Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

It's a long road

前回、札幌に行ってSaxを吹いてきた話を書いた。ふと、俺が札幌にまで出掛けてSaxを吹く、吹けるという事は、実は色々な幸運の積重ねなのではないか、と気付いた。
そこで、どうしてこの僥倖があり得たのか、ちょっと映画メメント風に、現時点から過去にこの長い道を辿ってみたい。

8月第一週に札幌に出掛けて、札幌の友人(以下、師匠。彼のニックネームだ)やバンド仲間と再会し、イベント会場でライブを行い、Saxを吹いた。
何故、そうなったか。それは去年も同じフェスに呼ばれてSaxを吹いた過去実績があったからだ。

去年、俺が呼ばれたのは、師匠がフェスの主催者であり、師匠のバンド出演することが決まったから。まず、この時点で師匠がフェスを開催するということを企画しなくては、何も始まらない。

俺も札幌にいた時はこのバンドにギター担当で所属していた。だから遊びに来いと師匠に去年言われたのだ。俺がこのバンドを離れたのは仕事によるもの。札幌から東京への転勤だ。バンドは二代目ギタリスト(A君)を加入させる。俺はA君が加入したことで、このバンドは息を吹き返したと思っている。というのも、俺のギターの腕前(かなり酷い)だと、バンドはやれる曲が限定され、バンドの発展は見込めなかったからだ。これは、客観的に見て明らかにそうである。師匠は「そんなの関係ねえよ」と言ってくれるだろう。「上手い奴と組みたいんじゃない。一緒にやって楽しいと思える奴と組みたいんだ」師匠は俺が札幌にいる頃からそう言ってくれた。それは嬉しい言葉ではあるが、俺のギターがこのバンドの進化の足枷になっていたのも事実ではある。

そして、このバンドにはSax奏者は元々2人いた。師匠とB君だ。B君はクラシック畑の人で、このバンドの音楽ジャンルとは嗜好がかなりかけ離れていた。音楽のジャンルに貴賤はないし、良い悪いもない。好きか嫌いか、それだけだ。
B君はクラシックを追及したいとバンドを脱退した。B君が脱退したのは、俺が札幌を離れてからだ。B君が在籍していても、師匠は俺を呼んで飛び入りで演奏させてくれただろう。それは間違いない。だが、B君が抜けてSax奏者が師匠独りになったことで、俺のSax参加がバンドにとって多少は意味のあるものになったとは思う。俺の不協和音の塊みたいなSaxでも多少は役に立つ、のかもしれない。

俺が去年、今年と飛び入りで演奏したバンドは元々、師匠が発起人で作ったバンドだ。今のバンドになるまでに、何度もメンバーチェンジを繰り返し、バンド名も変わり、楽器編成も変わった。バンドがスタートした時は、Sax5人、トロンボーン1人という大所帯。これにギター(俺)、ベース、ドラム、パーカッションがいたビッグバンドだった。

では、何故師匠はそんな大所帯なバンドを組んだか。札幌で有名なペニーレインというライブハウスがライブイベントを企画し、参加バンドを募集していた。師匠は、「よしこのイベントに出よう」と決めたのだ。
ここで凄いのが、師匠がイベントに出ようと決めた時点でバンドを結成もしていなければ、メンバーも確定していなかったという点だ。
師匠は札幌でバーを経営しているし、音楽に詳しい友人も多い。彼はメンバー探しには不安はなかったのだと思う。
俺がこのバンドにギターで加わるようになったのは何故か。そもそも、お前Sax吹きじゃねえのかよ?という疑問もあるかもしれぬ。
俺と師匠が知り合った経緯を書かねばならない。
俺は2016年12月に仕事の関係で札幌に引っ越してきた。札幌は俺にとって異邦の地であり、友人知人はゼロだった。おまけに相方が札幌に来るのはその4ヶ月後。要するに1人で暇だった。

ここで、ススキノの歓楽街に連日遊びに行って、綺麗なおねえちゃんと懇ろになろうなんて邪な気持ちを持つ程、俺は若くはない。東京に住んでいた頃からやっていたSaxをまた吹こう。そう決めていた。
とりあえず職場の近くに音楽教室があり、そこに通い始めた。音楽教室に通い始めると、Sax講師のSさん(若くて綺麗なお嬢さんだ)から「今度発表会ありますけど、ソロとアンサンブルで参加しませんか?」と誘われる。
二つ返事でOKをする。Sさんから「アンサンブルの練習をするので、集まって下さい」と言われ、指定した場所に行くと、他のアンサンブルメンバーがいた。その中の一人が師匠だった。

