Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

死んだ時に、愛する人が涙してくれたなら、それは幸せな人生だったと言えるんじゃないだろうか…

さて、今日は非常にパーソナルな事を書く。というか、ここは俺の個人blogだから、書く事はいつだって個人的な話しかあり得ないのではあるが。

3月末にオヤジが亡くなった。
ついにその時が来たなぁ、というのが正直な気持ちだった。別に薄情な訳じゃない。既に3月中旬辺りにオフクロから「お父さん、もう駄目らしいから。持ち直すことはないんだって…」と連絡を受けていた。その時点で、時間の問題だと思っていたし、そもそも札幌に暮らしていた2018年に「東京オリンピックまで持たないかもしれない」と宣告は受けていたのだ。
それを想えば、オヤジも随分と頑張ったものだ。

オヤジが亡くなった連絡を受けたのが月曜。それから妹と葬儀の日程を土曜日(4月1日)に決めた。妹からは「アニキの仕事の都合で決めて貰って構わないんだけど」と打診を受けたが「いや、仕事都合にすると駄目だ。最短の日にしよう」俺は返した。親が死んでも仕事をしなくちゃいけないなんて、そんな世の中は馬鹿げている。
葬儀が土曜なら金曜の夜に群馬(俺の故郷)に行けば良いかな、そう考えていた。妹は火曜日には既に群馬に行っていた。彼女は専業主婦で車を持っているので、こういった時に有難い。
水曜の夜遅く、スマホに妹からメッセージが届く。「今から電話してもいいかな?」
電話に出ると、妹は泣いていた。泣いている理由は、父親を喪った哀しみからじゃない。母親がおかしくなっているのだと言う。
「さっきまで笑ってたのにさ、いきなり泣き出して、喚くんだよ。今は泣き疲れて寝ちゃった。どうしたらいいかな…」
うーむ。俺に出来る事は、オフクロの側にいてやることだろう。俺は妹に「明日、群馬行くから。待ってろ」そう伝える。
妹も取り乱していたのか、3度ばかり「アニキ、いつ来てくれるんだっけ?」と問うていた。皆、混乱している。

実家に帰る。家の周りの景色も、30年以上前に俺が家を出た時と変わらない。或る意味、時が止まったような空間だ。群馬の赤城山の麓の町なんて、もう化石のようなものだ。若者は群馬を捨てて出ていき、残るのは年寄りばかり。
帰ってみると、オフクロは思ったよりも落ち着いていた。多分、オフクロの狂乱状態は、夫を喪ったばかりの妻の一時的な錯乱的な状況もあったのだろう。また、俺が来たことにより精神的に落ち着いたというのもあるかもしれない。
実家にいても、葬儀までは実はやる事は何もない。オヤジの遺体は葬儀社で預かって貰っているので、葬儀まではオヤジの顔を見ることもない。
久しぶりに集まった家族で昔話や、どうでも良い話をするだけだ。そういった家族の昔話をすることが、オヤジに対する供養になるのかもしれない。
妹が「お母さんは、私には色んな事言うくせに、アニキは何にも言わないんだね」と不満をこぼす。これは何というか、立場の違いで視点が違うのだなと面白くなった。
妹はずっと「アニキばっかり贔屓されてた。お母さんは、アニキのことばっかりだった」と文句を言う。俺からすれば、末っ子長女でオヤジにアホみたいに甘やかされてたのはお前じゃねえかよ、と言いたくなる。
多分、世の中の兄弟姉妹はみな同じように「自分ばっかり損してた」と思うのだろう。

今回は家族葬を選んだので、葬儀は実にシンプル。お別れ会をして、遺体を焼いている間に食事をし、最後に骨を拾って終わり。
お別れ会も、家族が順に焼香をするだけ。シンプルでいい。坊さんのお経も戒名もなし。俺は無神論者だ。お経も戒名も要らん。
家族で焼香を終えた後は、棺が開けられる。葬儀会社の担当者が花を準備している。
「全ての花を故人様に備えてあげて下さい」
俺達は色とりどりの花をオヤジの遺体に添えてやる。俺は花の種類はよく判らないが、派手で綺麗なのが多い。
「お父さん、花が好きだったからね」とオフクロが言う。俺が、え? と驚いていると相方が言う。
「庭に綺麗に花が手入れされてたじゃない。あれ、お義父さんがしたんじゃない」
そうだったのかー。オヤジと花のイメージがなかった(冒頭の花の画像は、実家の庭のものです)。

ついで、オヤジが生前着ていたスーツ、会社から貰った表彰状、ハイライト(若い頃にオヤジが好んで吸っていた煙草だ)、阪神タイガーズの記念グッズを入れてやる。なんで群馬生まれの群馬育ちのオヤジがトラキチなのだろうか。今でも謎だ。それと、ペヤングカップ焼きそばも入れてやる。オヤジが焼きそば好きだったことを、オヤジが死んでから知ったよ。結構、親のことなんて判らんもんだな。

