Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

カミングホーム

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明日、久しぶりに群馬に帰る。群馬は俺の故郷だ。群馬に帰るのは何年振りだろうか。前回帰ったのは、札幌から東京に引っ越して、暫くした時だった。あれは2019年の6月だ。自分でもblogに書いていた。
久しぶりの帰省 - Some Were Born To Sing The Blues

札幌で暮らしていた時に、お袋から連絡があった。「お父さん、東京オリンピック(2020年)まで持たないかもしれない…」
オヤジはガンに罹っていた。本人も「ガンが早いか老衰が早いかだなぁ…」と達観していた。札幌から群馬だとそう簡単に帰れない。当時は、まさか3年弱で東京に舞い戻るとは思っていなかった。俺が60歳を超えるまでは札幌で暮らす想定でいた。だから、お袋から電話があってから、すぐに相方を連れて群馬へ行った。生きているうちに顔を見ておこう、そういうつもりだった。群馬から札幌に連絡が来た場合だと、間違いなく最後の時に間に合わないから。

その後、俺は1人で東京に戻り、相方は札幌に残った。俺の地獄の単身赴任生活の始まりだった。東京に戻って群馬に帰り易くなったので、1度顔を見に行った。その時はまだオヤジも元気だった。あれから3年が過ぎた。医者に宣告された東京オリンピックも無事に生き延びた。だが、オヤジも良い歳だ。82歳になる。そろそろ冗談抜きで、オヤジのお迎えの日は近い。オヤジがいなくなる前に、家族会議を開催して「骨肉の争い」をしなくてはいけない。争うような遺産はないのだけれど。

今回は妹も群馬へ来る。妹と会うのは、俺が相方と一緒になる時に開いた「お食事会」以来だ。よく考えたら、妹と15年弱会っていない計算になる。
実の兄妹が10年以上顔を合わせていないのが、異常なのか普通なのか俺には判らない。多分、あまり一般的ではない気もする。だが、そもそも顔を合わせる理由が俺には見つからない。妹は何十年も前に結婚して子供がいる。つまり妹には妹の家族があり、俺には俺の家庭がある。血の繋がりこそあれ、もはや俺達は他人だ、それが俺の考えだ。
この考えも一般の常識からはかけ離れているのかもしれない。だが、当事者がそれで良いと思っていれば、他に迷惑をかけるものでもない。他人にとやかく言われる筋合いはない。

今回、妹も群馬に来るのは前述したように、いよいよもってオヤジのタイムリミットが近づいた為だ。生前に話しておくべきこと、聴いておくべきこと、言っておきたいことを全て吐き出す、それが今回の家族大集合の目的だ。争うような遺産がないのは幸福なのか不幸なのか、俺には判らない。

お袋はお袋で「お兄ちゃん(俺)には言いたいことが言えない」と妹に愚痴っていた。その愚痴を妹が俺に電話で詰る。なんの伝言ゲームだ、これは?
妹と電話で会話したのも数年振りだった。「兄貴さあ、どういうつもりなの?」電話で妹に怒られる50歳過ぎたおじさん。情けない。

若い頃から好き勝手にやらせて貰ってきた。高校は4年も通い(高校2年生を2回やった)、その癖して、大学は3年で辞めた。サイパンで就職したが、劣悪な環境なので逃げ出してきて、その尻ぬぐいを親にやらせた。その後、就職をしようにも家がなかったので、アパートを借りるために親から金を借りた。その金を返す前にさらに借金を申し込んだ。結局、借金は踏み倒している。今の俺からすれば返せない額じゃない。それでもしらばっくれている。高校の余計な1年、大学の入学金や授業料、全てドブに捨てたのと同じだ。親に何百万も無駄金を使わせた。
昔、一緒に暮らした女性に年収の半分強の金を持ち逃げされた経験がある。今思い返せば、あれは因果応報だったのだ。俺が親にしたことを、俺は自分の女にされただけの話だ。

人生なんてそんなものだ。誰かに優しい行いをすれば、それは思わぬところで有難い恩恵をもたらしてくれる。非道な行為をすれば、後で痛い目に遭う。不思議なことでもなんでもない。人生万事、塞翁が馬だ。

今更、不良息子である長男が親に何かを出来るとも思えない。天国への階段を昇ろうとしているオヤジに出来ることも、そのオヤジを見送ろうとしているお袋に掛ける言葉も見つからない。
だとすると、妹も含めた俺の家族が俺に言いたい文句やお願い事くらいは聴いてやらなくてはいけないのだろう。他に出来ることなど見当たらない。 

最初で最後の親孝行、妹孝行をしてくるか。今の俺はそんな気分だ。