Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京で一人暮らしを開始。2020年10月に神奈川に移り住む。生々流転の日々。

みかんの木

在宅ワークをしているので、一日中家にいる。外に出るのは昼食を買いに行く時くらい。たまに、気分転換に近所を散歩したりする、五分程度だが。

散歩をしていたら、みかんの木に遭遇した。へえ、良い景色だな。思わずスマホで写真を撮る。こういった果実の木を見るのは嫌いじゃない。

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大昔、俺がまだ群馬の実家にいた頃、つまりまだ俺が10代だった頃だ。庭には沢山の木が生えていた。
でかい柿の木があった。実は毎年生ったが、渋柿だったりする事も多かった。甘い美味い柿が出来るか否かは、毎年その季節が来るまで判らなかった。カラスが渋柿を啄んでいたように思う。カラスには渋味という味覚はないのだろうか、それともカラスが渋柿を啄んでいたのは、俺の記憶の改ざんだろうか。どちらでも良い事だが。

栗の木があった。栗の実をお袋が拾っては、栗ご飯を作っていたような気がする。栗ご飯の味は思い出せない。秋になると、庭が栗のイガイガだらけになった。掃除する殊勝な人はうちにはいなかった。どうやって片付けていたのか。勝手に腐って土に戻るまで放置していたのか。庭が広かったから出来た事だな。

無花果(いちじく)があった。夏になると、この無花果の実にカブトムシやクワガタムシが集まっては果実を舐めていた。当時、無花果なんて不思議な食感の変わった果物だと思っていた。大人になって、無花果が高級果物である事を知る。

胡桃(くるみ)の木があった。小学生の頃は、この木に登っては、太い枝に座って遊んだりしていた。秋になると胡桃がポリバケツにいっぱいになるほど取れた。胡桃は俺達子供のおやつになった。親父の酒の肴にもなっていたのだろうか。
後年、親父がよく胡桃を二つ、手の中でゴロゴロと擦り合わせては「こうやって手を動かしていると、ボケないんだ」と言っていた。当時、親父はまだ50代(なんだ、今の俺と変わらねえじゃねえか)、ボケるにはまだ早かった。なんであんな事を言っていたのだろう。謎でしかない。
今の親父はもう棺桶に入る直前の状態だが、運良くボケてはいない。胡桃のお陰か。

枇杷びわ)の木があった。枇杷は種がでかくて食うところがあまりない。でも、滅茶苦茶甘くて、とんでもなく美味い。そりゃ確かに高級メロンや高級葡萄には勝てないかもしれない。それでもガキの頃に喰った枇杷は美味かったな。
枇杷の実の周りをスズメバチが飛んでいるのが怖かったのを思い出す。スズメバチは今も怖い生物だけど、小学生の頃なら余計にだ。スズメバチは甘い物が好きな事をこの時知る。

梨の木があった。種類は判らない。秋になると、梨を食っていた記憶がある。他の果物達に比べると、味では落ちた。梨の味が他の果物よりも味が劣るという意味じゃない。梨として、大して甘くなかった、美味くなかったという意味だ。毎年平均して70点くらいは取っている。ただ、一度も90点以上を取った事はなかった。平均よりやや上といったところか。

思い返してみると、俺の実家はガキの頃は随分と色々な種類の木が生っていたのだな。誰が植えたのだろう。親父の筈はないから、じいさん(祖父)か。或いはもっと上の先祖か。
それらの木はもう既に無い。

子供の頃にあれだけの果物が庭で採れて、それを食す事が出来たのは、随分と幸運だった。
たまには、枇杷無花果でも買ってみようかとふと思ったが、高くて手が出せない。
経済状態で考えると、当時のうちは貧乏だった。だが、豊かさという意味では当時のほうが、今の俺よりも上だったように思う。