Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

ANOTHER ONE BITES THE DUST

人気映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て来た。映画に関しては「感動した。泣けた」という人もいれば「うーむ。今一つだったなあ」と賛否色々のようだ。
当然である。100人が100人満足する映画もなければ、100人が100人、否定する映画もない。

俺自身の意見としては、「さすがに、QUEEN結成から史上最高と言われるLIVE-AIDのパフォーマンスまでを描くのには尺が足りないかな」と言った感じだ。なんというか、連続ドラマのダイジェスト版を観させられた感は否定出来ない。
ただ、史実は別として「ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディングシーンや、「ANOTHER ONE BITES THE DUST(地獄へ道連れって邦題、なんとかならんか?)」の誕生の切っ掛けは面白かった。

俺はQUEENのファンじゃない。QUEENに関して覚えてる事と言えば、俺が高校時代に想いを寄せていた女性が、QUEENのアルバムを一枚だけ持っていたという事だ。だから彼女の家に遊びに行くと、よくそのアルバムを聴いた。そのアルバムに「ANOTHER ONE BITES THE DUST」が収録されていた。印象的なベースのフレーズだったから、よく覚えている。
俺がQUEENに関して持っている思い出はそれくらいだ。そのアルバムのタイトルすらも覚えていない。

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そのバンドの音楽が趣味であろうとなかろうと、バンドのヒストリー的な物語というものは映画であれ、書籍であれ面白い。過去に読んだバンド/ミュージシャンのヒストリー的な本としては、矢沢永吉尾崎豊浜田省吾GLAY、ハウンドドッグ、ビル・ワイマン(元ローリングストーンズのベーシスト)とかがある。
バンド物が面白いのは、バンドというのは、大抵結成されてから売れるまでに、紆余曲折がある。その紆余曲折が真実なだけに面白いのだ。
だから、この映画も結成シーンの後すぐに「ONE YEAR LATER(一年後)」と字幕テロップが出て、QUEENがある程度上手くいく状態になってから話が転がり始めたけれども、個人的には、その一年の間にあった諸々が見たかった。後から加入したフレディが既存メンバーと対等、或いはそれ以上の立場にどうやってなっていったのか、そのほうが、興味があった。
(それじゃあ、ラストのライブシーンやるまでに時間がどれだけあっても、足りないだろうけれど)

矢沢永吉の「成り上がり」(これは多分、糸井重里さんが矢沢さんにインタビューして、そのインタビューを元に書き起こし、構成、編集したのだと思う)なんかはその最たるものだ。
えーちゃんが、広島から上京し(最初は横浜で暮らし始めたらしいけれど)、バンドを組み、力量の足りないメンバーをクビにしていったとかの話は非常に興味深かった。
プロを目指しているアマチュアバンドでメンバーが離脱するケースは、大きく分けて二種類だと思う。
一つは、そのメンバーがプロになる気がそもそもなかった為に、自ら脱退(或いは途中まではプロになるつもりだったが、一向に売れる気配がない為、バンドを辞めて堅気になる。そして大抵バンドはその後に売れる)。
そしてもう一つは、プロになるだけの技量がない為に、バンドをクビになる。

前にテレビのトーク番組で見た記憶があるのだけれども、筋肉少女帯の大槻ケンジさんが「凄くいい奴だったんだけど、そいつと一緒じゃプロには成れないから、悪いけど辞めてくれって泣きながら頼んだ事ある(大意)」と語っていた。
バンドで技量の足りないメンバーにクビを宣告するのって、されるほうも辛いけど、するほうはもっと辛い。

これは恋人同士の別れに近いものがあると勝手に思っている。俺は自慢じゃないけど、30歳を過ぎるまで女性に自分から別れを告げた事がなかった。いつも俺は振られるほう(笑)
振られる度に、「別れを告げられるって、辛いなぁ…」と思っていた。だが、人生で初めて相手に自ら「さよなら」を言った時に、ああ、『さよなら』は言われるよりも言うほがよっぽどキツイんだなと実感した。

俺は恋人に別れを告げられた経験はちょっと多過ぎるので、あまり思い返したくはない。が、バンドをクビになった経験は二度ほどだ。ただ、このバンドのクビ経験は、上記の例みたいな「恋人同士の別れ」とは程遠い。
どちらかと言うと、一晩だけの遊び相手と何回かまたホテルに行って、こっちは恋人同士のつもりでいたら「お前とは今日で終わりだから」と言われたニュアンスに近い。なんだ、その喩え。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中で、フレディをソロで売り出そうとする策略があった。するとそれを知ったフレディが「バンドは家族だ!」と烈火の如く怒り、その首謀者をクビにした、というエピソードがある。
ところが、「バンドは家族だ」と言ったフレディがその後、ソロになってバンドメンバーと仲違いしてしまうシーンがある。ここが俺はちょっと引っ掛かったんだよなあ。
「バンドは家族」とまで言ったフレディが、ソロをやりたいと思った理由が「誰の曲をシングルにするか、印税の取り分はどうするか、そういった争いに疲れた」ってのは、ちょっと違うんじゃないかと。

映画見終わってから、ネットで調べたら、フレディがソロになってバンドがほぼ解散状態になったのはフィクションだったようである。ただ、映画として考えた場合、最後のライブシーンがクライマックスだから、バンドメンバーが仲違いしてるシークエンスを作ったほうが、盛り上がるのは間違いない。

俺自身も、仲違いをして、遣り取りが途絶えた相手(バンドメンバー)とまた友好関係が復活した経験が一度ならずある。この辺りもちょっと恋人同士の関係に近い。

というよりも、バンドも恋人関係もどちらも人間対人間なんだから、同じで当たり前なのかもしれない。