Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

長渕剛と西武ライオンズが嫌い

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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という言葉がある。
俺はガキの頃、「坊主憎けりゃ、今朝まで憎い」だと思い込んでいた。子供の頃は「袈裟」の意味を知らなかったのである。
「昨日、喧嘩をして坊主憎しとなった。そしてその憎しみが今朝まで続いている。つまり人が一度怒りを覚えると、その怒りはなかなか消えない」という慣用句だと思っていたのだ。馬鹿ですな。

中学時代、好きになった女の子に「由理」ちゃんがいた。彼女は色が浅黒くて、ショートボブだった。要らぬ情報だが、お尻が大きかった(セクハラ案件だ!)。
彼女も俺も同じバレーボール部に所属していて、クラスも一緒だった。席も隣同士だったりした。結構仲が良くて、彼女も俺の事をまんざらでもないんじゃないかなあという自惚れもあった。ちなみに人生で初めてお尻を触らせてくれたのも、由理ちゃんである(案の定、セクハラ案件だ)。

彼女は長渕剛が好きだった。休み時間とかでお喋りしていると、彼女がよく長渕の曲の良さを訴えていたような気がする(あんまり良く覚えていない。俺はフォークソング中島みゆき以外は興味がなかったので)。
何がきっかけだったか覚えていないのだが、由理ちゃんと喧嘩をして、それ以来口もきかなくなってしまった。そして中学を卒業してからも、彼女とやり取りをする事はなかった。
今思えば、どうせ理由なんて、思春期の男の子と女の子のささいな行き違いなんだと想像出来る。だが、多感な思春期の頃って、一つのズレでずっとその溝が埋まらないまま進んでいってしまうんだよな。もし、俺達が20代とかで再会出来たら、きっと仲直り出来たに違いないと思うのだけれども。

彼女と仲違いしてから、俺は長渕が嫌いになった。長渕さんには罪は一切ない。だが、長渕をテレビの歌番組で見たりする度に「けっ。由理の好きなフォーク野郎じゃねえか」と気分を勝手に害していたのである。
さらに彼は志穂美悦子さんと結婚し(結婚は別に良い)、悦子さんを引退させた。日本の数少ないアクション女優の将来を潰したのである。これは暴挙だ。これだけでも、長渕は万死に値する。この意見には、俺と同世代の特撮ファンやアクション映画ファンは賛同してくれると思う。

やはり、中学時代のクラスメートで「由利子」ちゃんがいた。先ほどの由理ちゃんとは別人である。別に俺は「ゆり」という名前の女性に弱いという訳ではない。偶然だ。
中学三年の頃、由利子と結構仲良くなった(この頃は既に、前述の由理ちゃんとは仲違いしていた)。
休み時間だか放課後に話をしていて、(当時、由利子は俺の事、好きなんじゃないかなあという自惚れがあった。俺は10代の頃から自惚れだけで生きてきた人間である)彼女と三年間、同じクラスである事を初めて知った。
「三年間、クラス一緒だったのに、気づかなかったのー?」と由利子に言われた事も、「あれ? こいつ。もしかして俺の事気にかけてるのかな」と自惚れた要因の一つであるのは否めない。

俺は身長が177センチあるけれども、中学時代はまだ成長途中で160センチ後半しかなかった。由利子は背が高く、脚も長かった。ブルマ姿(当時はまだブルマが全盛期である)の由利子の脚が長くて綺麗だったのをよく覚えている。中学生の男の子からしたら、ブルマ姿の女の子なんて、眩しくて仕方ない(またセクハラ案件かよ)。

「由利子、身長いくつなの?」
「163センチだよー」
現代において、163センチの女性は高身長とは言えないだろう。だが、30年以上前の話だ。163センチは、当時の女性としては、大きい部類に入る。俺はその背が高く、すらりと伸びた長い脚を持つ由利子に惹かれていたのだ。だったら、素直にそれを誉めればいいと思うのだけれども、当時の俺は真逆のことをした。
「でけー(でかい)女だなー」嘲笑するように言った。身長が170センチに満たず、由利子と大して背の高さが変わらない自分自身のみじめな気持ちを誤魔化す為に、由利子に暴言を吐いたに過ぎなかった。
「ひどーい」由利子は傷ついたような表情をした。10代の男の子でよくいるだろう。好きな子をいじめるタイプ。俺はまさにそれだった。彼女のショックを受けた表情を見て、俺は自分が明らかに失敗した事を悟った。

後に俺はそれを反省し、成長してからは、女性を誉めるタイプに変わった。ただ、その余計な処世術を身につけたせいで、好きでもない女性を褒めまくった故に好きだと勘違いされたりして、無駄なトラブルに巻き込まれる事にもなった。策士、策に溺れるとはこのことである。

中学を卒業して、暫くしてから、俺は由利子をデートに誘った。中学時代は積極的なアプローチが出来なかった(俺が由利子を意識しだした頃は、高校受験があったせいだろうなあ、今思い出すと)からだ。
俺は彼女が乗ってくると勝手に思い込んでいたのだが(俺は自惚れ同様に思い込みも激しい人間である)、彼女は俺の誘いに断りを入れてきた。
「その日は、渡辺さんの試合を観に行くから」

渡辺さんというのは、渡辺久信さんのことだ。彼は群馬の前橋工業出身で、甲子園に出た事もある野球ヒーローだ。西武ライオンズに入団し、エースとして活躍した。後にライオンズの監督も務めた人である。
この時、由利子にデートを断られ、俺は二度と由利子をデートに誘う事はなかった。彼女は俺の事なんか全然好きじゃなく、渡辺はデートを断る口実に使ったと思ったからだ。

後の俺だったら、二度、三度とアプローチをした事だろう。だが、当時まだ15歳の少年には、その一回の拒絶は「スリーアウト、チェンジ」である。その一回の断りで終わっておけば、デートを断った理由が「渡辺の試合」なのか「俺なんか対象外」なのかをグレーのままにしておける。
自分が傷つかない為の自己防衛本能だな。今の俺が、15歳の俺と話すチャンスを持てたら「好きだったら、玉砕覚悟でまた誘え。ここで引き下がったら、後悔するぞ!」とアドバイスしたのに。ただ、少年の俺から「オッサン、うるせーよ。黙ってろ!」と反撃喰らう可能性も充分にあり得る。

そして、俺はアンチ西武ライオンズになった。「由利子が俺を振ったのは、西武ライオンズに行った渡辺久信のせいだ」というあまりにも馬鹿馬鹿しい理由が原因なのは言うまでもない。

今思い起こしてみると、長渕を嫌いなのもライオンズを嫌いなのも、どうでも良い理由である。だが、人生の2/3以上、ずっと嫌いだったので、今更老年になったからといって、方向転換して好きになる事もない。

10代の頃の刷り込みは一生消えないものなのかもしれない。現に、由理ちゃんのお尻も、由利子のブルマから伸びた細くて長い脚も未だによく覚えている(案の定、セクハラ案件であった)。


※先日、ピアノ教室で先生に「長渕剛の弾き語りやる会員さんいるんですよー」と雑談で言われ、上記の昔話を思い出したので書いた。大事なことは忘れるのに、どうでもいい昔話ほどよく覚えているのは、何故なんだろうか?…