Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

永遠に美しく

土曜日の夕方、相方が病院(美容整形外科?)から帰って来た。1年に1度、ヒアルロン酸を注入しているのだと言う。俺と知り合ってからも、そんなことしてたのかなと思うが、彼女が好きでやっていることだから、特に俺が何かを言うことはない。
また費用だって、彼女自身が稼いだ金で支払っているのだ。良い意味で「お好きにどうぞ」である。

俺達がまだ東京に住んでいた頃の話だ(10年近く前の話)。マンション(とか言ってるがUR賃貸だ)の敷地内で70代であろうと思われる女性とよく遭遇した。彼女は身長150センチ程度の小柄な人なのだが、ミニスカートを穿いて、ハイヒールで闊歩していた。
「元気なおばあちゃんだなあ」というのが俺の感想。

相方は当時も今と変わらず、化粧や美容に金を費やしていた。相方が何か美容に金を掛けていることをからかった時のことだと記憶している。
「女房が皺くちゃババアでもいいの?」相方は反論してきた。歳喰えば、男女問わず皺くちゃになるのだから、仕方なくねえかと言うと、相方は「私は抗うよ!」と高らかに宣言していた。
「ねえ、ミニスカートにハイヒールのおばあちゃん、見たことある?」相方が質問してきたので、「何回か遭遇したことあるよ。あの歳で、ミニスカートにハイヒールは凄いよね」と俺が返す。
相方は言う。
「あの人は私の目標だよ。私も将来はああいったおばあちゃんになるんだ!」
なるほど。その心意気は大事かもしれない。

何年か前になるけれども、洗面所で髭を剃っていて気付いた。鏡に写った自分の顔に見覚えがある。いや、そりゃ自分の顔なんだから見覚えあって当然なんだが、「どこかで見たような顔だな…」と。
気付いた。死んだオヤジの顔によく似ているのだ。いや、親子なんだから似てて当然だろという話ではない。歳喰って、顔に皺が増え、染みも出来て来た。それが老人になったオヤジの顔によく似ていたのだ。
その時、俺は自分の「老い」を初めて実感したのかもしれない。俺もまだ50代なので「老い」を言い出すのは早い。というか、いくつになっても人は「自分は若い」と思い込んでいる生き物なのかもしれない。

だが、それで良いような気がする。相方のように、ヒアルロン酸注入だ、睫毛のエクステンションだなんだと金を注ぎ込むのを「無駄な努力」と馬鹿にするのもある意味正論だ。実際、相方が金をどれだけ掛けて、コストパフォーマンスとして、どれだけの効果が得られているのかは不明である。
だが、彼女がそういった行為を続け、「自分はまだまだイケる」と思えるような心境になることが大事だと思うのだ。

で、土曜日の夜に話は戻る。帰宅した相方はマスクをしていた。
「ヒアルロン酸打ったら、顔が腫れちゃって…」
マスクを外した相方の頬は、おたふく風邪に罹った人のようにパンパンに腫れていた。
「痛くて、口が開けないから、ご飯食べられない」と言う。「じゃ、俺は蕎麦でも食うよ」とざる蕎麦を食した。相方は飲むゼリーを食べ、買ってきたお握りを箸で崩しながら食べていた。殆ど食べられなかった模様。

そして、日曜も同じ状況が続き、月曜は顔が腫れているし、ご飯も食べられないから仕事を休むと言う。土曜日の夜は、痛くて殆ど眠れなかったらしい。
【美】というものは、「我慢と忍耐だ」とは相方の弁。確かにそれは頭では判るが、「そこまでしてやりたいのかね」などと俺は思う。その辺りが男と女の違いなんだろう。
というよりも、外見の美しさを維持したいと思う人(相方)と思わない人(俺)の違いなのだろう。

今思い返してみると、確かに俺も30代の頃はまだ肌もスベスベしていたよなー。髪も真っ黒でサラサラだったなーと。40歳を過ぎた頃から、肌に染みや皺が増え、髪の色が抜けて、髪そのものも減って来た。泣けるぜ。
とは言え、俺は肌に良いなんとかローションとか塗ろうとも思わないし、育毛剤を買って、去り行く髪を取り戻そうとも思わない。どうせ、いつかは皺くちゃのつるっぱげジジイになるのだ。というか、その前に俺の場合は棺桶に頭まで入ることになりそうだけれども。

だからと言って、相方の涙ぐましい努力を笑う気はない。人がいつまでも美しくありたいと思うのは自然なことだし、それはとても素晴らしい志だ。
ただ、ハイヒールはともかく、相方がミニスカートを穿いてるのは見たことないんだけれど。無論、見たい訳でもないのは、言うまでもない。