妹がオヤジの顔に触れ「めっちゃ冷たいよ。触ってみて」と言う。今更死んだ父親の遺体に触るのもどんなもんかとも思うが、まあ触ってみるか。と、確かに冷たい。ドライアイスとか、そういったもので遺体を冷やしていた関係だろう。
死に化粧を施されているせいか、オヤジの顔は思ったよりも綺麗だった。とはいえ、年寄り特有の顔でシミだらけだったが。

焼き場に向かい、スタッフから「それでは最後のお別れになります」と告げられ、皆で順番に最後のお別れをする。
オフクロが棺を愛しそうに撫でながら「サーちゃん(オヤジの愛称)、ありがとね、ありがとね」と囁いていた。
結婚して60年近く一緒に暮らし、互いに憎く思ったことだってあるだろう。別れようと思ったことだって1度や2度じゃ済まないだろう。
それでも、オフクロは最後までオヤジの側にいた。俺は正直、オヤジの人生が幸福だったのかは判らない。それでも死んだ時に、自分がこの女だと選んだ女が老婆となっても一緒にいてくれ、自分のために涙を流してくれる。これ以上に幸福なことなんてないんじゃないかな。

火葬が始まり、オフクロは部屋の隅に行き、静かに泣き続ける。俺はゆっくりと傍により、オフクロの背中をさする。妹も近くに来る。この時ばかりは、相方も義弟くん(妹のご主人)も俺達だけにしてくれる。気持ちの判る人ばかりで良かった。

焼き終わるまで80分掛かるとのことで、待合室(食事処)に行く。豪華な二段の幕の内弁当だった。取り合えず、日本酒で献杯し、その後はビール。さすがに相方もこの日は、俺の飲酒をとやかく言わない。
朝から何も食っていないのだが、全く弁当のおかずに手を付ける気持ちになれず、酒ばかり飲んでいた。
「食べないの?」相方に問われ、「なんか食う気しないんだよね」と返す。俺も一応は長男だからね、オヤジの死に対してショックを受けるくらいの権利はあるのかもしれない。というと、なんか繊細な感じだが、実は前の晩に酒を飲み過ぎて二日酔いだったことは相方には秘密だ。相方は事情により、葬儀当日に群馬に来たので。

焼き終わったと連絡を受け、スタッフから焼きあがった骨の説明を受ける。「ここは、xxの辺りです。こちらの骨がxxの部分です」みたいな。その説明いるのかな、とは思ったが。
骨壺にそのままの形だと骨が入らないので、スタッフの女性がゆっくりと擦り棒みたいな奴で骨を砕く。俺は「入らないんだから、砕いて細かくするしかないけど、これにクレーム入れる遺族とかいるんだろうなぁ」と思う。また、細かく砕けた骨をスタッフは細かい刷毛みたいな奴で拾って、骨壺に入れる。この時もきっと「ちょっと、そこにまだ残ってるでしょ!」とか言う人もいるのだろうという想像はついた。
後で相方と「あの刷毛ってさ、前に焼いた人の骨とかも混ざってるんじゃないかなー」と言い合った。となると、俺のオヤジの骨の一部も、全く見知らぬ人の骨壺に入っているのかもしれない。

葬儀のあと、4日間も群馬にいたのだが、それは無論、オフクロの状態を心配してのことだった。そのつもりで忌引き休暇も貰っていた。耳が遠くなり、反応が鈍くはなったが、俺が20歳の大学生の頃と全く対応が変わらないのは笑ってしまった。「お腹空いてない、何か食べる?」
そして妹が「(アニキは)子供じゃねーんだから、ほっときなさいよ!」とキレる光景にも慣れた。

オフクロには「妹には言いづらいこともあるだろう。それは俺に言えばいい。俺に言えないことは、妹に言いなよ。上手く使い分ければいい」という意味のことを何度か繰り返し言った。それでもやはり、オフクロが俺に色々言うことはあまりない気がする。何故なら、それで今までずっと来たからだ。今更、80歳を過ぎた女性の考え方や、やり方を変えるのは難しい。

群馬を離れる日、妹の車で駅まで送って貰った。車を降り、手を振ると、車の後部座席からオフクロが淋しそうに手を振っていた。また、そのうち群馬には行かなくちゃいけないのだろう。というか、これからは定期的に行かねばならないのだろう。
相方から「55年間、長男の仕事を放棄してきたんだから、もうやらなきゃ駄目なんだよ」と言われたことを思い出した。

やれやれだな。
「オヤジ、アンタの愛する人をいつ引き取ってくれてもいいんだぜ」そうオヤジに憎まれ口を叩きたくなる。多分、オヤジは言い返してくるだろう。
「多少は親孝行の一つでもしてみろ」
やれやれ、だな…