Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

俺がピアノを弾く理由

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楽器演奏、作詞作曲、小説や詩、絵、写真撮影などを趣味としている人に共通しているのは「作品が完成したら、人前で披露したい」だと俺は思っている。
俺なんかは判り易い例で、ギターやピアノの演奏がある程度出来たら、動画に撮ってそれをこのblogで紹介している。見ている人からしたら「こいつ、また懲りもせずに下手な演奏あげてやがる」と呆れていることだろう。
だが、それが俺の趣味であり、やりたい事なのだから仕方がない。
一番やりたいのは、バンドでライブ活動をすることだが、今は時勢柄無理なので個人演奏で我慢しているのだ。ああ、バンドの中でドラム叩きたい。

小説や詩を書いている人は、色々な文学賞などに応募したりしているのだと思う。或いは趣味の集まりの中で発表する場があったりするのかもしれない。絵や写真をやっている人は自分で個展を開いたりとか。blogに自分の絵や写真などの作品を載せている人も多く見かける。俺は絵、写真の才能が一切ないので、そういった人達をいつも羨ましく思って拝見している。

だから俺の中では出来上がった自分の作品(演奏だったり、小説、詩、絵画、写真など)を人に見せるのは自然な流れだと思っていた。
札幌時代の話になる。当時、ピアノ教室に通っていた。ピアノを習い始めて半年くらいの時に、ピアノの先生に言われた。
「教室の発表会があるんですけど、参加しますか?」
当時、俺はまともに弾ける曲が殆どなかった(それを言うと今もあまりない)。でも、ピアノを弾けるようになって人前で演奏してこそ楽器は意味がある、そう考えていたから二つ返事でOKと答えた。
ピアノの先生は笑って言う。
「そうだと思いました。貴方は絶対に参加するだろうって」
なんだよ、お見通しか。先生はさらに続けた。
「会員さんの中には、人前で演奏するなんてとんでもない、って人が結構いるんですよ」
「えー。意味判んないなぁ。何の為に教室通って習っているんだろう…」
「人前で演奏するのは恥ずかしい。自分一人の中で演奏出来ていればいいって人もいます」

俺はその考えがよく判らなかった。だが、今だと多少はその感覚が理解出来るようになった。俺自身、今は家で毎日少しずつピアノの練習をして、曲を完成させようとしている。
曲が完成したら、無論このblogで「弾けるようになったよー」と報告するつもりでいる。演奏動画も図々しくアップするだろう。だが、仮に発表する場が無くなったからと言って、俺はピアノをやめたりはしない。
仮に「ピアノを続けても良いが、人前で演奏したり人に聴かせてはいけない」という縛りが発生したとしても、俺はピアノを(ピアノ以外の楽器もだ)続けるだろう。

何故なら、ピアノを弾いていると楽しいからだ。昨日は弾けなかったフレーズが今日は弾けるようになった、苦戦していた右手と左手のコンビネーションが上手くいった。そうなったら自分自身が嬉しくなるのが判るからだ。
練習はいつも楽しいとは限らない。弾けないとイライラするし、「なんでこんな簡単なメロディに苦労してんだろ」と自己嫌悪にも陥る。
それでも、それを乗り切って弾けるようになった時の喜びを俺は知っている。

これは楽器だけに限った話じゃないだろう。詩を書いていて、イメージにぴったりの言葉が降りてきて、思わず「やった!」となる人もいるんじゃないか。写真を撮って画像を確認したら、自分の想像を遥かに超える世界が創造出来ている事もあるかもしれない。
その時に他者の賞賛の言葉があればさらに喜びは増す。だが自分自身が納得して満足出来れば、きっと進んでいける。いや、納得出来なければ「よし、もう一度挑戦しよう」とまた歩き出すことが出来る。

俺のピアノ演奏を一番最初に批評するのは俺だ。そして一番最後に「ま、頑張ったじゃん。次はもうちょい上手くなろうぜ」と評価してくれるのも、やっぱり俺。
無論、他者の言葉はとても嬉しい。素直にそれは励みになる。だが仮に世界中で誰一人、俺の演奏を聴いてくれなくても、俺には俺自身がいる。
そう考えれば、案外やっていけるものなんじゃないだろうか。