Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

あれから一年

東京に戻ってというべきなのか、札幌を離れてというべきなのか。とにかく、札幌を離れ、東京に戻って一年が過ぎた。あっという間だ。
今更当たり前の話なのだが、人生は短い。本当に気付くとすぐに時間が過ぎ去ってしまう。

去年の6月に東京に戻って来た時は、特にこれといった感情はなかった。三年振りに戻った東京に対して懐かしいという想いよりも、三年弱しか住んでいなかった札幌に対する望郷の想いみたいなほうが強かった。
それはやはり何度も書いているけれども、望んで東京に戻ったからじゃない、という理由が大きかったのだと思う。

そして去年の夏は地獄だった、色々な意味で。ほぼ毎日23時過ぎまで残業。深夜零時を超える事も珍しくなかった。仕事は全くやった事のない分野の事をやらされ、精神がすり減った。
たった一人で、ボロアパートのワンルームでコンビニ弁当を食べる日々。これでまともな精神を保てというほうが無理だ。

冬のちょっと前に現場が変わり、それで大分に心が落ち着いた。その代りに通勤が地獄になったけど。そうやって安心していたら、新しい現場も仕事が地獄モードに陥り、結局前と大して変わらない状況となった。
いつまで経っても心の安寧が訪れない。

それでもなんとか、趣味であるバンド活動を運良く再開する事が出来た。バンドメンバー募集サイトを通じて、同い年のK君(ギター)から「良かったら一緒にバンドやりませんか」と誘いを貰い、バンドを結成した。この辺りは過去に何度か書いたな。
仕事はずっと地獄で精神がすり減るけれども、スタジオに入ってドラムを叩けるのは至上の喜びだった。そして、札幌で五十の手習いで始めたピアノも、また教室に通い始める事が出来た。
ピアノに関しては慌てる必要もない。細く長くやっていこう、そんな心づもりだった。

それがコロナで全てが活動停止。

ドラムはスタジオに行けないと叩けないから仕方ないにしても、ピアノは電子ピアノがあるのだから、ヘッドフォンを使えばいつでも弾ける。それは頭では判っている。それでもやはり教室に通って、先生にチェックして貰うというある種の強制力がないと、やらなくなっちゃうんだよなあ。
今、この文を書きながら思い出したのだけれども、ピアノも二ヶ月半弾いていない。理由の一つとして、四月半ばから在宅ワークになったのだけれども、仕事が忙しくて、夜中の23時からテレビ会議とか平気でやるのだからな。堪らない。

また、家で仕事をしていると、オンとオフの使い分けが段々出来なくなってくる。俺みたいなタイプの人間は在宅ワークには向かないんだな。この二ヶ月半、家でずっと仕事をしていたせいか、いつが仕事モードで、いつがオフタイムなのかよく判らなくなってきた。とにかく寝ている時も、「ああ、あの資料、今日中に仕上げなくちゃいけないのに全然出来てない!」という悪夢(笑)を連日見たりした。

仕事は変わらず地獄なのだけれども、先日久しぶりにバンドメンバーのグループLINEにメッセージを送った。その日のうちにメンバー全員から返事が返って来た。みな、やはりスタジオに入れる日を望んでいるようだった。良かった。前回スタジオ入ったのは3月だからね。こういった危機があると、それが原因でメンバーが離脱したり、解散することも珍しくないからなあ。

土曜日に、ピアノ教室から連絡があった。コロナのせいで休会になっていたが、7月から再開すると言う。当分、休会できますがどうしますか?と先生に訊かれたので「再開します。こんな生活してると、人として駄目になる。せめてピアノくらいは前みたいにやらないと」と意気込んで言うと、先生は笑っていた。

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何もかもが今まで通りという訳にはいかないだろう。それでも、まだ俺には心の拠り所と言えるものがあるのだから、それで充分だ。贅沢は言わない。