Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

Mother,Father

何もせず、引きこもってゴールデンウイークが終わった。そしてまた在宅ワーク。やれやれな日々だ。

ふと、そういやオヤジとお袋はコロナ大丈夫かな?と思い、電話する事にした。群馬の赤城山の麓に住んでいるから、三密とは無縁である。何しろ、隣の家とも離れているし、最初から密接するほどの人がいない。
それでも二人とも年寄りだからな。電話して生存確認しておくか、その程度のちょっとした考え。

電話をすると、お袋が出た。
「どうしたの、何か用事?」
「いや、コロナ流行ってるじゃんか。心配だから、電話してみただけだよ」
「あら、そう。お父さんも私も大丈夫」
そうだろうとは思った。ただ、オヤジは医者から東京オリンピックまで持たないかもしれないと言われた状況だ(末期の**なのだ)。ちなみに延期する前のオリンピックの話。いつ何があってもおかしくない。正直、今年いっぱい持つかも判らない。

「そんな事より、お兄ちゃん。声がおかしいよ。熱あるんじゃない。調子悪いんじゃないの?」(お袋は俺の事をお兄ちゃんと呼ぶ。俺が三人兄弟の長男だからだ)
「おかしくはねえよ。体調だって悪くねえし。声が濁声なのは、いつものことだよ」
「熱は測った? 体温計は持ってるの?」
「だから、熱はねえよ。体調だっていつも通りだよ」
「測りなさいよ。体温計は持ってるの?」
「だから、体調はおかしくねえって言ってるだろうが」
「いや、声の調子がおかしい。お兄ちゃん、心臓か肝臓が悪いんじゃないの。この騒ぎが収まったら、医者行きなよ」
「当分、医者なんか行けるような状況じゃねえだろ」
しつこく追及するお袋に辟易しつつ、二人が特に問題ないことを確認して電話を切った。

全く、これだから敵わない。向こうの心配して電話すると、逆にこちらが心配される始末である。

午後一時になろうかと言う時に、スマホが鳴った。表示を見ると、実家からだ。
「なんだよ、何かあったの?」
「いや、朝の声聴いたら、心配になっちゃって。本当に大丈夫なの?」
かぁー、しつこい。
「だから、大丈夫だって言ってるだろ」
その後も延々と会話を繰り広げそうになるので(年寄りは話が長いのだ)、「もう一時だから。仕事だから」と言って電話を切った。むろん、在宅ワークなのだから、一時を多少回って電話をしていても全然構わないのだ。上司が見張っている訳じゃないのだから。
だが、こういう時、お袋の電話が長くなるのは目に見えているし、話が違う方向に飛び火するのも判っていたので、早々に切ったのだ。

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(この写真は、相方と義母のツーショット。金沢、兼六園だ。親子は仲良くしたほうがいい。俺が言っても説得力ゼロだが)


医療のプロでもないお袋が、電話越しの俺の声を聴いただけで、勝手に心臓だの肝臓だのが悪いと言い出すのは素人の典型的な生兵法である。自分の息子だから、全て判っていると思っているのも、これまた母親の思い込みだ。
お袋の知っている俺は、せいぜい生まれた時から19歳までの俺でしかない。それ以後の俺は、オヤジやお袋以外の人間と多く関わって、生きてきたのだ。

既に50年以上も生きてきた人間(俺のこと)を、自分が一番判っていると思い込んでいるのも、ある意味「母親」という生き物の証明なのかもしれない。
彼女からすれば、俺はいつまでも、臍の緒が着いた赤ん坊であり、風邪を引いてゲロ吐いてた時は、背中に負ぶって病院まで運んだ小さい男の子のままなんだろう。

そういえば、俺がオヤジの身長(170センチ)を抜いたのはいつだっただろう(俺の身長は177センチ)。あの頃からだろうか、お父さんという呼び名がオヤジに代り、母さんという言葉がお袋に変わったのも。

今更、年寄りにそんな体調の心配されたくはねえよ、自分の心配しとけというのも本音としてはある。だが、彼らがそうやって既に50歳過ぎた老人一歩手前の男の心配をする権利があるのも判る。
何故なら、彼らは俺の父親であり、母親であるからだ。

この歳になっても、そうやって心配してくれる親がいる事を、俺は感謝すべきなのかもしれない。俺くらいの年代になると、そうやって心配してくれる親がいない人だって、かなり多いのだろうから。

お袋との電話を切る間際に言った言葉を俺は反芻した。
「とりあえず、オヤジやお袋より先には死なないから安心してくれ。それが俺の出来る唯一の親孝行だから」