Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。

メキシコ旅行1 2018/10/30 旅行初日 メキシコ・シティに到着

2018年10月30日から、11月09日まで、メキシコに行って来た。メキシコは二回目。前回は三年前だった。
今回の主目的は「死者の祭り」を見る事。「死者の祭り」は日本で言えば、お盆みたいなものだ。
去年、スペイン旅行を終えて日本に帰って来た時、相方は「来年はメキシコ・シティに行って、死者の祭り見るぞー」と意気込んでいた。もともと、スペインよりもメキシコのほうが相方は好きなのだ。
俺? 俺はどっちかというと、スペインのほうが好きだけどね。

今回の旅行は一旦、新千歳空港から成田空港まで行き、成田からANAでメキシコまで。前回はアメリカでトランジットしたが、今回は直通便だ。成田を経由するとは言え、直行便はやはり楽である。それになんといっても、飛行機会社がANAであるのは嬉しい。サービスやら食事が日本の旅行会社だと、外国のとは断然違うからね。

スーツケース二つを運ばなくてはいけないので、新千歳空港までは車で行く事にした。電車だとスーツケース運ぶのも一苦労だからだ。それに車で空港まで行くとなると、運転は相方の役目なので、さらに俺は楽になる。
30日(火曜)の朝9時に家を出発。呑気に音楽を聴きながら、空港まで。朝のラッシュ時間を過ぎているから空いているかと思ったら、想定以上に道が混んでいて、空港着まで二時間半程掛かった。

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まずは成田空港までのフライト。一時間半程度なので、特に何もなく、成田に到着。ここから、メキシコまで12時間のロングフライトだ。海外旅行経験者は判ると思うけど、これが結構辛いんだよなあ。ビジネスクラスやファーストクラスなら天国なんだろうけど。久しぶりの成田空港。外国人旅行者用に、日本固有の土産を売っている店が変わらずある。こういったのを見ると「ああ、今から海外なんだよなー」とテンションがあがる。

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成田出発は午後の4時。なんか微妙に小腹が空いた。機内食が出るのは判っているが、やはり日本を立つ前には「蕎麦」だな。ということで、鶏天蕎麦を食べる。1,000円。空港価格なので高い。が、ラーメンとか1,200円もする。白人のグループで箸を上手に操って、ラーメンと餃子を食べている人達がいた。正直、この値段を見ると、やはり日本は物価の高い国だなあと実感する。
日本に観光に来れる人って、相当の金持ちだよなあと、しみじみ思う。

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そして搭乗時間となる。ここから先は楽しみは映画と食事(と、お酒。お前、酒止めたんじゃなかったのか? という突っ込みは今回は勘弁して頂きたい)
さすがにANAなので、日本食が出る。かつ丼だ。これは良い、という事でかつ丼を選択する。

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今回は座席は俺と相方は通路側で縦に並んで取った。なんでかと言うと、相方が俺の前の席になる事によって「後ろの人を気にしないで、座席倒せるから」というまったくもって我が儘な理由からだ。ただ、そのお蔭で、俺はしらばっくれてビールやワインを頼む事が出来た(無論、すべてばれていたけど)。

そして時々、CAさんをこっそり呼んでは、ビールやワインを貰ったりしながら、映画鑑賞で時間を潰した。出発が午後4時で、到着が現地時間の午後1時(日本時間で言うと、明け方の5時くらい)。相方は途中寝たりしていたらしいが、俺は体内時計が狂ったせいか、一睡も出来なかった。お蔭で映画を5本程見る事が出来た。邦画も2本見られた。
カメラを止めるな!」が絶賛された理由が残念ながら俺にはよく判らない。そして「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」は、はっきり言って糞映画なのでこれは見る価値がない。これらの映画ファンには済まない事である。

現地到着前に、朝食が出た。「焼き魚」である。俺は本当は朝食は洋食スタイルのほうが好きなんだけれども、焼き魚なんて、メキシコにいる間は食えないだろうから、食べておいた。やっぱり洋食でも良かったかもしれない。

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12時間のロングフライトを終えて、メキシコ・シティに到着。到着しても、酒と寝不足のせいで、頭がぼんやりしているせいで「よーし、メキシコ着いたぞー!」みたいな高揚感はない。頭にあったのは、「荷物ピックアップして、両替しないとなぁ…」である。

