Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

三つの願い

世の中、何故かは知らぬが「願い事」は三つまで、というのが相場のようである。

子供の頃に読んだ童話だか逸話に以下のようなものがあった。
あるお婆さんが妖精だか天使から三つの願い事を授かった。貴方が望むもの(こと)を三つまで叶えてあげましょう、というそれだ。ところがこのお婆さん、何をトチ狂ったか、「大きなソーセージが欲しい」などとのたもうてしまう。そしてお皿の上には大きなソーセージ。喜ぶお婆さん。
そこへ愛人宅から戻ったお爺さん登場。
「このソーセージは何だ?」「お爺さん、聞いてくださいよ。実はかくかくしかじか…」「馬鹿じゃないのか、お前は。せっかくの大事な願いをそんなことに使ってしまうなんて。そんなソーセージ、お前の鼻に付いてしまえばいい!」すると、そのソーセージ、お婆さんの鼻にくっついて、もうどうやっても取れそうにない。仕方がないので、最後のお願いを使って「ソーセージを鼻から取って下さい」と頼む。
結局こうして三つの願いは費やされ、残されたのはソーセージただ一本という有様になってしまった。

この話から得られる教訓は「ソーセージを鼻に付けてはいけない」ということだ。皆様も覚えておくと良いだろう。って、そうじゃねえだろ。本当の教訓は「人間、分不相応な贅沢を望んではいけない」ということでもなく、せっかく三つも願いを貰えたのに、「ソーセージくれ」なんて馬鹿な願いをしてしまう女を嫁にしているこのお爺さんは愚か者であるなや、ということだ。つまり、嫁を貰う時はその器量でも料理の上手下手でもなく、頭のいい女を貰いなさい、という戒めなのである。なんかだいぶに違う気がする。そうではない、そうではないのだ。

他に似たような話で有名なのが「猿の手」である。こちらはホラーというか怪奇小説的な話ではあるが。ある男が魔力を持った「猿の手」を入手する。この手に祈ると三つの願いが叶うという迷信があった。
男は一つ目の願いとして「大金が欲しい」と願う。願い事としては、かなりポピュラーというか王道のリクエストである。そして、男は大金を得るのだが、代わりに大事な息子を事故で失ってしまう。息子を取り戻したいと思う母がこの猿の手に「息子を生き返らせて」と二番目の願い事をする。嵐の夜、息子は墓場から戻ってくるが、その状況に恐怖を感じた父(つまり、大金を手にいれた男)は最後の願いとして「息子を家に入れないでくれ!」と頼む。するとドアをノックしていた息子(の亡霊?)は消え去り、事件は終結するといった話だ。
この話の肝は一体何なのだろうか? よく判らないので、省略する。

上記二つの話に共通しているのは、どちらも願い事が「三つ」に限定されている点にある。で、ここでお約束となるのが、願いを二つまで頼み、最後のお願いに対して「お願いを無尽蔵に頼めるように増やして!」という要求は出来ない点にある。これを可能にしてしまうと、三つのお願いなぞ何の意味も持たなくなってしまうからだ。そもそも、この掟破りの願いが可能であるなら、わざわざ「三つの願い」と断る必要性がなくなってしまう。最初から「お前の願いを何でも叶えてやろう」で済んでしまうからだ。

もし仮に願いが四つまでだったら、どうなるであろう? これは少し微妙な問題を孕んでいる。
先程の老夫婦を例にとって考えてみたい。当然のことながら、最初の願いは「大きなソーセージ頂戴」である。そして残念ながらこのお爺さんは短気ゆえ、二つ目の願いもやはり「婆さんの鼻にソーセージが付いてしまえ!」である。
そしてここで、どうやっても離れないソーセージを見ながら、お爺さんは熟考するのである。
 「待てよ、願いはあと二つ残ってるぞ。そうだ。となるとだな、三つ目でこの馬鹿な婆さんを追放して四つ目で若い綺麗な嫁さんを貰うことにしたらどうだろう? そうしたら、ワシも余生を楽しく過ごせるわい。婆さんの鼻についたソーセージなんか知ったことか」

無論、お婆さんだって考えている。
 「はあ、いくらなんでも鼻にソーセージつけたままなんて、恥ずかしくて生きていけないわ。次の願いでソーセージを鼻から取ってもらいましょう。ああ、でもいやだいやだ。なんでわたしゃ、こんな短気な男に何十年も仕えてきたんだろう。おまけに、人の鼻にソーセージをつけろなんて言うし。本当に酷い人だわ。最後のお願いでお爺さんを私の前から消して貰いましょう。せめて余生は静かに穏やかに暮らしたいもの」

この時、お婆さんはお爺さんの目に宿った狂気に気付くのである。そして二人は同時に叫ぶ。
「この爺さんを私の前から消してちょうだい」「このババアを俺の前から消してくれ!」
ああ。三つ目の願い、そして最後の四つ目の願い、共に効力を発揮し、老夫婦は消えてしまいましたとさ、めでたし、めでたし。

おっと、危ない、危ない。全然目出度くない。つまり願いが三つ限定なのは以上のような深謀遠慮があるせいなのであった。決して気まぐれや偶然で「三つ」となったのではないのだ。昔の人は色々と考えた後に物事を設定するのである。

さて、翻って三つの願いを享受する権利が俺に生まれたらどうするであろうか? などと書いてみたものの、実は願いは全て決まっている。
1)仲間由紀恵を俺の嫁さんにしてくれ
2)それが無理なら、俺を仲間由紀恵の愛人にしてくれ
3)小芝風花を俺の娘にしてくれ

え? なんか文句ある? 俺的には何も問題ないのであるが。いや、問題が一つあるな。一つか? そもそも仲間由紀恵ちゃんと知り合うチャンスもない、おじいさん一歩手前の男がが何を考えているのかって話だな。
それに俺は既婚者だ。ってゆーか、由紀恵ちゃんも既婚者だ。ああ、俺達は悲劇のロミオとジュリエットだ(絶対に違う)

だらだら書いていたら枚数も尽きた(何だ、枚数って?)。そうだ、願いなんて三つも要らぬ。一つで充分だ。今の俺に必要な願いは一つしかない。

誰か、この駄文にオチをつけて欲しい。