Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

師匠の教え(Sax編)

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札幌に来て、半年程過ぎてから(2017年5月)サックス教室に通い始めた。東京時代にも通っていたから、その続きだ。俺自身がバンドでサックスを吹く環境にあったり、ジャズセッションとかに顔を出してサックスを吹けるだけの力量があれば良いのだが、なかなかそうもいかない。サックスは吹いていればそれだけで楽しいので、教室に通うのもそれはそれで良いものなのだ。
札幌に来てからずっと同じ先生に習っているのだが、その先生が懐妊により今年の5月で産休に入る。という事は、俺は今の先生に丸二年習った事になるのだなあ。時間の過ぎるのは本当に早い(こればかり言っている気がする)。
トータルで13年程度教室に通っているのだが、習ったサックスの先生は6人になる(そのうち男性一人)。同じサックスを教える事を生業にしていても人によって全然違う。それが個性というものだ。ちょっと懐かしくなったので、それらの歴代の先生についてでも記してみよう。

俺がサックスを始めた時に最初に習ったのがA先生。20代半ばの女性。この先生、悪い人ではなかったが、大きな問題が二つあった。一つはお喋り好き。レッスン中に話が脱線する事は数え切れなかった。マイケル・ジャクソンが大好きで度々MJの話題になる事があった。「BEAT IT」のギターソロはエディ・ヴァンヘイレンというロックギタリストが弾いているんですよと教えると、彼のギターはどうなんですか?と会話がサックスと無縁のほうに飛んでいく。サックスのレッスンしてんだか、MJの話をしてるんだか、よく判らない程だった。だが、これはまだいい。実はA先生の最大の問題点は「サックスの基本はアルトです。だから、サックスをやりたいなら、まずアルトをやるべき」という余計な信念の持ち主だった事だ。俺はジャズが好きでサックスを始めた人間だから(ロックも無論好き)、テナーサックスを吹けるようになりたかった。だが、こっちは初心者だし、その辺りも当時は判らなかった。言われるままに素直にアルトサックスを購入して、アルトを二年ばかり吹いていた。この期間にサックスの基礎を学んだから、無駄だとは思わなかったけれども、最初からテナーをやっていれば良かったと思う。

A先生は寿退社し、次が男性のB先生。サックスのテクニックという事であれば、このB先生から学んだ事が一番多かった。習った期間も一番長かったし(7年程習ったかな?)。彼に「自分はジャズやりたいから、テナーやりたいんですよね」と言うと、B先生はすかさず言った。「アルトとテナーは別物なので、テナーやりたいなら、アルトやっても意味ないですよ」愕然とした。A先生の言う『アルトが基本』て何だったのだ? すぐにテナーサックスを購入した。ちなみに最初に購入したヤマハのアルトサックスは後に熱川温泉の旅行費用に消えた。
B先生は男性という事もあり、歯に衣着せぬ発言も多かった。向こうも「こいつになら、これだけ言っても大丈夫だな」という確信部分があったから言ったのだろうけれど。ジャズのエチュード曲(練習用小曲)を吹いていると「詰まらない演奏ですねー」と大笑いされた事もある。じゃ、お前がその詰まらない演奏を向上させるスキルを教えろよって話だけれども。
このB先生からは色々教えて貰ったが、今でも覚えている一番大事なものは、次の発言だろう。俺がある曲を吹いていた。どうにもこの曲は面白くないなあとB先生にこぼすと、B先生が切り返してきた。

