Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

地球では、あなたの悲鳴は俺には聞こえない

(タコライスと野菜スープ。本日の晩御飯なり。食べたのは夜中の23時半だけれども)

人様のblogを読んでいると「50代になって、40代の頃よりもずっと楽になった」とか「30歳を迎えてもう若くないなぁと思ったけれども、20代よりも肩の力を抜いて生きられるようになった」などと、歳を取ることを非常にポジティブに捉えている人が多いことに気付いた。
この傾向は女性のほうが多いような気がする。単なるイメージだけの問題かもしれないが。
無論、歳を喰って「身体中がガタガタです。もうポンコツです」と身も蓋もないことを書いている人もやはり多い。

では翻って俺はどうか。
正直に言おう。俺は歳を喰って良かったと思ったことが一度もない。因みに参考までに書いておくと、俺は今日現在55歳だ。あ、もうあと数年で赤いちゃんちゃんこじゃねーかよ。泣きたくなってきた。いや別に泣きはしないけれど。
歳を喰って一番辛いのが、俺の場合は何と言っても身体にガタが来ている点だ。
その代表は難聴である。俺はかなり耳が悪い。
若い頃に、そういった「よく聴こえねえなあ」という経験をしたことがないので、これはやはり加齢によるものだろう。あと若い頃にハードロックをよく聴いていたから、その影響もあるかもしれない。ただ50代でこの聴こえなさは、他の人よりも難聴度合いが強いのだと思う。

周りの人達が話している声のボリューム、互いの距離。それが俺の場合だとほぼ聴こえない。仕事でも俺の向かいの席に座っている同僚から声を掛けられても、大抵聴こえない。話している声は聞こえるけれども、何を言っているのか判らない。聴き取れないので「ちょっと待って」と声を掛けて、同僚の横まで行く。その距離でならば聴こえる。
聴こえないのは事実なので、これは隠しても仕方ないから、【俺が聴き取れない距離】から話しかけられると「ごめんなさい。聴こえないです」と一声掛けて、その人の横まで移動する。
機会があるごとに「すいません、耳が悪いんで」アピールをしているので、今のチームのメンバーは、俺が難聴なのをある程度は判ってくれていると思う。

以前参加していたプロジェクトは辛かった。大会議室で会議をやるのだが、距離が遠いものだから、ほぼ相手が言っている言葉が聴き取れない。
耳が悪いというのは、見た目では判らない。おまけに俺の場合は、近距離で話している場合には普通に会話の遣り取りが出来るのだから、相手は俺が難聴だと言わない限り気付かない。そして、こういったセンシティブな身体のことは、なかなか言い出し難い。
女性だと声のヴォリュームが小さいので、さらに聴こえづらくなる。前のプロジェクトにいた時も、チームの女性から話しかけられても、時々何を言っているか聴き取れないことがあった。
会議では何を話しているかさっぱり判らないので、慌てて当時住んでいた東京中野区の補聴器専門店に行った。会議は週に何度も大会議室で行われる。正直言って洒落にならない金額の補聴器を購入して、それを使い始めた。
これで問題が解決するかと思いきや、しなかった。補聴器をつけてみると、周りの席の人の紙の資料を捲る音、机の上にペンを置く音などは増幅して聴こえてくる。ところが、肝心の話しかけてくる人の声はちっともクリアに聴こえてこない。絶望しかない。
丸一日補聴器をつけていたら、三日目くらいには気が狂いそうになった。うん十万円掛けて買った補聴器は今は机の引き出しに仕舞いっぱなしだ。

芸能人の高橋英樹、草笛光子が「補聴器のようなもの」を通販番組で紹介していた。「これがあるとよく聞こえる」と言っている。正直、芸能人が言うから信用するほど、俺も純真じゃない。うん十万円掛けた補聴器がまるで使い物にならなかったのに、2万円しない音声拡大器が有用なのかも判らない。ただ、物は試しで買ってみる価値はあるかもしれない。というのも、こういった機器は値段に関係なく、本人の状態で上手く嵌る場合もあるからだ。
女性だったら、高級化粧品が肌に合わなかったのに、安い市販製品だと肌の状態がベストになった、とかあるでしょう。大雑把に言ってそれと同じだ。

音楽が好きで、複数の楽器を演奏をすることを趣味にしている人間が難聴になると言うのも、皮肉な話だなと思う。視力回復にレーシック手術というものがあるが、あれの耳版はないのかなあとずっと思っている。
家でテレビを見ていると、相方から「テレビの音がうるさい」と言われる。相方は俺の真逆で、とても耳が良い。例えば蛇口の締め方が緩くて、水がポタッ、ポタッと落ちていると(当然俺は聴こえる筈もない)、相方は「水が落ちる音がする」などと言う。
難聴の男とやたらに音に敏感な女が同じ屋根の下で暮らしているのも、互いに不幸であるな、これは。

と、【歳を喰うのは悪いことじゃない】という話を書こうと思っていたのだが、気付くと俺の難聴の話ばかりになってしまった。
まあ、いいか。当初書こうと思った事と違う話に逸れていくのも、俺の真骨頂だ。
あと、綺麗に纏めるつもりもないので、「耳が悪くなって、逆に良かったこと」なんて何一つない。不便だし、精神的ストレスが溜まるばかりだ。
「人の声が聴こえなくなった代わりに、人の心が聴こえるようになった」なんて詩人を気取るつもりもない。

皆さんに一つだけお願いしたい。
志村けんのコントのように「え! なんだって?」と耳に手を当てて、でかい声で話しているオジサンやおじいちゃんがいたら、温かい目で見守ってやって欲しい。彼らは、デリカシーがなくて声がでかくなるのではないのだ。聴こえないのだ。