Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

いつか犬を飼いたい、と彼女が言った

f:id:somewereborntosingtheblues:20210324014127j:plain

偶々なのだが、ペットを亡くしてペットロスになっている人のblogを2つ続けて読んだ。blog主のペットを失った悲しみが文章からも窺われた。
俺自身はこの歳になるまでペットを飼ったことがない。だから正直言ってペットロスになった人の気持ちを心から理解出来るかと問われれば、Noと答えるより他ない。
たとえペットであっても、何年も一緒に暮らせば、それは家族同然じゃなくて家族そのものだ。そういった感覚は頭では理解出来るが、実体験を伴っていないから、あくまでも想像の世界でしかない。大事な家族を喪った悲しみは理解出来るよ、などと俺が言うのはおこがましい。

相方は幼少の頃に室内犬を飼っていたらしい。相方は母一人子一人で、おまけに母親が働いていた関係で、家で一人過ごす事が多かったと言う。多分想像だけれども、娘のことを思って母親が犬を与えたのだと思う、寂しくないように。
相方は子供の頃は独りままごと、独りオセロをよくやったと言う。この話は付き合っている頃も、一緒になってからも何度か聴かされた。俺は3人兄弟だったから、「一人っ子というのは、そういった遊びをやるのか」というのがある種の衝撃だった。これは「一人っ子あるある」なのか、相方が例外なのか俺には判断がつかない。一人っ子の方がいらっしゃったら、コメント頂ければ幸いである。

相方は幼少の経験があるせいか、今でもたまに「犬飼いたいなー」と言う。相方と一緒になってから、東京、札幌、川崎と賃貸物件を移り住んで来たが、いずれもペット不可物件だから、現状は犬を飼う事は不可能だ。
それに今はコロナのせいで一切予定は立っていないが、俺達はもうあと何年かは海外に旅行にいきたいと思っている。その場合、犬を飼っていたら、色々なことが難しくなる。ペットを飼っていながら旅行に出掛ける人は、ペットホテルみたいなものを利用するのだろうか。

相方は「もう歳喰って(体力的、金銭的に)海外旅行もいけないようになったら、その時は犬飼いたいな」と言う。俺はいいんじゃないと答える。相方は続ける。
「んー、でもあんまり歳喰ってからだと無理だなー。やっぱり60歳くらいには飼い始めないと」
俺がどうしてか尋ねると、納得出来る回答が返って来た。
「犬の寿命ってね、だいたい15年くらいなんだよ。だから、犬を飼うにしても、自分の寿命が20年弱残ってないと…」
ああ、犬の最後を看取ってやれないということか。確かに飼い主が先に死んでしまったら、残された犬のほうが可哀想だな、それは。というか、ペットの最後を看取るだけの自分自身の寿命がなければ、飼ってはいけない、そういう事なのだろう。

俺と相方の間には子供がいない。そもそも知り合った15年前の時点で38歳、36歳だったのだ。一緒になったのはそれから2年後。子供を作るのに適した年齢の夫婦じゃない。
また、俺自身がその時点で子供を作るというライフプランを一切持っていなかった。
俺が相方よりも先に死ぬのは間違いないところだから、それを考えると犬を飼うのもありだなとは思っていた。俺が死んだら、相方はワンちゃんと2人で暮らしてくれ、と。
だが、先述したようにペットロスになった人のblogを読むと、それも結構辛い話だなとは思う。自分が先に死んじゃうのなら良いけれど、それは飼い主としては許されない行為だろうし。

それでも人が犬や猫(それ以外の動物も勿論)を家族として迎え、その家族の死を見る事前提でも一緒に暮らすのは、きっと言葉に現すことが出来ないような幸せや喜びを得ることが出来るからなのだろう。
そもそも、それを言い出せば人間だって一緒だよな。夫婦だろうが親子だろうが、恋人同士でも兄弟でも友人でも、どちらかが先に逝くんだから。

伊坂幸太郎の「終末のフール」みたいに、みんな一緒に死ぬとなったほうが、むしろ幸せなのかもしれない。