Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

執行猶予期間が終わった

8月になって、俺の執行猶予期間が切れた。なんの事かと言えば、1年半弱の在宅ワークが終わり、現場に出る羽目になったのだ。前の現場は2月で終了していた。それから単発の仕事をやったり、オンライン研修を受けたりして7月までを過ごした。
毎日、亭主が家にいるので相方はうざかっただろうと思う。尤も、3月から7月までの平日はほぼ俺が晩飯を作っていたのだから、そこは多少の感謝があってもよい。それにしても、一週間でメニューの底を尽いた時は、世のお母さんは立派なものだとしみじみ思った(もし貴方の家でご飯を作っているのがお父さんなら、お父さんに感謝である)。

8月から朝7時に起きて、7時半に家を出る生活。これはそれほど苦にはならなかった。辛かったのが8月なのにマスクを朝からずっとしっぱなしで、電車に乗らねばならないということだ。去年の8月は在宅ワークだったから、ボロアパートとは言え、クーラーの効いた部屋で電車に乗ることもなく、仕事をしていられた。去年の夏はボロアパートで単身赴任生活をしていたのだよなぁ。もうあれから1年過ぎたのか…
人がいる場面では、この猛暑の中ずっとマスクをしているのがこれほど大変だとは思わなかった。

現場に着くと、既に滝のように汗が首筋を伝う。仕事に行く時はハンカチとは別にフェイスタオル持参が必須である。ボディシート(顔を拭くとスッとする奴ね。メンソール系でヒンヤリ効果があるシート)は机の引き出しに常備。
昼休みにコンビニに昼飯を買いに行くだけで、腰の辺りに汗が溜まるのが判る。

そしてヘロヘロ状態で帰宅。在宅ワークの時は6時になってパソコンをシャットダウンした瞬間から、自分のプライベートタイムだ。だが、現場へ出勤していると、現場から自宅に帰るまでの1時間半弱の通勤時間がさらに掛かるのだ。
そして当然帰りも汗だくになる。
家に着いた頃は一日の汗で、肌着がビショビショである(誇張でもなんでもない)。

この酷暑とマスクのダブルの攻撃で体力は削られ、さらに帰宅は20時過ぎが当たり前の生活。とてもじゃないが、今までのように、平日に楽器をいじっている余裕が一切なくなった。
精神的余裕じゃなくて、体力的余裕がないのだ。

晩飯を食って、ちょっと休憩するともう夜の10時近く。そこから相方が風呂に入り、次は俺。相方が風呂に入っている時間は、ニュースを見る時間である。本当はこの時間にギターかピアノでもやりたいところだが、気力体力が追い付かない。それほどまでに、この8月の酷暑攻撃は凄かった。
1年半の執行猶予期間のせいで、真夏の通勤から心身ともに遠ざかっていたために、久しぶりの娑婆の生活が堪えた。

そうしているうちに8月が終わってしまった。これはまずい。疲れたとか言ってる場合じゃない。9月には友人とアコースティックギターデュオを再開させるのだ。課題曲4曲あるのに、まだアレンジが1曲も出来ていないじゃないか。
一応、仕事の帰りに音楽プレイヤーを聴きながら、頭の中でアレンジのイメージは作った。だがこういったものは実際に形にしないと駄目である。頭の中にある、なんていうのはある種の言い訳だ。

今日は相方が風呂に入っている間に、既に頭にイメージが出来ている曲の構成、アレンジを譜面に書き出した。下がそれだが、無論これは俺専用のオタマジャクシで、一般の音楽の世界では誰も読めない、理解出来ない譜面だ。が、俺自身これを見れば何をしたいかが判るから、それで良いのだ。f:id:somewereborntosingtheblues:20210901005304j:plain

そして久しぶりにアコースティックギターのチューニングを合わせて、途中まで弾いてみた。ギター弾くの、何か月振りだ?
久しぶりに弾いたギターの感想と言えば「うん、やっぱり面白れぇーなー」に尽きる。ああ、疲れた疲れたなんておじいちゃんになってる場合じゃない。

仕事がキツイ時こそ、自分の好きなことをやるべきだ。そうしないと、体の疲労に心まで引っ張られて、共倒れになってしまう。
まだアコースティックギターデュオのアレンジは3曲残っているし、ピアノもやらねばならぬ。もう「疲れた」なんて言葉は封印だ。