Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

とある日本の夏の景色

さて、今日も暑いのである。夕方の5時を回ったというのに、未だに暑いのである。

縁側に腰掛けて、家の主を呼ぶ。
「仲間さーん。仲間さーん、いないの?」
どうやら留守である。

こちとら下駄にバミューダパンツにTシャツと、これ以上にない程のラフな格好である。下駄を脱ぎ捨てて、縁側に上がり込む。
「暑いねー今日も。仲間さーん」
当然のことながら、反応はない。留守なのである。左手にぶら下っているバレーボール大の西瓜が汗を流している。
「ううむ。せっかく冷やして来たのになあ…」
取り敢えず、煙草を1本吸ってみる。それまでに仲間さんが戻ってくればよし、戻らずとも不都合はなし。

居間にはちゃぶ台。そして、その上には小鉢が3つ、4つ。サランラップが掛かっている。
仕方がない。仲間さんは戻ってこない。縁側から居間へと移動する。戸は全開である。素晴らしきかな、この呑気。家人が留守であるのに、家には鍵1つ掛かっていない。不用心にも程がある。ただ、盗られるようなものもないか、この家には。

ちゃぶ台の上には肺癌推進委員会から贈呈されたかのような巨大な硝子の灰皿が置かれている。ううむ、もう1本煙草を吸えということか。
畳の上に、近所の商店街の文字が印刷された団扇が。これで、少し煽いでみる。たゆやかな風が起きる。
そういえば、このうちにはクーラーというものがなかったのだな。だが、縁側がある家にクーラーは不要である。どう見ても20年前に製造されたとしか思えない旧式の扇風機が、全開で首を振って、風をこの部屋に送り続けている。

この扇風機としょぼい団扇で、涼を取るには充分だ。しかし、ちょっと何かが足りない気がしなくもないが。
そうそう、せっかくの西瓜が温くなってしまう。よし、冷蔵庫に入れといてやろう。

キッチンと呼ぶよりも、お勝手と呼ぶにふさわしい台所に向かい、でかいだけが取柄の冷蔵庫のドアを開ける。
「ううむ。こりゃ一体、どうなってんだろうな……」
驚く以外に手がない。冷蔵庫の中は多種多様の飲食物で一杯である。手当たり次第に突っ込んだといった感じで、どこから手をつけていいのやら、さっぱり判らぬ。これで食事の用意が出来るのであろうか?
とてもではないが、西瓜が鎮座するスペースなど、どこをどう探してもありはしない。

冷蔵庫のドアの収納部分に瓶ビールがあるのを目ざとく見つける。よし、これだこれだ、さっきの涼に足りないものは。
食器棚から、勝手にグラスを取りだし、瓶ビールと一緒に居間へ戻る。あぐらを掻いて、瓶とグラスをちゃぶ台の上に乗せた時に気付く。
「そうだ。ええと、栓抜きは何処だったかな?…」

立ち上がろうとしたところで、玄関のドアが開く音がする。
「ただいまー」
「お帰りー」
家の主でもない俺ではあるが、平気で返事をする。

「あ、達おじさん。いらっしゃーい」
手の甲で汗を拭いながら、仲間さんの愛娘の由紀ちゃんが挨拶をする。この娘は会う度に背が大きくなるなあ。
「由紀ちゃんもう中学生だっけか?」
由紀ちゃんはケラケラと笑う。
「おじさん、この間来た時も同じこと言ってたヨー。私もう18歳。高校3年生だよ」
「そうかー。もうそんな歳かあ。俺も老けるわけだなあ…」
「それもこの間言った。ちょっと待ってて。着替えてくるから」
セーラー服姿の由紀ちゃんは自分の部屋へと駆けていく。あ、しまった。栓抜きの在り処を訊くのを忘れてしまった。

程無くして、由紀ちゃんが白のTシャツにショートパンツといった格好で現れた。台所へ一旦消えたが、すぐに栓抜きを持って再登場。
「はい、おじさん。お酌してあげる」
「由紀ちゃんは気の利く子だなー。将来はいいお嫁さんになれるぞー」
「おじさん、それ、この前も言った」
由紀ちゃんはカラカラと笑う。
「そういや、由紀ちゃんは彼氏とかいないのか?」
由紀ちゃんは顔を真っ赤にする。今時の子とは思えぬ純情さである。こういった子が東京に出たりすると、あっという間に化粧を覚えて派手に遊びまわるようになるのかと思うと切ないものがある。いや、由紀ちゃんに限ってその心配は無用か。

ビールをぐいぐいと飲みながら、煙草を吸っていると由紀ちゃんが言う。
「おじさん、枝豆でも茹でよっか?」
「いいねえ。枝豆、あとヤッコなんかあると最高だなあ」
人の家に勝手に上がりこんで、この要求である。が、由紀ちゃんは嫌な顔一つしない。

由紀ちゃんはこの暑い最中、鍋で枝豆を茹でる。由紀ちゃんの顔は暑さで火照てり、額からは汗が滴り落ちる。由紀ちゃんはタオルで汗を拭う。自分の娘でもない子に、この暑い中、こんな重労働をさせて申し訳ないと思う。そして、由紀ちゃんは長葱と茗荷をみじん切りにする。
「おじさん。取り敢えず、ヤッコね。生の生姜なかったから、チューブで我慢してね。あと、枝豆はもうちょっと待って」
ヤッコをツマミにビールを飲む。ああいい気分である。俺にもこんな娘がいたら、人生変わっていただろうになあ…

「お父さん遅いねー。どうしたのかなあ」
お勝手から由紀ちゃんの問いかけがある。ううむ、そういや仲間さん、遅いな。
「あ、おじさん。今日はちゃんとお父さんと約束してきたんでしょーねー?」
「いいや。いきなり来たんだよ。暇だったから」
「もぅ~、ダメじゃん。この間ん時も、お父さんが出張でいないのに遊びに来てさー。私がいなかったら、どうする気だったのぉ?」
「うーん。そういうことはあんまり考えないんだな。難しいことは考えるの、苦手だからさ。あ、由紀ちゃん」
「ハイハイ。ビールお代わりね。枝豆はあと5分くらい待ってねー」

こうして、日本の夏の夕暮れは過ぎていく。良きことである。