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メキシコの通貨はペソだ。前回の時は何も考えずに成田空港で円からペソに両替して失敗したので、今回は、札幌で12万円程を米ドルに両替しておいた。ネットで調べたところ、米ドルを現地でペソに替えるのが良いという情報を得ていたからだ。尤も、一番良いのはクレジットカードでのキャッシングらしいんだけど。
あと、驚いたのが、空港にある両替所のほうが、町中の両替所よりもレートが良かった事だ。これはちょっと驚きだった。普通に考えたら、空港よりも町の両替所のほうが、レートが良いと思うだろ。さにあらん。メキシコ・シティに観光に行く方は、空港で両替を済ませたほうが絶対に特である(ま、メキシコ・シティに行く人で俺のBlogなんか読んでいる人はいないと思うが)。

空港からホテルまでは自力である。俺達の旅行はいつでも、飛行機のチケット、ホテルの宿泊までは旅行会社に頼むけれど、それ以外は全て自力だ。だから、旅行会社の送迎がないと、空港からホテルまでは自分達でなんとかしなくてはいけない。
流しのタクシーは強盗やぼったくりの危険性があるので、空港内のタクシーチケット売り場で、チケットを買うべしとの情報をネットで得ていたので、チケットを買う。
そして無事にホテルに到着。今回は、同じホテルにずっと宿泊だ。「HISTORICO CENTRAL」って名前のホテルだったかな。

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部屋は、なかなか清潔感があって悪くなかった。窓からの景色は、隣のビルと隣接していて全然良くなかった。が、採光性が良かったので、そこは助かった。部屋が暗いと、やっぱり気分も暗くなるしね。あと相方の気分がダウナーになるんだよね、部屋が暗いと。

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バスルームは残念ながら、バスタブは無し。こればっかりは仕方ない。バスタブのある部屋もあるらしいけど、これは運だからなあ。

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長旅で疲れているので、とりあえずベッドに横になって、テレビを点けたら、「ブラック・ジャック」をやっていた。ブラック・ジャックピノコスペイン語を話すという、非常に不可思議なアニメを見る事が出来た。

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ということで、全然メキシコチックな写真もないが、エントリが長くなりすぎたので、今日はここまで。
(相変わらず、無駄に文章が長い。校正や構成と無縁のBlogなので、そこは申し訳ない)

 

メキシコ・シティから帰って来た

早いもので、メキシコから帰国して一週間が過ぎた。旅行というか、楽しい時間はあっという間で、メキシコに10日間弱もいたのが、もう何ヶ月も前のような気すらしている。

今回の旅行ほど、「観光」というよりも「休暇」というニュアンスが強かったものは過去にない。大きな理由として、旅行前にあまりにも仕事が忙しくて、碌に休んでいなかったというのがある。
それと、今回はあまり色々と観光巡りをしなかったせいで、非常にまったりとした旅行になったというのも要因としてあげられる。

旅行記はあくまでも自分に対しての備忘録としての意味合いが強いから、記憶が無くならない前に記録しておきたい。が、今日はまだそういった気分に自分がなっていないので、とりあえずメキシコに対する雑感を記しておきたい。

メキシコは今回が二回目。一回目は三年前。その時はグアナファトという世界遺産である街に滞在した。スペインの植民地であった影響もあり、グアナファトという街はスペインの色が強く出ていた(と偉そうに言っているが、三年前はまだスペインには行った事がなかった)。
今回は、メキシコ・シティ(以下、シティ)。シティはダウンタウン。ようは下町だ。日本で言えば浅草とか門前仲町とかそんな感じ。観光地というよりも、地元の人達の暮らすごくごく当たり前の街。
だから、非常に雑多で猥雑で、人々の暮らしが見て取れた。

また、今回はメトロ(地下鉄)に毎日乗って移動したので、地元民達の雰囲気を非常によく感じる事が出来た。それも楽しい経験だった。どうしても海外にいくと、観光地メインになるから、そういった「現地の普通の暮らし」を肌で感じる事が難しくなる。
今回はある意味では「観光地」よりも「普通の町」に滞在していた感が強かったので、その経験も悪くなかった。

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こういった事を書くと、気分を害する方もいるかもしれない。が、これは俺が思った事なので、あえて記しておく。
メキシコが今でも貧しい国で、いわゆる「後進国」(今も発展途上国って表現なんだっけ?)なのもよく理解出来た。メトロに乗ると、必ず物売りに遭遇した。
売っている物は様々。背中にスピーカーを背負って、CDを流して売っている人もいた。PCのUSBメモリを売っている人もいれば、お菓子を売っている人、イヤホンを売っている人など様々だった。
これは日本では絶対に見られない光景だ。

