三連休の中日。
俺は午前中に一件用事があった。それは俺にとって大切な事柄なので、その事に関しては日を改めて書こうと思う。
昼過ぎに帰宅すると、相方はリビングでスマホをいじっていた。今の世の中、スマホをいじっている人が多過ぎる。それを言ったら、俺自身も当て嵌まるのだけれども。
相方が「お昼(ご飯)どうしようかー」と訊いて来る。駅前まで出かけて、適当な店でランチするのも良いけどなと思う。相方は「普段食事作ってるのだから、休みの日に二度も食事を作るのは嫌だ」と昔から言っている。その気持ちは判るし、その主張には正当性がある。
「パンで良ければ作るよ」と相方が言うので、ははぁ、ランチに何処かに出掛けるのは気乗りしないのだなと理解する。てことは、夜は外食だな。
相方が作ったブランチっぽい食事を摂る。冷凍してあったパンをトーストし、チーズと自家製のブルーベリージャム。チーズを加えた玉子焼きに、湯通ししたウィンナーとオニオンサラダ。それにヨーグルト。ブランチというよりも、典型的なアメリカンブレックファストだな、これは。
食事を終えて、俺はギターの練習をやる。今日は予定もないし、ギターを弾いて、その後はピアノをやろうと算段を建てる。ギターを弾いていると(Hotel Californiaのギターソロは、8小節目くらいまで進んだ。若い頃と違って、一度覚えたフレーズをすぐに忘れてしまうのが問題だ)、相方が声を掛けてくる。
「自転車で10分くらいのところに、業務用スーパーがあるんだって。そこ行きたい。お肉とかコーヒーとか、まとめ買いしたい」
なるほど。ギターを弾いている場合じゃなくなった。俺も一緒に行かねばならぬ。荷物持ちとして。
自転車で二人出掛ける。業務用スーパーに来たのは初めての経験だが、一品あたりの量が多いだけで、基本は普通のスーパーと変わらない。あと値段がちょっと安いのかな。
相方はなんとかマスカットという葡萄に惹かれて、「フルーツ食べたいなあ。買おうかなー、どうしようかなー」と五分くらい唸っていた。そりゃ、一袋1,800円の葡萄だ。それを躊躇せずに買える経済力はうちにはない。
相方は結局断念した。俺は相方がどうしても食べたいと言ったら「買えばいいじゃん」と背中を押すつもりではあったが…
肉をトータルで1.8キロくらい買ったり、冷凍食品を買い込んだりと二人暮らしにしては結構買ったほうだ。トータルで7,000円くらいになっただろうか。
帰宅して、昨日の夜に録画しておいた「35歳の少女」を見る。今俺が見ているドラマはこれと「24 JAPAN」だけだ。「35歳の少女」は相方が見ていたので付き合いで見始めたのだが、結構面白いドラマだなと思っている。
10歳の時、事故に遭った少女が25年間昏睡したままで、目覚めると35歳の女性になっていた、しかし心は当然10歳。そこから少女が大人の女性としての生き方を覚えていき、また喪われた時間のせいで、家族が崩壊した状態で…といった話。
最初俺は、見た目35歳だが心は10歳の女性が、そのギャップから色々トラブルを引き起こすコメディタッチのドラマなのかと思っていた。だが、そうではなくて、25年の時間を取り戻そうとする少女の葛藤、その少女を取り巻く家族の結構重たい話だった。
主演の柴咲コウさんが良い演技をしている。俺は彼女は女優よりも歌手として評価していたのだが、「ああこの人、良い女優なんだな」と感心した。見た目30代、心は10代を良い感じで演じていると思う。
ところが驚いたのだが、この主人公は恐ろしいスピードで成長していて、先週辺りからほとんど心も35歳になっていたのだ。いや、放送回数の限度があるから、多少の成長の早さは仕方ないにしても、早すぎないか?
なんとなく俺は「アルジャーノンに花束を」を思い出した。あれは知的障害のある青年が外科手術を受ける事で、知能が一気に発達し、常人が追い付けない知能レベルにまで到達するのだ。だが、その外科手術は実は問題があって、という有名な話。結末まで書く必要もないだろう。
俺くらいの歳になると、今更恋愛ドラマを見て、何か感じたりする事がほぼ不可能になってくる。刑事ドラマや医療ドラマも見飽きた。なのでこの「35歳の少女」は久しぶりに嵌ったドラマである。
というかこの一年半、テレビがなかったから、まともにドラマを見るのも一年半振りなんだけれども。
夜は、相方との無言の約束で外食決定である。俺が「焼肉がいい」と主張して、駅前の焼肉屋へ。相方によるとチェーン店らしい。値段は確かに安かった。牛カルビが一人前300円だもの。
二人とも酒を飲まないので、安く上がったというのもあるが、5,000円で収まった。だが、もう行く事はないかな。ちょっと肉の質が悪すぎる。
俺達二人はもう良い歳だ。質より量という年齢じゃない。安い肉を大量に食べるよりも、ある程度のものを適切に食べる、そういった年齢なのだ。
なんの変哲もない日曜日が、特筆すべきこともなく、静かに終わった。だが今の時代、そうやって何の波乱もなく休日を過ごせることは、実はとても有難いものなのだと感謝すべきなのかもしれない。