Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

その扉を閉めるな!

俺は普段、都内某所にあるビルの5階で働いている。仕事が終わり、エレベーターに乗り込んだ。1階のボタンを押して、「閉」ボタンを押下した瞬間に、2年前に行ったマラガ(スペイン)のことを思い出した。f:id:somewereborntosingtheblues:20211202001358j:plain

スペインのマラガは大変に素晴らしい場所でまた行きたいのではあるが、それは旅行記に散々書いた。
スペイン~モロッコ旅行2019 カテゴリーの記事一覧 - Some Were Born To Sing The Blues)

マラガでは、8階の部屋に滞在していた。ホテルのロビーからエレベーターに乗って8階のボタンを押し、いつものように「閉」ボタンを押そうとした。その時に気づいた。「閉」ボタンが存在しないのである。f:id:somewereborntosingtheblues:20211202001424j:plain

「ああ、そうか」俺は納得した。エレベーターには「開」ボタンは必要だ。自分が降りる階を指定するための各階を示すボタンも当然要る。だが、だ。果たして「閉」ボタンはエレベーターに必要な機能なのだろうか。
俺はスペインのホテルのエレベーターの中でひとり納得した。確かに、「閉」ボタンは要らない機能だ。そもそも何の為にそのボタンが存在しなくてはいけないのか。
エレベーターに乗り込み、行きたい階のボタンを押せば、後は自動で扉は閉まる。つまり「閉」ボタンがある必然性がどこにもない。f:id:somewereborntosingtheblues:20211202001453j:plain

え? 自動で扉が閉まるまでの数秒が我慢出来ないって? 時間の無駄と貴方は言うつもりなのか。エレベーターの扉が閉まるほんの数秒を急いで、何か人生が変わるというのかね。
日本のエレベーターには「閉」ボタンが当然のようにあり、スペインのエレベーターにはそれがない。そして、その「閉」ボタンがないほうが、しごく自然であり、まともである気がしてきたのだ。

そういったほんの少しの時間でも無駄を省くことによって、その積重ねが大事だと言う意見を主張する人がたまにいる。ま、俺とは一生相容れないとは思うが。
その数秒が毎日の積重ねで、1年後には大きな時間の差になる。なりますか?
俺はならないと思うね。というよりも逆だ。そんな数秒を急ぐだけの大義名分が貴方にはあるのか。
慌てて「閉」ボタンを押すよりも、そこでほんの一息、余裕を持てる人生のほうが、よほど豊かに生きられると俺は思うのだが。

時間は有限だ。これは事実だ。人は生まれた瞬間から死に向かって歩き出す。これも真理である。だから、一分一秒でも無駄にするな、この考えも間違っているとは思わない。
だが、人間は真実や正義や意義のある事の為だけに生きているのではない。

時として、何をする訳でもなく、ぼぉっとして、街の景色を眺めたり、お喋りな彼女のマシンガントークに意味も判らずに頷いていたり。そういった一見無駄に思えるような時間が人には必要だし、とても大事なものなのだ。

急ぎ足で歩いていると、道端の素敵な花々を見落としてしまうよ、なんて綺麗ごとが言いたいんじゃない。
俺が言いたいのは、「閉」ボタンからスペインのことを思い出したら、無性にスペインに行きたくなった! ということなのだ。

オチはそれかよ、とがっかりされる方もいるだろうが、こういった意味のない文章を読むような時間を過ごすことも決して無駄ではないと思うよ、いや、無駄だと思う(反語)。