Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

WORK SONG(仕事の話)

俺にとって仕事というのはあくまでも飯の種でしかない。それ以上でもなければ、それ以下でもない。そして、仕事というものは、俺にとって詰まらない物の代名詞だ。
勿論、世の中には「仕事が楽しくて仕方ない。たとえ無給であっても、俺はこの仕事をやりたい」という奇特な人もいる事だろう。俺はそういった人を否定はしない。俺とは違う生き方をしているのだな、と思うだけで。
ただ俺に向かって「どうせ仕事やるなら、楽しくやりましょう」とかそういった提案をして欲しくないだけだ。

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もうサラリーマンをやって、約30年になる。さすがにその期間、ずっと詰まらなくて、ずっと苦しい思いをしていたのではない。中には楽しかった仕事や現場もある。それは事実だ。残念ながら、トータル30年の中で、その割合はかなり少ないのだけれど。

仕事で楽しかった思い出というと、すぐに浮かぶのが20代半ばの頃に長期出張でアメリカに行った時の事だ。この時は楽しい思い出しかない。仕事は阿保みたいに忙しくて、毎日夜中の零時近くまで残業していたけど、それでも楽しかった。理由は単純で、大好きなアメリカの地で暮らしていたからというのが大きい。
それに仕事場から、滞在していたアパートまで徒歩で15分くらいだったから、夜中まで残業してもすぐに帰宅出来た。また、朝も通勤ラッシュとも無縁だったから、そういった意味でも楽だった。
当時は下っ端だったから、仕事は忙しかったけれども、上から言われた事をやっていれば良かったから、仕事のストレスは皆無に等しかった。
シンシナティレッズのゲームを観に行ったり、レンタカーを借りてマイアミを走ったり。アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「True Lies」という映画のロケ地となった「7miles bridge」を走った時は、滅茶苦茶気分が良かった。
当時はデジカメとか無かったから、写真が残っていないのが残念だが、そういった記憶は無数にある。
アメリカ滞在が大切な記憶として残っているのは、現地でアメリカ人と知り合い、仲良くなったのが一番大きい。当時知り合ったアメリカ人とは、今でもFacebookで時々やり取りをしている。
ま、なんといっても知り合いになったアメリカ人が、シャロン・ストーン似の金髪美人だったという要素が大事なのは外せないが。

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20代の頃にああいった経験を出来たのは、非常に価値があると思っている。あれは得難いものだった。ああいう経験は誰もが出来る事じゃない。
正直、これは「仕事が楽しかった」というのとはちょっと違うかもしれない。仕事そのものが楽しかったのではないし。でも、やはり仕事でなければ、アメリカへは行けなかったので、これは「仕事絡みの数少ない良い思い出」と言って良いだろう。

楽しいのとは、ちょっと違うが、札幌へ行く前にやっていた仕事も決して悪くなかった。俺はあるサブシステムのリーダーを任されていたので、かなり自由に仕事をやる事が出来た。
無論、リーダーをやるという事はそれなりの責任を負う立場となる。だが、その現場では負わなくてはいけない責任よりも「自由に仕事を進められる立場だった」というほうが大きかった。
仕事というのは大抵「こうやったほうが良いのにな」とか「このやり方のほうが合理的なのに」と思いながら、その会社、現場の慣習で、不合理な生産性の低い作業をやらざるを得ない場合がある。だが、その現場は割と放任主義だったので、その辺りがリーダーである俺に一任されていた。

要するに、システムを設計、製造する時に、ほぼほぼ100%、俺の考えが反映されたという事だ(こういう事は滅多にない)。
システムというのは、実際に使う人(エンドユーザー)の要望があり、それに対して「それはシステムの制約上、出来ません」とか「やれば出来るけど、それは時間が掛るので、要望の期間内では対応出来ません」とか断るケースが出てくる。
そして、エンドユーザーが出してきた要望が「やれば出来るけど、非常に面倒くさくて、やりたくねえな」というのもある。その場合どうするかと言うと「このAという要望はちょっとこの期間じゃ無理なので、今回は見送らせて下さい。代わりにBの機能はやります」とユーザーとネゴする。
実際は、AもBもどちらもやれるのだ。だが、やると大変。引き受けるとメンバー(俺の部下)に無理強いさせる事になる。俺はそんな無理な仕事はメンバーにやらせたくないし、俺もやりたくない。
ユーザーは、A、B両方やれるかどうかという判断はつかない。なので、わざと恩を着せてBやるよ、その代わりにAは諦めてね、とやる。取引に置けるギブアンドテイクだな。

当時はそういったエンドユーザーとのネゴシエーションをやるのが、ある意味楽しくもあった。ポーカーでの駆け引きみたいなものだ。
そして、もう時効だから書くけれども、その現場では、金曜日の午後三時に進捗会議があった。そこで、その週の作業進捗と翌週の作業予定の報告を社員の人にやる。
それが終わると、一週間の作業完了となる。会議が終わるのが大体四時くらい。そうすると、俺は現場から徒歩10分くらいのコンビニまで散歩した。
そこで、缶ビールを飲んで一服するのが常だった。むろん、勤務時間中だ。
こんなことがバレたら大変な問題である。だから現場から離れたコンビニまで出掛けたのである。今考えると、俺も随分と好き勝手な事をやっていたなあと思う。

仕事なんて詰まらない要素の集まりでしかない。それが殆どだ。それでも、たまに「あの頃は面白かったな」と思えるものもいくつかある。
そう考えれば、世の中悪い事だらけじゃないのかな、とも。
まあ、確かにネガティヴな事ばかり考えてどんよりするよりも、楽しい事を反芻したほうが気分は良くなる。

アメリカで過ごした日々は楽しかったし、チームメンバーと「こんなのやりたくねえよなあ」と愚痴りながら残業した日々も、今思い返せば、それほど悪い事でもなかった。

楽しくなかった仕事も多かった。でも、なるべくそういったのは思い出さないようにしている。楽しい思い出だけあれば充分だ。