Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

Saxさえも吹けやしない

7月の最終土曜日にいつものカラオケボックスにSaxを吹きに行った。ここは、ほぼ毎週通っている。従業員も俺の事は認識しているだろう。週末の午後にSaxを担いで練習に来る一人客のおじさん。ある程度印象に残るタイプではないか。
部屋に入り、すぐにウーロン茶を頼む。すると、ちょっとぽっちゃりした従業員のお姉さんが言う(ぽっちゃりは正義である)。
「あ、うち8月から休業です」
え? と思わず声が出た。そうか、緊急事態宣言か。こっちはカラオケボックスで酒は一切飲まないから、休業とか意識した事がなかった。
「お酒だけ出さないようにすればいいのに」俺がそう言うと、お姉さんは「カラオケという業態が駄目らしいです」と返してきた。f:id:somewereborntosingtheblues:20210813003635j:plain

俺は唸ってしまった。とりあえずその日は3時間、Sax練習をたっぷりやった。それはそれで満足したが、さてこれから8月(だけで済むのか?)はSaxが吹けない。どうすんだよ。Sax教室で出される宿題もクリアしていないし、自分自身でやりたかった練習も消化出来ない。
Saxは自分自身への課題曲として"Careless Whisper"を練習してきていた。そろそろこの曲も一区切りつけようと思っていた矢先にこれである。Saxは当分はお休みだな。その間はピアノとギターに専念するか、そう思うより他に手がない。

ほぼタイミングを同じくして友人からメッセージが来た。「8月だけど、いつぐらいに入ろうか」
友人とは厳密には大学時代の先輩。20代の頃から30代前半にかけて、彼とは一緒にフルバンドをやった。当時は彼がサイドギター、俺がベース。それから俺が40歳になろうかという頃に、どちらからともなく「ギターデュオでもやろうか」という話になって、アコースティックギターデュオを組んだ。彼がリードボーカルとサイドギター、俺がコーラスとリードギター。
俺の札幌引越が切っ掛けで1度は解散した。だが、俺がまた首都圏に戻って来たことで、デュオ再開となったのである。再開は良いのだが、今の状況下である。
俺は返した。「今、カラオケボックスは緊急事態宣言で営業やってないよ。だから入りたくても入れない」
互いに「じゃあ、一旦9月に集まるってことにしておこうか」と仮決め。これも果たしてどうなるか判らないけれども。f:id:somewereborntosingtheblues:20210813003712j:plain

ただ練習はしておかないとな。俺達のデュオは、選曲は友人が決める。そしてその曲をどういった形にするか(アレンジ)を決めるのは俺の役割だ。友人が「あの曲をやろう」と宣言する。基本的にこの時、俺に拒否権はない。彼は言う。「次回までにアレンジ考えてこいよ」
これだけ書くと、なんだか凄い友人主体のワンマンバンドみたいだが、俺はこのスタイルが嫌いじゃない。そもそも曲は基本的にローリングストーンズの楽曲が殆ど。エレキギター2本、キーボード、ベース、ドラムで演奏されるローリングストーンズの曲をアコースティックギター2本でどう表現するか、それを考えるのも楽しい。
ちなみに、再開用の現時点の課題曲は、以下だ。
・Waitin' On A Friend
・Live With Me
・Parachute Woman
そして実はアレンジはまだ全然手付かずである。そろそろ本気出さないと。

晩御飯を食べていたら、相方が「スペイン語教室、今月は無くなっちゃった…」としょげていた。俺も相方も確実に自分の日々の生活の糧が一時的とはいえ失われている。
「そんな音楽も語学も趣味だろ。別にいいじゃん」
そう考える人がいたら、それは想像力が足りない。俺達が趣味を奪われているということは、その趣味に関わる事を生業にして生きている人達の生活が脅かされているという事実に他ならない。

無くなって良いものなど、世の中には一つもないのだ。