Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

雪国のニュースを見て、雪国にいた頃を思い出す

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「この三連休は雪掻きに追われた」という内容のblogをここ2、3日多く読んだ。雪国は大変だよなぁと他人事の感想を持ち、ふと思い出した。
そういや俺だって2年前は同じだったじゃないか。2年前は札幌で雪掻きに追われていた事をすっかり忘れていた。
人間というのは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なんだなあと今更ながらに思う。

札幌を離れて関東での2回目の冬。去年の今頃は東京のボロアパートで独り暮らしをしていた。あの時は寒かった。いや、比喩で言っているのではない。木造アパートの角部屋だったので部屋の気密性が低く、この季節は滅法寒かった。
おまけに心情的な意味でも寒かった。独りで暮らしていたから碌な食事も摂れず、酒ばかり飲んでいた。去年の今頃は仕事が暇だったのが唯一の救いか。
今は仕事は変わらずの地獄モード。仕事に関してはこれ以上何も言いたくない。

札幌の生活はやはり物理的には冬がきつい。凍った道を歩くのも怖かったし、雪が積もると駐車場の雪掻きをしなくてはいけなかったのも面倒だ。それでも一軒家に暮らしていたのではないから、そういった意味ではまだマシなほうだったのかもしれない。
寝る前は雪が積もっていなかったのに、目覚めたら雪景色なんてのは日常茶飯事だった。
札幌に行って最初の年に買った雪掻き用のスコップは、2年目には壊れた。雪に耐え切れなかったのだ。

朝起きて雪掻きをして、そして凍った道を駅まで歩く。滑って転びそうになりながら、冷や冷やしながら歩いていたのを思い出す。
札幌市民が言う「今日は暖かいなぁと思ったら、氷点下零度だった」が冗談でないのも、札幌に行って知った。俺自身、「今日はそれほど寒くないな」と思って温度計を見たら、マイナス2度だったことがある。これ、冗談じゃなく本当の話。

12月や1月に、足元を心配して歩く事もなくなった。天気予報を見て、「最低気温がマイナス12度かぁ」とため息をつく事もなくなった。
夜中の零時過ぎに、除雪車の走る音を聴くという生活からも遠く離れた。

俺が10月まで同じプロジェクトで働いていたAさんは、12月から札幌に転勤になった。彼は既婚者なので単身赴任だ。昔の俺を見ているようだ。しかし、Aさんの場合は奥さんが札幌に来てくれる事はない。札幌で働いている間はずっと独り暮らしが確定。
正直言って、これは厳しいと思う。
俺も札幌に行った最初の4ヶ月は独り暮らしだったが(おまけに12月から3月)、後から相方が来る事が判っていたから乗り切れた部分がある。
ある程度の年齢を超えてから、北国での冬の独り暮らしは正直しんどいと思う。

雪の中、食料の買い出しに行かなくてはいけないとか、休日に知人友人がそこにいなければ、孤独を一人囲まなければいけないなど。物理的にも精神的にも堪える事は想像に難くない。

俺の札幌での暮らしは物理的には大変だったが、ピアノとSax、ドラムという趣味があったお陰で心の安寧を保つ事は出来た。友人も出来、バンド活動も出来た。そういう意味では東京に戻ってきてからよりも充実していた。
東京(神奈川)に戻ってきてからの音楽活動が今一つなのは、それはほぼコロナの所為なんだけれども。

また札幌暮らしを一人でやれるか?と問われたら、冬の雪の辛さを思い出して、うーんと唸るのは間違いない。でも、一度経験していれば、なんとかなる気もしなくもない。喉元過ぎれば、何とやらだ。

辛い経験は忘れる事が出来るのが人間の良いところだ。だから、前を向いて生きていけるのだ。と、思う事にしておこうか。