Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

無能な人

若い頃、会社の憧れの女性上司に言われたことがある。
「君は器用貧乏だよね。なんでも、そこそこにこなせるけど、これといった突き抜けたものがないよね」と。

彼女は仕事のことを言っていたのだと思う。そしてそれ以外の部分も。そこは俺もなんとなく判ってはいた。自分で自分を客観的に評価した場合、俺は全くの無能ということはないと思う。さすがに無能だったらこの歳まで同じ仕事を続けてはこれなかっただろう。
だが、何か人に誇れる能力があるかと訊かれたら、これは言葉に詰まる。正直言えば、俺は仕事人としては、非常に凡庸だ。平均以下だろう。それでもこの歳までやってこれたのは、運が良かったという部分もかなり大きいのではないか。となると、そういった運に恵まれるという能力はあったということになるだろうか。

世の中には、仕事が出来て、さらに趣味の世界でも素晴らしい才能を発揮する人がいる。俺からすると、羨ましくて仕方ない。仕事も出来るのに、加えてプライベートな部分でも光り輝くものを持っている。だが、そういった人は見えない部分で必ず努力をしているのだ。生まれながらに才能を神から与えられたような人(マイルス・ディビスとかね)を除いて、他の人はみな、地道な努力を積み重ねることによって、少しずつ自分の足元を固めているのだ。

俺はこの歳まで、色々な楽器に手を出してきた。ギター、サックス、ドラム、ピアノ。そしてそのいずれも平均以下だ。どれ一つとしてまともに出来るものがない。高校時代、滅茶苦茶ギターの上手い奴がいた。俺のギターは相当酷かった。だが、きっと彼は家で一人でスケール練習や曲のコピーといった、報われるか判らない練習を必死でこなしてきたのだ。だから、人前で称賛されるような演奏が出来るようになった。
俺と言えば、ギターの練習も碌にやらずに、遊びほうけていた。となれば、彼と俺のギターの腕前に歴然とした差が生まれたのも必然だ。ある意味、当然の結果。これは誰を恨むでも、怒りをぶつけることでもない。当たり前の話なのだ。

楽器の演奏に関しては、最初から「上手く演奏出来る能力のある人」というのはあるかもしれない。だが、それよりも「地道に練習を重ねる事が出来る」という能力のほうが大きい。俺はそういった意味での「練習を重ねる」能力が圧倒的に無かった。皆無だった。
ただ、不思議なことに、俺は「楽器を練習する」能力はゼロだったが、「楽器を続ける」能力は圧倒的にあった。だから今でもそれらの楽器をやっているのだ。これだけ楽器が下手だったら、普通は止めていると思う。人前で演奏する気力も生まれないかもしれない。だが、俺は平気で人前で下手くそな演奏をするのが苦にならない。むしろ、演奏したくて堪らない。これも或る意味、才能なのだと思う(自分で言うかよ)。

札幌を離れる前、ちょっと思いついて、絵を描いてみた。数年前に相方と一緒にスペインに行った。その時滞在した「ジローナ」という街の絵を描いてみた。上の絵が相方が現地で買い求めたもの。そして下が、それを元に俺が鉛筆で描いたものだ。正直言って、小学生のスケッチのほうが断然マシだと思う。

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そして、これだけ下手な絵を平気でネットにアップ出来る図々しさが、俺の一種の才能なんだと思う。これは「恥知らず」という才能だな。今後も絵を描くかは判らないけれど、たまにはやってみようかな。と、楽器をダラダラやっているのに、今度は下手くそな絵もやる気なのか?と問われれば、「気が向いたらやるかもねー」といった感じだ。
この、無能なくせに好き勝手にやりたいことを厚顔無恥でやる、というのが、実は俺の一番の才能だと言う気がしている。