Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京で一人暮らしを開始。2020年10月に神奈川に移り住む。生々流転の日々。

価値観なんてものには何の価値もない

昨日、相方と札幌駅前のビュッフェレストランで夕食を摂った。
相方は今週(今年)から、新しい職場で働き始めた。東京時代に働いていた医療系コンサル会社が札幌に支社を作ったのだ。
札幌に来る前から相方は「会社は札幌に支社を作る事業計画があるから、上手くいけば、札幌でそこに潜り込めるなあ」と言っていた。図らずもそれが現実となったのだ。

「もう、大阪や福岡の支社の人達とテレビ会議で挨拶しまくってさぁ。またお願いしまーすって一日中、お久しぶりの挨拶周りしてたよ」と相方は大変さを強調していた。
が、なんというかポジティヴな大変さのように俺には感じられた。東京本社と札幌支社という違いはあれど、また同じ会社で働けるのはきっと喜ばしい事に違いない(馴染の気の合う同僚達も何人もいるようだし)。

「さっき約束まで時間あったから、デパート巡りしてたんだけど、Furla(フルラ)のバッグがセールで、6万のが4万だって! 買おうかなー」
食事の間の話題は、新しい会社の事と、Furlaのバッグの事ばかりだった。
相方は物欲の鬼である。買い物依存症でもある。これは不治の病なので、一生治らない。
「黒と赤があってさあ。コートが黒でバッグも黒だとねえ、やっぱり赤じゃない?」
知らんがな、そんな事。
Furlaのバッグは既に持っていると記憶していたが、そんな事は言っても意味がない。どうせ「色もデザインも違うじゃない!」と反論されるのは目に見えている。

不思議で仕方ないのだが、何故女性はこうもバッグと靴を欲しがるのか。いや、頭では俺も理解は出来る。
俺だって、弾きもしないのにもう一本エレキギター欲しいなあと思っているし。だが、やはり女性の靴欲しい病、バッグ購入欲はよく判らない。
俺はギターに関してはあと一本あればいいと思っている。が、相方の靴やバッグの欲望は一つ手に入れると、また次の欲が発生するのだ。際限がない。

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俺自身がファッションと金に縁のない人生を送って来たからかもしれない。俺は洋服屋に行ってもテンションが上がった事がただの一度もない。俺のテンションが上がる場所はライブハウスであり、ジャズバーだ。あと、質の良い温泉宿かな(笑)

ま、仕方ない。未来永劫、俺と相方のファッションに関する価値観が一致する事などないのだから(それは互いに諦めて認め合っている)。


職場の某氏が「みんなでスキーに行きましょう」という趣旨の社内メールを発信していた。
俺は端から参加する気がなかったので不参加。某氏から「参加しないんですか?」と訊かれて、不参加の意を表明すると「せっかく札幌にいるのにスキーしないなんて勿体ないですよ」と言われる。
が、俺に言わせれば、札幌在住だからスキーをしなくちゃいけない法がある訳でもあるまい、である。札幌に来た最初の冬にスキーは二回経験した。それでもう充分だ。

そもそも、俺はウインタースポーツには興味がない。というか間違えた。俺はスポーツをやる事には興味がない。俺が唯一興味があるのはサッカー観戦(それも鹿島アントラーズ限定だ)。
湘南に生まれた男の子がみなサーファーになるわけじゃないだろう。
沖縄で育ったから、ダイビングを必ずするとは限らない。
大阪で生まれ育った巨人ファンだっているだろう? つまりそういう事だ。

俺は別に札幌の冬にスキーが出来なくても構わない。しんしんと降る雪を窓から眺めて「よく降ってるなぁ」と感心しつつ、暖かい部屋でピアノ弾いたり、好きな時代劇や映画を観られればそれで良い。


東京にいた頃(10年以上前の話)、広告代理店にコネのある同僚がいた。彼が或る日「なあ、モーニング娘。のライブ観に行かない? アリーナ、前から五列目の席があるんだってさ」と俺を誘って来た。
喧嘩売ってんのか? その同僚は俺がロックやジャズが好きでアイドルに興味がないのを知っている。
「あのさ、俺がモーニング娘。のライブ観に行くと思う?」
「だって、五列目だよ、五列目」
アリーナ、五列目とは言え、モーニング娘。だ。一体そのアリーナ席に何の意味があるだろう。無論、当時このチケットをネットとかで売れば、大喜びで定価の何倍も出して買う奴がいたに違いない。
その同僚からは、ローリングストーンズの武道館のライブチケットを定価以上の金を払って購入した。当然こっちはアリーナ席じゃない。

でも、俺にとってどちらが価値のあるものかなんて、言わずもがなである。


人間、興味のあるものや対象が違うのだから、同じような価値観を感じるというのは不可能だ。むしろ、同じ価値観を持とうとするほうが間違っている。

東京時代(それもかなり昔)、同僚達との酒の席で「結婚相手に何を求めるか(どんな相手と結婚したいか)」という話をした事があった。
俺は問われてなんと答えたか忘れてしまった。そもそも、そんな事を考えた事もなかったし、結婚てそんな条件みたいなもんを定義してするものかな、という気持ちがあったようにも思う。
同僚の一人が不思議なことを言った。「僕は価値観が同じ女性と結婚したい」
俺は意味が判らず「価値観が同じって何?」と彼に説明を問うたのだが、彼の説明は俺を納得させるものではなかった。

あ、今書きながらちょっと思い出した。彼が「価値観が同じだと、何かの局面で意見が分かれて喧嘩したりしないで済むから、互いの関係が上手く行く」という趣旨の事を言っていたような気がする。
馬鹿だなあと思う。そもそも価値観が全く同じ相手(パートナー、結婚/交際相手)なんかいる訳ねえだろうが。
さらに思い出した。俺が「そんな価値観が同じなんて抽象的な事言ってたら、いつまで経っても結婚どころか恋人も見つからねえぞ」と彼に言った記憶もある。
少なくとも、俺が東京にいる間、彼は結婚はおろか、恋人すらもいなかったように思う。価値観が同じ女性を探すよりも、酔った拍子におっぱい触らせてくれる女性を探すほうが簡単だと思う(得意のセクハラ案件)。


昨日の夜、食事を終えて帰宅してから、俺は相方に二万円を渡した。
「バッグの購入資金、半分出してあげるよ」
「え? いいのー。やったー」
来月は相方の誕生日だ。だから、その誕生日祝いという形だ(いくらなんでも誕生日祝いに4万のバッグを買ってやる甲斐性は俺にはない)。

そして今日、帰宅してみるとリビングにはFurlaの大きな紙袋があった。俺には袋の中身に4万の価値があるとは思えない。
だが、相方だって、俺が普段家で弾いている練習用ギターに8万の価値があるとは思っていないだろう。

それでいいのだ。価値観なんて一致しなくて当然なのだから。