Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

貴方がおばさんになっても

札幌で相方と生活していた頃、相方がよく週末に飲み会に出掛けていた。
「ほら、例の***さんや、@@@さん達との飲み会に行ってくるよ」
相方自身はアルコールは飲めるが、アルコール第一主義者ではない。酒が好きというよりも、酒の場が好きといったところか。

「今週は女性だけの集まりなんだー。女子会だよー」
相方がふざけたことを言ったので、俺は茶化した。
「(参加メンバーの)最年少が30代後半だろ。それ女子会じゃねえだろ。おばさん会だ」
「はいはい。元・女子会に行ってくるね」

女子会という言葉が流行りだしたのはここ数年だと思うけれども、一体いくつまでが「女子」なのだろうか?
多分、厳密な年齢定義で決まるものじゃないだろう。要するに心持ちの問題なのだろう。

実際問題、相方が「女性オンリーの飲み会」を「女子会」と称しても、実は俺は気にならない。相方も50歳だし、相方よりも年上の女性も参加している。この場合の「女子」というのはきっと「いつまでも美しくありたいと思う女性」の総称なんだろう。これは男の俺の勝手な想像だから、合っているかは判らない。

随分昔に、一回り以上年上の女性に言われた事がある(当時、その女性は40代半ばだった)。
「私の高校の先生にね、言われたのよ。40代なんて、まだまだ女性としてはこれから。大事なのは50代を過ぎて、60歳、70歳になった時なんだって。その時にどれだけ美しくなれるかが女性としての勝負なんだって!」
俺は当時まだ30歳前後だったから、「いくらなんでも60歳、70歳で女の勝負っておかしくね?」と思っていた。勿論口には出さなかったけれども。

だが、今自分が50歳を過ぎて、彼女の師が言った言葉の意味が多少は判るようになったつもりでいる。
若い頃なんて、男も女も放っておいても美しいに決まっているのだ。何と言っても、最高級の武器である「若さ」を持っているんだから。
歳を取って、若さという売りが無くなった時に、その人が何を自分の魅力として他者に示せるか、それが大事だという事を師は言いたかったのだろうと思う。
別に人に見せつけなくても、自分の心の奥深くに矜持として持っていれば良いという考えでもいいだろう。

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東京で相方と一緒に住んでいた頃、長野の温泉に出掛けた事がある。そこは水着着用での混浴温泉があった。二人で「チェックインしたら、まずは着替えて混浴温泉に入ろう」と話していた。
長野に着いたのが午後の二時くらいだったかな。長野と言えば、やはり蕎麦だろう。ということで、ホテルの近くにある蕎麦屋で遅めのランチを摂った。俺は天ざるを注文。相方はざる蕎麦だった。そして相方はざるを半分程度だけ食べて「残り食べて」と俺に寄越した。
「それしか食べなかったら、お腹いっぱいにならないでしょ」俺が問うと、相方は言った。
「今から水着でお風呂入るんだよ。お腹出てたら、みっともないじゃん!」
誰もお前の腹なんか、気にしちゃいねえよ。そう思ったが、俺はその気持ちは大切だなと思い直した。いくつになっても、美しくありたい、人に綺麗だと思われたい、そういった気持ちを失ったら、女性としては終わりなんだろう。
逆にそういった気持ちを持ち続けられるのならば、きっといつまでも、「女子」なんだろう。

混浴温泉は、俺達以外に客はいなかった。相方は「あー、蕎麦食べれば良かったー」と愚痴っていた。

俺もすっかり、おじさんというかおじいさんになった。若さは殆ど持ち合わせていない。若い頃に比べて皺は増え、腹は出て、髪は薄くなり、白髪が増えた。身体も随所にガタが来た。視力も落ちたし、耳も遠くなった。
見た目では、若い頃の自分には太刀打ちできない。だが、若い頃の飲んだくれオンリーだった俺よりも、今の俺のほうが趣味人としてはずっと上だという自負がある。30代前半の頃の俺は、サックスも吹けなかったし、ドラムも叩けなかった。ましてやピアノに触る事すらなかった。
当時の俺が吹いていたのは法螺で、叩いていたのは大口、触っていたのはお姉ちゃんのおっ**だけだ(一度、死んでこい、当時の俺)。

さすがにこの歳で、自らを「男子」と呼ぶのは気恥ずかしい。おっさんでいい。だが、若い頃の自分に負けないおっさんでいよう。相方がいつまでも自分を「女子」と呼んでいるように。