Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

アマチュアミュージシャンはストリッパーだ

www.youtube.comコロナのせいで、日常が全く変化の無いものになってしまった。毎日毎日、ほぼ同じことの繰り返し。気が滅入る。
そういえば、昨日の昼に相方から電話があった。
「生きてる~?」が第一声。「コロナで死んでたら、やばいからさ、生存確認の電話だよー」
相方はケラケラと笑っていた。
「一人暮らしで死んでてさ、ミイラになってたら、嫌じゃん。清掃業者に頼まなくちゃいけないから。ミイラになってたら、私、絶対に部屋は入れないもん」
さらに相方は笑う。全く、やれやれだぜ。俺がミイラになってたら、お前が片付けろよ。お前、メキシコ行ってミイラ博物館を楽しんでたろ(笑)

ピアノ教室も休校なので、ここ二週間はピアノも弾いていない。良くないなあ。部屋が散らかっていて、ピアノを弾く状態にないんだよな。まず部屋の掃除をやるべきだな、これは。
と、そこで休校前に教室での練習風景を録画しておいたのを思い出した。それをアップする事にする。

いかんせん、ピアノを始めたのが2017年、札幌に行ってから。二年ちょっとやったが、去年東京に戻って、半年以上のブランク。そしてピアノを再開(この話は何度も書いている気がする)。50歳で始めたピアノ。当然、そんな簡単に進歩する筈がない。むしろ後退している。
だが、それはいい。仕方のないことだ。

よく楽器(これは歌をやっている人も同じだと思う)をやっている人は、自分の練習風景を撮影するべきだと言われる。これはサックスの先生にもピアノの先生にも言われた。ただ、自分の演奏を録画して見直すというのはかなり恥ずかしい。
まだライブとかなら良い。そのライブの雰囲気(臨場感)も込みでのものとなるから、多少は演奏がマシに聴こえる。

だが、純粋な練習を録画すると、これを見返すのはかなり厳しい。よっぽどのメンタルがないと、最後まで聴き通すのが辛い。何故なら、死ぬ程下手くそだからだ。
下手という意味では、俺のギター、サックス、ドラムもかなり酷い。だが、ピアノはちょっと別次元だ。ギター、サックス、ドラムに関しては、下手は下手なりに7割の力の入れ具合で演奏出来ているのが自分でも判る。いわゆる「肩の力が抜けている」という奴だ。これはやはりバンドで他の楽器と一緒に演奏した経験がそれなりにあるから、というのが大きい気がする。
だから、自分の中で「ここはこうやって演奏して」とか「ここで、***(他の楽器)の音と合わせて」とかを考えて演奏する事が出来る。

ピアノはまだ他の楽器と合わせて演奏した事がない。だから、自分の演奏でいっぱいいっぱいになってしまう。
動画を見ても「指の動きがぎこちないなあ(無駄な力が入っている)」と思うし「手首が下がってんじゃん。これじゃ駄目だよー」と反省点がいくらでも見つかる。
練習動画を撮って見返すのは、そうやって自分の駄目な点を確認する為のものであるから、そういう意味ではこれは正解だ。

じゃ、なんでアップする必要があるのか? と問われたら「取りあえず、下手だけどここまで出来たから、暇だったら聴いてね」という恐ろしい自己顕示欲があるからに他ならない。
もし俺が今、35歳でピアノ始めて2年程度だったら、この演奏はアップ出来ない。俺にも「恥」という概念はあるのだ(笑)

だが、歳喰ってきて、羞恥心のようなものが、明らかに薄れて来たのかな。もし他の人が俺の演奏と全く同じレベルのものをアップしていたら「この人、よくこの演奏を人様に聴かせる気になるよなあ。恥ずかしくねえのかな」と思ったことだろう。だけど、もし他の人が50代だったら、どうだろう「いやあ、あっぱれ。頑張ってますねー」と気の持ち様が変わるような気がする。

と思ったが、年齢を言い訳にするのは無しだな。
うん、年齢が楽器上達の妨げになっているのは事実。でも、それを言い訳にしていたら、いつまで経っても上達しない。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」とルターも言ってるじゃねえか。

話はちょっとそれるが、こういった自分の下手な演奏を平気でアップする人(無論、自分の事)って、天性のストリッパーなのかもしれない。
職業でストリップをやっている人は別として、お金貰える訳でもないのに、人前で平気で裸になる人っているでしょ。あれって、自分の肉体に自信がある訳じゃない。それでも平気で脱ぐ。俺みたいな下手くそなプレイヤーが自分の演奏動画を上げるのって、それに近いのかも。
「私の裸を見て、見てー」みたいな感じ。

女性のストリッパーに遭遇した事はないんだよなあ。男のそれなら何度かあるんだけど(嫌な過去を思い出した)。