「詰まらない曲というものは世の中に存在しないんですよ。でも、曲を駄目にする詰まらない演奏というものは、数え切れない程あります」

つまり、曲が面白くないんじゃなくて、俺の演奏が曲を面白くさせていない、という事だ。これは今でも俺のサックスを吹く上での座右の銘だ。

B先生は、講師のサラリーじゃ食っていけないと音楽教室を辞めて、個人教室を始めた。仕方ないので、隣の支店の教室に習いに行った。そこにいたのが、女性のC先生。25歳くらいだったかな。ちょっとぽっちゃりした感じで髪が長くて、笑顔が素敵だった。C先生に習った期間は3ヶ月程度。短かった。だが、俺は彼女のレッスンが凄く楽しみだった。なぜかと言うと、単純に俺が女性としてC先生を好きだったからだ。勿論、当時既に俺は相方と一緒だったから、不倫しようとか邪な野望は一切なかった。そもそも、彼女は俺より20歳くらい若い。彼女の笑顔を見られるだけで充分だった。俺みたいな中年になっても、女性に淡い気持ちを抱けるのだなあとC先生には感謝している(自分で書いていて気持ち悪くなってきた。キモいおっさんは絶滅すべきである)。C先生はあまり発言に注意を払わない人なのか、俺に平気で「すいません。ちょっとおしっこ行って来ます」などと言う。俺はC先生に「そういう場合は、お手洗いと言いなさい」と注意すると、はにかんだりした。その笑顔にやられたんだよなあ、多分(変わらずキモイ。早く俺は絶滅したほうがいい)。彼女が俺に「リード(サックスに必要な小道具)はZZを使うと良いですよ。貴方には絶対に合うと思います」と言ってくれたので、以来それを使っている。後の先生方に「他も試してみたらどうですか」と言われたことがあるが、これはC先生から俺への大事なメッセージなので、死ぬまで変える気はない。
彼女に「Smoke Gets In Your Eyes」の格好良い吹き方を教えて貰い、それ以来ずっとその演奏を俺は固持している。これも彼女からの大事なメッセージだ(やはり、キモい。オッサンは早く絶滅したほうがいい)。
C先生のレッスンを三ヶ月で辞めたのは、元々通っていた支店に後任の先生が来たことが表向きの理由だ。裏向きの理由は、異性として意識している人にレッスンを受けていると、自分の中でサックスのレッスンの目的が変わりそうだったから、ちょっとそれを恐れたのであった。その程度の自制心はあるのだ。

次に習ったのがD先生。まだ大学を出たばかりの新卒の先生。D先生に習い始めたのは8月くらいだった。4月から7月まで何してたのと訊くと、仕事がないからカフェでウエイトレスをしていたと聞いて愕然とした。4年制の音楽大学を出て、就職の口がないというのは、音楽業界がいかに厳しいものであるかを物語っている。音大を出てプロになれるのなんて、ほんの一握りだろう。だが、大抵の音大生は卒業後は、音楽と無縁の仕事に就くのだとか。そう考えると、サックス講師として職があるだけでも、だいぶに良いほうなのである。彼女は新卒だったせいもあり、ジャズに対する知識が皆無だった。音大ではクラシック専攻だったから。俺が「ジャズのアドリブやりたい」と言うと、D先生は「私も判らないです」と困った答えを返してきた。仕方ないので、俺がCDに焼いたジャズのブルース進行のピアノ、ベース、ドラムの演奏に合わせて二人でアドリブをやったり。D先生も判らないから二人で試行錯誤の連続だった。D先生が「私も一緒にジャズの勉強です」とかレッスン中に言い出した時は、「いや、それを俺に教えるのがお前の仕事だろ!」と思ったのはここだけの秘密だ。
D先生とのレッスンは約一年で終わった。彼女は元々、サックス講師よりも小中学校の音楽の先生になるのが夢だったのだ。産休代理で上手く口が見つかったので転職していった。D先生は、今でも子供達に音楽教えているかな?

後任がやはり若い20代前半のE先生。この人はアメリカの音楽大学を卒業したとかでジャズも知っており、そういう意味では適任の筈だった。だが、この人は教えるという事に興味がないのが明白で「金の為に仕方なく講師をやっている」というのが否が応でも判った。まだ20代前半じゃ、そういう空気を隠すのは無理だよな。彼女も結局一年ほど講師をやった後、再びアメリカの音楽関係の学校に戻っていった。この先生が習ったなかで一番酷かった。正直言うと、先生とも呼びたくない。

この頃に前後して、俺も札幌での就職が決まり、それから半年程のサックス空白期間が出来た。その後札幌に来て今習っているのが、F先生という事になる。さすがにもう、俺自身がサックスに関して達観した部分もあり、F先生には何かを習うというよりも、俺よりも上手い人と一緒にサックスを演奏する場としてレッスンを受けている(これは前にも書いた)。F先生はジャズのアドリブとかの知識や技能もあるので、そういう意味では東京時代に頓挫した事の続きをやっている。それがまた尻切れトンボになるのはちょっと残念だが。
後任は新卒の先生らしいので、またどんな風にレッスンが変わるのかといった不安部分はあるが、今までもそれなりに上手くやってこれた。だから、きっと大丈夫だろう。少なくとも、音楽好き、サックス好きな人とやるのだ。問題があろう筈がない。