後になって、師匠が「Sさんは慧眼だよね、俺とアンタが気が合うだろうと思って組ませたんだよな」言う。俺も「俺と師匠みたいな胡散臭いのを別々にしたら、他の2グループが迷惑するからじゃない」俺達は笑いあった。Sさんが俺と師匠を同じアンサンブルで組ませるという幸運がなければ、今はない。俺達はそもそも知り合いにすらなっていなかったから。
そしてさらに幸運なこととして、師匠も俺も煙草を吸う。札幌に来た頃は俺は煙草を吸っていなかった。札幌生活で暇を持て余して、止めていた煙草をまた吸い始めていたのだった。
師匠は初対面の時に「煙草吸います? じゃ、喫煙所行きましょうよ」と誘ってくれた。そして喫煙所で色々と話をしたのだ。この時、俺が煙草を吸っていなかったら、喫煙所で色々な話は出来なかった。この喫煙所で「ペニーレインというライブハウスがライブイベントのバンド募集してるから、それでバンドを組んで出るつもりだ」という話を聴かされたように思う。

俺と師匠はSax教室に通っているから、Saxを吹けるメンバーを探すのは容易だった。バンドの初期にSaxメンバーが多いのはこの理由による。そして師匠が自分の店でメンバー候補を集めてバンドの決起集会を行っていた時、俺は残業をしていた。遅れて店に行った頃、決起集会は殆ど終わっていた。店に着くなり師匠に言われた。「アンタ、ギターな。Saxは人が足りてるから(笑)」
残業がなく、会のスタートから参加していれば、人数が多いにしろ、俺はSax担当になっていた筈だ。師匠がメンバーを集めていた時点ではギタリストがいなかった。探す気になれば、彼は顔が広い、上手い人はいくらでも見つけられただろう。
「ギター弾けるよね?」以前問われた時に「かなり下手だよ」と伝えたが、彼はそのことを覚えていたのだろう。ちなみに凄いのが、師匠は俺をギターに指名した時点で、俺の演奏するギターを一度も聴いたことがない。物凄い剛腕振りである。
俺がこのバンドにSaxでなく、ギターで参加することになったのはこの為だ。このバンドは何度もメンバーチェンジを繰り返したが、俺が札幌を離れるまで不動だったのは、Saxの師匠、ドラムのOさん(師匠の中学時代からの友人)、ギターの俺だけだ。
だから俺は札幌時代はこのバンドでSaxを吹いたことは一度もない。そういや、一回ライブでリードボーカルやらされた事があったな。俺のバンドにおける黒歴史だ(笑)

www.youtube.com(これは札幌時代に俺がギターを担当していた時の動画)

そして、では何故俺は仕事で札幌に来たか。俺の仕事はシステムエンジニア(SE)だ。札幌に来る前(2016年)はフリーランサーで働いていた。当時、もうすぐ50歳が目前となっていた。しかし、この歳になると正社員として採用されることは難しい。それに採用されるとしたら、零細企業しかない。零細企業では、将来が保証されているというものでもない。それにフリーのほうが正社員よりも目先の給料は多い。
フリーで働いていたのは良いのだが、その現場で酷いパワハラに遭った。俺にパワハラをしたのは髪を青く染めたクソババア。こういう言葉は使いたくないが、これ以外の言葉が見つからない。とにかく酷かった。
俺は相方に愚痴った。こんな酷い目に遭っていると。相方は「そんな酷い人と一緒に働く必要ないよ、仕事なんかいくらでもあるよ」と励ましてくれた。

その現場を終えて(実質、クビ)、次の現場で働いている時に相方が俺にメールを転送して来た。相方が以前の転職でお世話になった転職エージェンシーからのメールだった。
求めているスキルや経験が正しく俺がSEとしてこの20年やってきたものと合致していた。あそこまで合うのも珍しいと思う。
但し、問題点は勤務地が札幌ということだ。
ま、どうせ受かる訳ないしと思いながらも面接を受けると、一次面接が通り二次面接となった。二次面接では担当官が「札幌は東京と変わりません。都会です。札幌行ったらまず防滑シューズを買って下さい」と言う。これ面接か? 既に合格して札幌での生活心構えじゃねえかと苦笑したのはここだけの話だ。

程なくして合格メールが来た。だが、問題は勤務地が札幌ということだ。相方と一緒になって10年。俺自身東京で20年以上暮らしていた。札幌には20代の頃の社員旅行でしか行ったことがない。そして相方は東京生まれの東京育ち。東京以外の地で暮らしたことがないのだ。

だが、相方は「この歳で正社員になれるチャンスなんてそうないよ。札幌へ行こう!」と俺の背中を押す。あの時、相方の言葉がなかったら、俺は札幌へ行っていたか判らない。俺は60歳(定年)になるまで、札幌で暮らそうと思っていた。まさかたったの2年半で東京に送り返される羽目になるとは思ってもいなかったが(札幌での仕事が無くなり、東京事業所へ転勤となったのだ)。

俺が札幌へ行ったのは相方が世話になった転職エージェンシーの存在がある。そして、当然の話だが、相方と一緒になっていなければ、この仕事は俺に回ってこなかった。
このまま話を続けていくと、俺のオヤジとオフクロが出会った話にまでなって、先祖代々の歴史に行き着くので、回想はここまでにしておく。

これだけの長い一本の道があって、俺は8月の初旬に札幌でSaxを吹いた。この線の中にある1つの出来事が欠けても、この奇跡は置き得ないのだ。

貴方が今日遭遇したとある出来事も、過去の長い色々な積み重ねが導いたものだ。そう考えてみると感慨深くならないか?