Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

本当の贅沢とは

今考えると、かなり贅沢だったのだなと気付く事がいくつかある。
それを思い出したので、今日はその事について書く。

うちの実家は、祖父の代まで農家だった。どこまで本当かは不明だが、明治、大正時代辺りまでは地主だったのだと言う。
確かに、実家の土地はそれなりに広い(400坪ある)。だが、それとて群馬の片田舎の赤城山の麓の土地だ。現代では二束三文である。
お袋が「農地改革で土地を取られて没落した」と言っていた。町内には俺の姓と同じ家が何軒かあるのだが、うちを示す場合は「地主さんとこの**さん」みたいに区別していたらしい。
元地主の割りには、その後随分と底辺な生活を強いられたものだと思うけれど。

俺がガキの頃の話だから、今から40年くらい前になる。親父は農業を継がずにサラリーマンを選択した。親父は若い頃、農家を継ぐのが嫌でサラリーマンを選んだのだ。それでも広い庭で、家庭菜園をいつの間にか始めていた。これも血という奴なのか?

夏の朝食の時は、お袋が菜園からトマトを取ってくる。それをミキサーに掛けて、トマトジュースを作るのだ。ついさっきまで生えていたトマトを使って作るジュースだ。新鮮さで言えば、これ以上のものはどこにもない。

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大きめのグラスにお袋がミキサーからジュースを注ぎ、俺達家族はそれを飲む。家族にとって、トマトジュースは買ってくるものではなくて、作るものという認識だった。大人になってから、スーパーとかでトマトジュースを見た時に、その色合いに俺はかなり驚いたのを覚えている。

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母親の作るトマトジュースは、薄いピンク色だった。市販のそれは真っ赤だ。何故あんなに色が違うのか、今でも不思議でならない。市販のものは、きっと色が濃くなる成分を何か入れているのだろうと思う。
ガキの頃から、そのトマトジュースを飲んでいたのが理由かどうかは不明だけれど、俺はトマトが好物である。トマトジュースも無論好きだ。残念ながら、市販のトマトジュースはそれほど美味しくないけれど(ガキの頃に美味いものを飲み過ぎたのだな)。

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また家庭菜園では茄子も大量に作っていた。どうやら作り過ぎたのか、茄子は簡単に作れるのか知る由もないが、夏場になると食卓に茄子の生姜焼きがやたらに出てくる。酷い時は週に三回くらい、晩飯のおかずが茄子の生姜焼きだ。さすがに飽きる。
お袋に文句を言うと「あるんだからしょうがないでしょ」の答え。子供からすれば、茄子よりも肉のほうが良いのは当然の話。
だが、今考えれば、これほどのご馳走はない。何しろ庭で取れた茄子がその日の晩御飯になるのだから。当時は「茄子飽きたー」とか言っていたが、相当な贅沢であるのは間違いない。
味はもう忘れてしまったが、スーパーで売られている物よりも断然良かったであろう事は想像に難くない。

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また、庭には鶏を放し飼いにしていた。厩舎とかがあるのではない。本当に庭で放し飼い。基本的に餌も与えない。完全放置である。勿論、生ごみとか出ると、それを鶏に与えたりもしていたが。鶏は勝手に地面をクチバシで突いて、虫やミミズを捕獲していては食べていた(のだと思う)。
そして庭の適当なところに卵を産む。お袋がそれを拾い集めて、玉子焼きにしたりするのが日常だった。
或る日、晩御飯に玉子焼きが出た。一口食べて俺が「お母さん、この玉子焼き、美味しくないね!」と言うと、お袋が返した。
「今日は卵あまり取れなかったから、スーパーで買ってきたんだよ」
つまり、自然放置した鶏の卵とスーパーの卵は、それほどまでに味が違ったのだ(加熱調理してあるのに、判る程だった)。

俺は19歳の時に、地元群馬を離れて上京し、アパートで独り暮らしを始めた。アパートの水道水を飲むと、これが恐ろしいくらいに不味かった。
今から30年以上も前の話だ。ミネラルウォーターなんて存在しない。水は水道水を飲むのが常識の時代。
上京するまで、群馬の赤城山の麓で暮らしていたのだ。想像つくと思うが、山の麓エリアは基本的に水が美味い。
「東京ってのは、水が不味いところなんだな」俺はしみじみ思った。

初めて相方を群馬の実家に連れて行った時(12年くらい前)、風呂上がりに相方が水を所望した。無論、実家にはミネラルウォーターを買うなんていう発想はない。俺は水道水をコップに入れて相方に飲ませた。食べ物の味にうるさい相方が水道水を飲んで「この水、美味しいねー」と感嘆していた。
逆に東京で20年以上暮らし、酒、煙草やり放題だった俺は馬鹿舌になっていて、赤城山の水の美味さが判らなくなっていた。駄目じゃん。

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美味い水を使って、庭で取れた野菜や卵を材料にした料理を、子供の頃の俺は食べる事が出来た。
今の俺はレストランに行ってフルコースのディナーを食う事も出来る(しないけどさ)。だが、フルコースのディナーよりも、子供の頃にした食事のほうがずっと贅沢で、ずっと価値あるものだったのだな、今になって思う。
そして、その食事は、もういくら金を積んでも手に入らないものなのだ。手に入らないからこそ、価値があり贅沢なのかもしれない。