Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

結構長く生きている気がする

あまり自分のblogで書いた事はないのだが(というか多分初めてだ)、今日は俺の誕生日だ。
53歳になった。
びっくりだ。

というのは嘘だ。今更驚くようなことでもない。正直な気持ちを書き記すとしたら「俺もよくこの歳まで生きてきたなぁ」程度の感慨しかない。
男はいつまでも少年だと言ったのは開高健だったか。いや、これも嘘だ。開高健はそんなことは言っていない。
「死ぬまで18歳さ」と言ったのはブライアン・アダムスだ。これは本当。ブライアンはカナダ出身のロックンローラー。
17歳の頃、当時のガールフレンドとブライアンの曲をよく聞いた。「Heaven」というバラードを聴くと、今でも彼女のことを思い出す。というか、もうブライアン・アダムスも滅多に聴かなくなってしまったけれども。

嘘だか本当だか判らないことばかり書いていると、読んでいる人も嫌になってくるだろうから、多少は真面目なことを書く。

若かった頃、40代、50代の人生の先輩達が「20年前はさぁ、xxxxがあって…」などという話をしているのを聞く度に「そんな昔話をよく掘り起こす気になるなあ」と半ば呆れ、半ば感心していた。
今になるとそういった話をする人達の気持ちがよく判る。長く生きれば、その分思い返す出来事も多くなる。

30代前半の頃、短い期間だがシングルマザーと付き合っていたことがある。彼女が「誕生日じゃん。祝わないとね」と言ってくれたのだが、俺は「今更、歳喰ったことを実感したくねーよ」と返した。すると彼女は真顔で言った。
「誕生日はね、貴方が生まれてきたことをお祝いする日なんだよ。だから、いくつになったとか関係ないの。お祝いするんだよ」
なるほど。感心した覚えがある。彼女の自慢の一人息子は当時小学生だった。彼にRPG(ゲーム)の攻略を教えたこともある。彼は今はとっくに20歳を超えて、社会人として地に足をつけて生きている。
俺とゲームの話をしたことなんか、覚えていないだろう。

20代の頃、大学を辞めてフリーターで日銭を稼いでいた。求人誌の募集に引っ掛かって、サイパンで一ヶ月暮らした。今思い返すと悪い経験じゃなかった。
そういえば、あれは俺が23歳の時だった。そうか、サイパンで暮らしていたのはもう30年も前の話か。

サイパンで一ヶ月暮らしたという事 - Some Were Born To Sing The Blues

20代の頃は、自分が一体何をしたいのか、何者になりたいのか、それを模索していた時期だった。結局答えは見つからないまま、俺は30代を迎える羽目になった。
今思い返すと、俺は必死に生きるということを一切せずに20代を終わらせてしまった。それを言うと10代もそうだ。それは大いなる後悔であり反省であるけれども、あの若かった頃に将来を見え据えて生きるというのはなかなか難しかったように思う(反省していない)。

50余年生きてきて、一番自由に好き勝手に生きていたのは30代だった。これは間違いない。ちょうど上手い具合に仕事は程々で、遊びに費やすだけの時間と金銭的余裕があった。まだそれなりに若さの残り火もあったから、体力にも問題がなかった。
俺があと何年生きるかは判らないけれども、きっと死ぬ時は「30代が一番面白かったな」と邂逅することだろう。

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ただ、そうは言ってもやはり30代にも後悔は腐るほどある。その代表格はSaxだ。俺がジャズを聴くようになったのは20代後半から。そしてSaxを吹けるようになりたいと思い始めたのが、30歳になった頃。それから実際にSaxを手にするまで8年も掛かった。

 ただ、楽器に限った話ではないけれども、物事にはタイミングというものがあるのだと思う。俺が38歳という遅い歳でSaxを始めたのも、きっとそういった巡り合わせだったのだ。
10代の頃からSaxを吹いていれば、いや贅沢は言わないから30代前半から始めていればと思わないこともない。だが、それは言っても意味ないことだ。
俺にとっては、Saxを始める歳が38歳だったのだ。それより前にはその機会はなかったし、それより後だと俺はSaxを手にすることはなかった。

そしてSaxを始めたことがきっかけでドラムも叩き出した。Saxやドラムをやっていたから、ギターを再び弾く機会も生まれた。歳を喰ってから楽器を始めた経験があったから、49歳でピアノにチャレンジすることにも逡巡しないで済んだ。
全ては繋がっている。

そう考えると、俺がこの歳まで生きてきて、出逢った人達とも何かしらの意味があり、それは今後の俺の人生にも何らかの形で影響を与えていくのだろう。
別に誕生日だからと言って、何か抱負や決意を述べるつもりはない。昨日と同じように生きて、今日と変わり映えのしない明日を迎えて、日々を過ごすだけ。

人生なんてそんなもん。ドラマチックな出来事なんて滅多に起きるものじゃない。だから、日々のささやかな幸せを大切にしよう。それだけだ。