Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

若き君にエールを贈る

去年の12月から川崎のピアノ教室に通っている(ピアノ自体を始めたのは2017年)。
ピアノ講師のM先生はまだ若く(25歳前後)、美人でぽっちゃりさん(俺はぽっちゃり体形の女性が好みなのだ。黙らんか、ジジイ)。彼女にピアノを習う時間は俺にとって非常に楽しい時間だ。オッサン、ピアノ習ってんのか、若い好みの女性とお喋りするのが狙いなのか、どっちだ? そういった突っ込みもあるような気がする。答えとしては、両方だとしか言い様がない。蛇足ながら、7対3で彼女とのお喋りが目的である(黙れ、エロジジイ)。

ところが、M先生は5月いっぱいで退職すると言う。せっかく半年楽しく習ってきたのだが、彼女自身が自分の将来を考えての決断だ。俺がとやかく言えることじゃない。ただただ、残念だ。あの綺麗な瞳と、がっしりとした腰回りがもう見られないかと思うと…(だからその口を閉じろ、変態ジジイ)
先週の土曜日に最後のレッスンがあった。彼女に「今日は最後ですから、もうレッスンは(しなくて)良いです。代わりに1曲弾いて下さい」とお願いした。弾いて貰ったのは"My Favorite Things" ベタだが、ジョン・コルトレーン(ジャズサックス界の巨匠)の演奏を聴いて、俺は「Sax吹けるようになりたいなぁ」と思ったのだ。俺がジャズを聴くようになったきっかけの曲だ。
M先生の演奏は許可を貰って録画した。今後、折につけ、俺は彼女の演奏を聴くだろう。ピアノを弾くのに飽いたり、挫折しそうになった時は、彼女の演奏を聴いて気分をアップさせるのだ。でもきっとそんな気分にはならないと思う。ピアノは弾いているだけで楽しいから。

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最後のレッスンが終わる時、俺はM先生に言った。
「ピアノは勿論M先生が俺の師匠だけれども、一応人生では俺のほうが先輩だから、一言だけいいかな」
「はい」とM先生は綺麗な瞳を輝かせて返事をする。
「年寄りが若い人に偉そうに説教とかすんの、俺大っ嫌いなんだよね(じゃ、するなよ)。でも一つだけ。あんまり頑張り過ぎないようにね。仕事なんて、70%くらいの頑張りでいいんだから。100%で頑張ると潰れちゃうから。俺、頑張り過ぎたせいで潰れた人を沢山見て来たから。だから、70%くらいでいいんだからね」
果たして俺の真意がMさんに伝わったかは判らない。正直、伝わってはいないだろう。そんな偉そうな説教を若者にするのなんて、年寄りの自己満足だ。みっともないにも程がある。
それでも言わずにはいられなかった。

若いMさんは今後新しい道へ進んでいく。きっと今までにない苦難や苦労に出遭うことになる。その時、彼女がそれらを乗り越えていけるか、回避するか、それともそこで潰れてしまうか。それは誰にも判らない。無論、Mさん自身も判らないだろう。
「ああこれは辛い。ちょっと無理かもしれない」そんな状況になった時に「なんとしてもこの壁を乗り越えるんだ!」と死ぬ思いでそれらを乗り切って、自分が一段上にいけた、そう思えればそれは幸運だ。そうなって欲しいと思う。だが、世の中、シンデレラストーリーばかりじゃない。
時にはどう頑張ったところで、乗り越えられない、突破出来ない壁にぶち当たることもある。むしろ、そのほうが多いかもしれない。そんな時に挫折感に苛まされて苦悩して欲しくないのだ。そんな時こそ「まあ、失敗してもしゃーないな。次いこう、次」と割り切って欲しいのだ。ただ、そういった割り切りは若ければ若いほど難しいと思う。だって、誰だって自分は出来るとどこかで信じているし、そう思いたいものだから。

若い頃の俺もそうだった。俺の仕事はシステムエンジニアだ。若い頃、俺は一流になれると思ってこの仕事をやっていた。ところが、この仕事に従事して数年が経ち、自分で思ったほど俺は仕事に対して有能でないことに気付いてしまった。
三流の技術者としてずっと誤魔化しながら、この世界で生きて来た。そしてキャリアはもう30年近くになる。キャリアだけは積んだが内容はスカスカだ。それでも生きてこれた。運が良かったというのもある。一緒に仕事をした仲間に恵まれたというのもある。今まではそれでやってこれた。今後どうなるかは判らない。でも、考えても仕方ない。考えてもどうなるものでもない。だから、死ぬ思いで頑張るつもりはない。Mさんには「70%の頑張りで良い」と言ったが、俺自身の仕事に対するスタンスは「60%くらいでいいんじゃね?」である。
自分で頑張ってもどうにもならない事に頑張ると、疲れるだけだ。あとは天運に身を任せればいいじゃないか。

俺は趣味でSaxを吹き、ドラムを叩き、ピアノを弾く。時にはギターも弾く。それらのレベルは全て最下層。ようは初級者レベル。永遠の初心者だ。でもそれで構わない。
無論、もっと上手くなりたいという気持ちはある。その火だけは消えたことはない。でもその為に死ぬ思いをしてまで頑張ろうとは思わない。頑張り過ぎて、楽器演奏そのものを嫌いになりたくないからだ。偉そうに言っているけれど、頑張っても上手くはならないんだけれどね、才能ないから。

人生なんて辛いシークエンスの連続だ。頑張っても報われないことも多い。だからこそ、辛い出来事に遭遇したら、逃げるのも有りだ。逃げるは恥だが役に立つ? 阿保か! 逃げるのは恥でもなんでもねーわ!(ちょっと時事ネタに乗っかってみました)
むしろ、逃げることを俺は推奨したい。俺はSaxで吹けないフレーズがあると、諦めてピアノを弾いたりする。そうやっているうちに、「ここ、吹けなくてもいいんじゃね? いや、こうやって誤魔化せばいいのでは?」となったりする。
今弾けないフレーズを今弾く必要はあるか? 本当にそれは必要な音か? 人生も同じだ。避けられるもの、後回しに出来るもの、それらに馬鹿正直に正面から向き合わなくていい。

辛い想いをして涙を流すよりも、幸せな気分になって笑顔になるほうがずっと大切で貴重だと思う。