Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

冷麺、つけ麺、僕イケメン

うちの近所には良い飯屋がない。そもそも場所が悪い。電車で川崎まで10分、横浜まで8分程度で行ける街だ。つまり、すぐ近くに巨大都市があるのだから、その狭間に埋もれた住宅街に良い飲食店がある筈がない。良い店は必ず川崎か横浜のどちらかに存在しているということになる。

相方と外で飯を食おうとなった場合に、選択肢はサイゼリヤ、スシロー、日高屋、餃子の王将くらいとなる。無論、居酒屋は何軒かあるが、相方との取り決めで、相方と一緒の時、酒は禁止という鬼のルールがあるので、居酒屋は最初から対象外になる。また、相方は蕎麦が好きではないので、蕎麦屋が選択肢に上がることもない。蕎麦の味が判らない馬鹿は、箪笥の角に小指をぶつけて、泣けばいいのに。なんだそれ。

先日、相方と日高屋で夕食を摂ることにした。相方は「野菜を摂らないと死んじゃう教」の熱烈な信者なので、彼女が頼むのはいつもタンメン。タンメンは、なんで塩味なんだろうか、昔から不思議で仕方がない。醤油タンメン、味噌タンメンとかもあって良さそうなものだが。ま、タンメンのことはどうでもいい。

俺は「冷麺と半チャーハン」のセットにした。相方は「タンパク質を摂らないと死んじゃう教」の信者でもあり、且つ「炭水化物しか摂らないと死んじゃう教」の信者でもあるので、レバニラ炒めと餃子も頼む。

俺はそもそも白いご飯よりも、麺類が好きである。一番好きなのは蕎麦だ。最後の晩餐は、鴨南蛮に日本酒が良いと思っている。麺類は全般的に好きである。そして最近気づいたのだが、俺は実は冷麺がかなり好きなのかもしれない。
焼肉屋に行くと、どれだけ肉で腹が膨れていても、〆の冷麺は外せない。

俺は相方に「自分は実は冷麺がかなり好きかもしれない」と告げた。今更そんなことを勿体ぶって言ったから、何かが変わるわけでもないのだが。冷麺が運ばれてきて、俺が食していると、相方が「ここの冷麺はどう?」と訊いてきた。俺は「ま、日高屋レベルだね」と偉そうに答える。
何が「日高屋レベル」だよ。お前は馬鹿舌で味の違いなんか判らないだろうが。

「今まで食べた中で一番美味しかった冷麺は?」相方に問われ、ふと首を傾げる。冷麺好きとか言っているが、俺は「これ最高に美味いじゃねえか!」という冷麺を喰った記憶がない。過去に社員旅行で韓国に何度か行って、本場の冷麺(厳密には冷麺は北朝鮮が本場らしいけど)を食べたが、あれは俺の口には合わなかった。

となると、俺は何をもって冷麺が好きとなっているのだろうか。滅茶苦茶美味い冷麺を食べて、それ以来冷麺が好きになった。これなら理屈が通っている。だが、過去に食べた冷麺はいずれも平均点、要は「まあまあ、かな」程度の味だと認識している。逆説的に言えば、平均点の味しか食したことがないのに好きということは、これはかなり冷麺が好きだという理論になるのではないだろうか。

そして過去の冷麺の食歴を考えるに、きっと俺は「最高に美味い冷麺には出会えない」気がしている。そんなものは幻想なのだ。俺が日高屋やたまに行く焼肉屋で食べる冷麺、それがきっと冷麺の味であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

何故なら、不味いラーメン屋や蕎麦屋に遭遇することはあるが「この冷麺、不味いなー」という焼肉屋に入ったことがない。つまり、冷麺はとてもアベレージが安定している食い物なのだ。

だから「きっと、いつか美味い冷麺に遭遇出来るかもしれない」なんて淡い期待は抱かないことにしている。冷麺なんて、そんな程度の食い物なんだ、それで良いのだ。

そして家で作る冷麺もこれまた美味い。もしかすると、俺が一番好きなのは、俺が自分で作る冷麺かもしれない。自分で作る冷麺と言っても、売っている乾麺を茹でて水で締める。その上に、冷豚しゃぶ、生野菜、キムチを乗せただけのお手軽料理だ。誰が作っても同じ味になる。

ということで、今回の話には何もオチはない。
ただのオッサンが「冷麺好きだ」というだけの話である。