Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

yesterdayよりも前の話

2月が終わった。とりあえず、仕事は一段落。というか、2月で今のプロジェクトは終了。3月からは新しいプロジェクトに配属される事になる。
次の現場が札幌になる可能性もゼロじゃなかった。限りなくその可能性は低かったのだけれども。

その話を札幌の親しい友人である"師匠"に告げた。師匠というのは彼のニックネームだ。尤も彼を師匠と呼ぶのは俺だけなんだけど。師匠に「札幌リターン(の可能性)もゼロじゃないよ」と告げると、「いつでも帰っておいで。バンド再加入もOKだよ」との言葉を貰う。

帰っておいで、ってなんか嬉しい響きだよね。札幌は、俺が2016年から2019年まで過ごした場所に過ぎない。故郷でもなければ学生時代を過ごしたとかの場所でもない。人生後半を迎えて、50歳目前で仕事の関係で住み始めた場所だ。それでも俺は札幌に住めた事は良かったと思っているし、俺にとっての札幌を「帰ってこい」と言ってくれる場所に認識してくれる彼にも感謝した。

Googleフォトというアプリはスマホで撮った写真を勝手に保存してくれる機能がある。今日それを見返していたら、札幌時代の写真が出てきた。ああ、懐かしいなあ、相変わらず雪が多いぜ。俺は苦笑した。
その中にいくつか動画がある。再生してみると、札幌時代に個人練習をしたピアノであったり、Saxの演奏だったりした。これらは個人練習の経過を自分で確認する為に録音(録画)したものなので、未完成のものが殆ど。演奏中のミスも多数あるし、音も良くない。

その中にビートルズの「yesterday」をピアノで演奏したものがあった。ああ、そういやこれやったなあ。思い出した。2018年の夏辺りにやっていたのだ。

再生してみると、最初は普通に「yesterday」を演奏している。途中からラテンのリズムとなる。なんだこれ? と一瞬思ったのだが思い出した。札幌時代に通っていたピアノ教室の先生と二人でアレンジを考えたのであった。
「yesterdayを原曲のイメージ通りに弾くと、俺の腕じゃかなり辛いと思うんですよね。だから、変化させたい」俺はピアノのE先生にそう言った。ピアノの腕がある人が、有名な曲を原曲のイメージ通りに弾いてもなんら問題はない。ピアノアレンジとして、聴いているほうは充分に堪能出来るからだ。
だが、俺のようなピアノの下手な演者がオリジナルに忠実に演奏すると、聴いているほうが耐えられなくなる。「あー、この地獄のような演奏はいつまで続くんだよ」となるのは必至。
その為、俺はE先生に「yesterdayって、もろバラードでしょ。だから2番からは全然違う変化をつけたい」と提案した。1番は原曲イメージ、2番はアレンジした変化球、そしてラストでまたしっとりとしたバラードに戻って曲を終わらせる、そういったシナリオを描いたのであった。

E先生が俺に「ラテンアレンジはどうでしょう」と模範演奏を示してくれた。あ、これは面白いな。俺はE先生のアイディアに乗った。その練習中の動画が以下のリンクだ。

www.youtube.comこれはまだ未完成の状態を録画したものなので、演奏ミスがやたらと多い。また途中でなんか判らんがアドリブチックな演奏を突っ込んでいる。なんで、こんなアドリブを足し込んだのだろう。
残念ながら俺の腕がなく、明らかに曲として成立していない。「いや、これフリージャズだから」と言い訳出来る代物ですらない。俺自身が途中でロスト(曲のどこを演奏しているのか判らなくなること)しているのが明白だ。俺も自分自身の演奏を聴き直しながら、迷走してんじゃねーよと昔の自分に突っ込みを入れたくなった。
なんとか軌道修正を図って、ハードランディングしたといった趣か。

それでも、これは数年前の俺の努力の結果なのであえてここに残して置きたい。それに残して置かないと、俺がyesterdayをこうやって弾こうとしていた記録がどこにも残らなくなってしまう。
また正直な話として、このblogを読んで下さるような奇特な方は、俺の「地獄のように下手なピアノ演奏」を聴いても、笑って許してくれるだろうという計算もある。

こうやってプレイヤーがリスナーに甘えるようになったら駄目なんだよなぁ。ま、でも寛容な心で許して頂きたい。いつかは利子をつけてお返し出来るかもしれない。
ただ、俺は借金を平気で踏み倒す男なので、この願望も実現出来る可能性は高いとは言えない。