Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

娘十八、紅を指す。辛い話は胸を刺す

 

一日の中で、多分一番リラックス出来るのは、風呂に入ってバスタブの中で湯に浸かって本を読んでいる時だと思う。
俺の入浴スタイルは烏の行水なので、湯舟に浸かっている時間は短い。風呂に長めに入るのに最も効果的なのは、入浴中に本を読むことだ。
読む本は基本的には、時代小説かミステリが多い。雑学書やライフハック的なものは読まない。こういったものは元々読む習慣がない。よく「xx代のうちにしておくべきこと」みたいなタイトルの本があるが、ああいったものは胡散臭いと思っているので、最初から選択外だ。その類の本を読む人を否定はしない。俺が読まないというだけの話。

俺が本に求めているものは、知識や生きていく上での参考となる情報などではない。純粋な「エンターテインメント」である。本を読んでいる間は、素直にその世界に没頭して憂さの多い世の中から離脱していたい。
これは俺が映画に求めるものと共通している。映画は完全に洋画派である。邦画は基本的に見ない。日本人が大量に出てきて、日本の見慣れた景色が出てきて、日本語を話す人々が日々の暮らしの中で困難に遭遇したり、辛い別れを経験したり。
勘弁してくれ、である。普段そんなものは、実生活で嫌というほど経験している。なんでわざわざ金を払って、そんな実体験をトレースしなくてはならないのだ。
日本人でない、日本語を話さない人達が、宇宙空間で地球外生命体に遭遇して戦ったり、或いは派手なカーチェースを繰り広げたり。そういった現実から可能な限り遠い場所にある夢物語が好みである。
だから洋画であっても、登場人物が市井の人々であって、困難に出遭うなんて話は敬遠させて貰う。理想は「エイリアン」や「ターミネーター」のような純度120%で現実味の欠片もない話だ。

本の選択も同一となる。時代小説は無論日本人が出て来るが、これは時代が現代ではないから、こちらもファンタジーとして読める。池波正太郎がお気に入りである。ミステリだと、これまた現実から離れた話として読めるので楽しめる。最近は物騒な事件が多くて「事実は小説よりも奇なり」になっている感が否めないけれども。

「倍返しだ!」で有名な半沢直樹シリーズ(池井戸潤原作)も面白い。あれは現実世界の銀行員を主人公とした話だし、そういった意味では非常に現実感が強いのだが、最後は主人公が「倍返しだ!」と啖呵を切って勝利することが判っているので、これも安心して読める。それにしても、半沢直樹シリーズの原作は、タイトルがイマイチなのでなんとかならないだろうか。原作のタイトルは『オレたちバブル入行組』、『オレたち花のバブル組』、『ロスジェネの逆襲』、『銀翼のイカロス』である。前2つのタイトルは正直、そりゃ確かにそうなのかもしれんが、もう少し洒落たタイトルにして欲しかった。

先日、相方が「これ読み終わったけど、読む?」と文庫本を一冊手渡してきた。確認すると池井戸潤原作の「シャイロックの子供たち」という本だった。半沢シリーズをイメージして読み始めた。舞台はやはりメガバンクで、銀行員達が主役だ。
風呂に入り、浴槽に浸かりながら読む。いわゆる連作短編という奴だ。読んでいて、段々と辛くなってきた。池井戸潤が書いた小説なので話は文句なしに面白い。それぞれの短編がどう繋がっていくのか、最終章に向けての興味も深まる。

だが、だが、である。
出世争いに奔走し、同期よりも出世が遅れ、妻子に済まないと思い、ひたすら働き続ける人。
自分の給料で家族の生活を支えているため、ブランド物のバッグも買えず、恋人との旅行にも躊躇する女性銀行員。
ノルマ、ノルマに追われ、ついには精神を病んでしまう男。
俺の職業はシステムエンジニア(SE)だ。銀行員ではない。営業ノルマや出世とも無縁の人生だ。だが組織の中で働いていると、有形無形の圧力や精神的苦痛を味わうことにおいては、銀行員もSEも他の職業人も変わらない。

読んでいて、登場人物の苦悩や苦痛が悲しい程によく判る。入浴中にリラックスするために小説を読んでいるのに、読み進めれば進むほどに、辛い気持ちになってくる。全然リラックス出来ねーじゃねーか!
だが、この物語が最後にどう収束するのか、その興味は尽きない。そのため、現在もこの本を読んでいる。頼むから、最後はスカッとさせてくれ。

世の中、辛い話や悲しい話は至るところに転がっている。日々笑いだけで過ごせる人はそう多くはないだろう。
せめて架空の世界では、楽しさと嬉しさと喜びだけに満ち溢れていたい。
決して贅沢な望みではないはずだ。