、俺達の資金(無論、ローン含む)で買える物件なんて限られている。それに賃貸と一緒でこういったものは巡り合せや運、縁もある。
「最初に見た奴かな」「そうだね」意見は一致した。

「最初の物件って内見希望って私達だけですか?」相方が不動産屋の営業担当に尋ねると、既に1組いると言う。その場で慌ててローン審査の申込と家の購入申し込みを行う。ローン審査は事前審査があるらしい。予備審査みたいなものだろうか。実はよく判っていない。
このblogは分譲マンション購入ノウハウblogではないので、申込から決済までの詳細を書くつもりはない。というか俺自身がよく判っていないからだ。

相方の話によると、1年前は殆ど条件に合致する物件が売りに出ていなかったのだとか。どうやらコロナのせいで売る方も動きが止まっていたらしい。コロナの規制が緩くなって、売る方も動き出してきたのだ。そう考えると、このコロナの影響というのは、俺達が知らないところでもかなりの影響を世の中に与えているのだということが判る。

最初に相方に貯金額を伝えた時に、相方が「その貯金全部頭金に突っ込まないほうがいいよね」と言ってきた。俺も「多少残しておかないと、何かあった時に困る」と返す。
不動産屋に相談して、頭金を決め、月々の返済額を決める。10年ローンだ。会社の再雇用制度を考慮するにしても、支払期間は10年が限界だ。そして月々の支払は、今払っている家賃に抑える。そうすれば、ローンに追われて生活が汲々になることもない。払い終わる頃は俺は65歳か。俺、生きてんのかな? ま、途中で死ねば団信で支払いがチャラになるだけの話。

ただ、俺自身不安だったのが、60歳まではいいが、それ以後どうやって払うのか?という点だ。今の会社には再雇用制度があるが、給料はガクッと落ちる。
「トシコさん(相方の実母)、500万くらい貸してくれねーかな?(借りたところで返す当てはない)」
「ママ、財産結構持ってるはずだよ。死んだら、それなりに入るんじゃないかな」
2人とも、親不孝者である。

相方と支払金額などを相談している時に、相方が「あ、そういやこれ来てたよ」と葉書を見せる。俺が払っている民間の年金の控除証明書だ。これは30歳くらいの時に、当時の現場に出入りしていた保険のセールスレディにしつこく勧誘されて入ったものだった。
「30年も払い続けるのかよー」とか当時は思っていたが、まさかあと5年たらずで払込期間が終わるとはね。こちらも「塵も積もれば山となる」である。すっかり存在を忘れていた。
少なくとも、60歳まで大きな病気やケガをせずに今の会社で働き続ければ、それ以後はこの民間の年金、知り合いに頼まれて入った2つの死亡保険金、そして退職金辺りを支払いに充てればなんとかなる。
逆に言うと、60歳前に下手に病気やケガをしてリタイヤしたら、御仕舞いということだ(笑)

部屋の内見に行って、その翌週には購入の申込をした。まさか1週間でマンション購入を決めることになるとは思わなかった。そして今週、決済が済んだ。銀行のローンを使って売り主、不動産屋、司法書士にそれぞれ支払うのだ。相方は「なんだー、目の前に****万円がキャッシュで積まれるのかと思って期待してたのにー」と冗談を飛ばす。ま、俺も見れるものなら、見たかった。

こうして内見を決めてから、3ヶ月でマンションは俺達の物になった。無論、ローンがあるけれども。
「俺が死んだら、あの小さいマンションで大人しく暮らしてくれ」と相方には言ってある。どうせ俺のほうが先にくたばるのは間違いないのだから。
ま、俺が相方に贈ってやれる最初で最後にして、唯一の物だろう、これが。そう考えれば決して悪くはないだろう、多分。