Some Were Born To Sing The Blues

   Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

あなたを幸せにしたい

俺のblogを読んでいるような方(今、まさしくこの一文を読んでいる人だ)は、きっとblogを読む以外にも色々なネットの楽しみ方を知っている人だと思う。
そして、これは多分そう違っていないと思うのだが、きっと貴方はYouTubeも楽しんでいる筈だ。勿論、俺もかなりのヘビーYouTubeユーザである。
「ユーチューバーになりたい」ってお前は博多華丸大吉か?(意味の判らない人はこの一文は無視して下さい)

俺は自分の所属するバンドや自分自身の演奏動画をupする以外は、基本的にユーザーである。見る専門という奴だ。見るものは、自分の好きなミュージシャンのlive動画やPV動画、楽器の演奏動画などが主である。アマチュアでも楽器演奏の上手い人が世の中には五万といて驚くより他にない。俺が自分の演奏に困ったり、演奏の仕方が判らねえなあなどという場合に、そういった演奏動画は見て参考にさせて貰っている。

他にもよく見ているのが、Mリーグの動画だ。Mリーグというのはプロ麻雀組織のことだ。有名どころだと俳優の萩原聖人さんが所属している。俺自身、麻雀は30代の頃まではよく打っていた。30代の頃は、ネットで「麻雀仲間募集」などという怪しげな呼びかけに平気で応募して、本名も知らないような人達と新宿の雀荘で徹夜マージャンを打ったりしていた。牧歌的な時代だったな。俺は麻雀は好きだが、下手くそだったので、その集まりで勝った記憶は殆どない。いつも負けていた。負けると言ってもせいぜい諭吉さんが一枚飛んでいく程度のレートである。

また俺自身が小食なせいで大食いな人への憧れがあるのかもしれないが、大食いユーチューバーの動画もよく見る。小柄な若い女性が5キロもあるラーメンを完食する姿を見る度に「すげーなー。なんでこんなに(胃袋に)入るの?」といつも感嘆している。

そして実は結構気に入って観ているのが、「ボキボキ整体」という類の代物である。「肩こりが酷くて、腕が肩より上にあがりません」とか「一日中パソコンに向かっているので、腰が痛くて、夜眠れない」などという訴えをする患者さんを整体で治す動画である。先生が患者さんの腰の辺りに手を当てて、ぐいっと押すと「ボキボキ!」と凄い音がする。痛くないのかなと思うが、施術されている患者さんは「全然痛くないです」と涼しい顔で言う。その代わりに太腿辺りに先生の手が乗っているだけなのに(実際は静かに揉んでいるのだろう)「いたーーーーーい」と絶叫したりして、その様も面白い。
施術が終わると、素人の俺から見ても、施術前と施術後で、肩や肩甲骨の位置や、両足の長さ、臀部の左右の膨らみが変わっているのが判る。
患者さんが「あー。凄い。全然違う。楽に動きます」などと感想を述べている。俺はこれがヤラセだとは思っていない。実際にそういったゴッドハンドじゃないけど、スキルを持った整体師の人に施術して貰えばかなり効果はあるのだと思う。

こういった動画を観て何が楽しいのか、自分でも説明がつかないのだけれど、よく観る。
「痛い、痛い」と言っていた患者さんが施術後に「ありがとうございます。楽になりました」と笑顔になるのに共感を覚えるのか、単純に「ボキボキッ!」と凄い音のする施術を観ること自体が楽しいのか、自分でもよく判らないけれど。
そして俺は思うのだ。「ああ、なんで俺はこういった仕事を選ばなかったのかなぁ…」と。人を笑顔に出来る仕事、人を確実に幸せに出来る仕事、そういったものは必ずある。だが、俺自身が今やっているのは誰も幸せにしない仕事だ。
俺の職業はシステムエンジニアだ。もうこの仕事を30年以上やっている。始めた切っ掛けは物凄く単純で「大学を中退して、大卒という学歴(肩書)が無くなったから、代わりに手に職をつけよう」と当時20代前半の俺は思った。この考えは今でも間違ってはいないと思う。だが、安易に職業を選び過ぎた。この仕事に就いたお陰で、アメリカのシンシナティで生活することが出来、俺の人生に間違いなく影響を与えた何人かの人と出逢った。だから、決して無意味ではないと確信はしている。
それにしてもだ。

40代の頃は、システムエンジニアとして俺は人様に誇っても良いと思える仕事をこなした自負はある。俺が設計し、構築したシステムが現場の社員の人達の助けになったという確信を持っている。そしてあの仕事は俺以外に出来る人はいなかったという自惚れもある。だが、50歳目前で今の会社に入り、今の現場に配属されてからというもの、俺がやっていることは、誰も幸せにする仕事じゃない。俺の日々の努力が誰かを救ったり、誰かの涙を乾かすものにはならない。
「人を幸せに出来る仕事が、どこにでも転がってる訳ねーだろ」という正論も判る。「給料ちゃんと貰えてるんだから、いい歳して訳の判らん不平不満を言うな」という主張も、頭では理解している。

だが、自分の残りの仕事人(しごとじん)としてのタイムリミットが少しずつ少なくなり、俺はこのまま、こういった誰も幸せにしない仕事をこなして給料を貰うだけなのかなと自問自答している。
定年まであと数年で、こんなことを考えていること自体が、全く青臭い、ガキのような主義主張なのかもしれない。それでも俺は、「俺がした何かで、誰かを幸せに出来た」という確証を得たくて仕方がないのかもしれない。

もしかすると、過去に沢山の人を不幸にしてきたその贖罪として、俺は誰かの笑顔を観たいと思っているのかもしれない。