はっきり言って、メキシコからこういった物売りが消えない限り、メキシコの発展はないと思う。何故か。物売りの人達は、問屋なり店から、CDを10ペソで買う。そしてそれをメトロで15ペソで売って、5ペソの利ザヤを稼ぐ。
単に商品を右から左に流しているだけ。最初に製品化したCDはどこまでいっても、最初に製品化したままだ。何も付加価値が増えない。
つまり、ビジネスの過程で何も発展する要素がないのだ。

だから、CDを15ペソで売る横で14ペソで売る人がいれば、皆そっちに行ってしまう。そうなると、今度は13ペソだ、12ペソだとダンピングが始まる。あとは互いに利益を喰い合うだけの世界となる。
そこには何も上に向く要素がない。

ここでそのCDに何かしらの他にない価値を付加出来るような工程を産み出す作業が出来れば、10ペソのCDは20ペソにも50ペソにもなるだろう。そうなれば、ダンピング合戦をしなくて済む。
だが、それを考える人もいなければ、その必要性を説く人もいない。この構造は、カンボジアなどの貧しい東南アジアの国々も同じだ。

明日の100ペソよりも、今日の10ペソ。それが貧しい国の発想だ。そしてメキシコは当面この考えからは抜け出せないだろう。
圧倒的な物量で勝利を収めたのがアメリカ。量で勝てないから、そこに質を求めたのが日本。そして、マンパワーで諸々を凌駕した中国。
こういった国々にメキシコが追い付ける日は来るのだろうか。少なくとも、俺が生きている間は、そんなメキシコには逢えない気がする。でも、それが出来てしまったら、メキシコがメキシコでなくなるような気もする。

田舎の素朴な純情な可愛い女の子を見て「この娘が都会のファッションや化粧を覚えたら、とてつもなく綺麗になるだろう。でも、この子にはそんな都会の毒には染まって欲しくない」と、アンビバレントな気持ちを抱くのに近い感情なのかもしれない。

メキシコ・シティに行ってくる

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ここ一ヶ月程、仕事が色々な意味でヘヴィで、毎日胃の痛い思いをしていた。

仕事がきつくなると、いつも決まって昔の同僚の台詞を思い出す事にしている。
「(仕事でミスしたって)命までは取られやしねーよ!」
確かにそうだ。そう思う事によって、少しでも自分自身の心の負担を軽くしようと努めている。

色々なネゴをして、準備をして、やっとこの日が来た。

明日から、メキシコに行ってきます。
9泊11日。初めてメキシコに行ったのは三年前。景色は素晴らしく、食い物も悪くはなかった。それになんと言ってもコロナビールテキーラが美味かった。

全く英語が通じなくて、スペイン語に苦労したのも懐かしい。今は相方がブロークンとは言え、スペイン語が多少は話せる。
今回行くのは、メキシコ・シティ
俺達の旅は何都市も回ったりはしない。せいぜい、二都市くらいだ。今回はメキシコ・シティだけ。勿論、観光には出掛けるけれども、滞在するのはメキシコ・シティのみ。

一つの街をゆっくりと飽きるまで堪能するのが俺達の好みのやり方だ。

ここ最近、仕事に忙殺されていたせいで、どうも明日からメキシコという気分になっていない。よくない事だ。せっかくの海外旅行。楽しんでこようと思う。

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相手に誠実でいて欲しかったら、自分も誠実でなくてはいけない

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基本的に、このBlogでは、仕事の話は書かないようにしている。何故かというと、仕事の話なんて詰まらないからだ。人生は短い。俺の残りの人生も少ない。だとしたら、嫌いな仕事に関することなんて、なるべく書きたくない。
だが、今日ふとした拍子に大昔(20年くらい前)に経験したある仕事の体験を思い出したので書いておく。別に誰かに対して参考になるとかでもなんでもないのだけれども。

※俺の仕事はシステムエンジニアである。

一ヶ月だけの短期の契約の仕事が舞い込んできた。想像つくと思うが、短期の仕事は碌なものがない。大抵、現場が火の車状態で、納期は遅れまくり、作業員は疲弊し、プロジェクトは崩壊寸前というものが殆どだ。
その現場もそういった悲惨な状況だった。行ってみると、現場初日で雰囲気はおおよそ掴めた。お客さんが「数字が合わない、処理が正しく実行されていない」とクレームを突き上げてきて、開発を請け負っていたチーム(そこに俺は入ることになる)は、検証作業、修正作業に追われていた。
プロジェクトマネージャーから「今こういったシステムの納品前なんだけど、****を作って欲しい」と言われた。言葉に出したか記憶が定かじゃないが、俺は「え、今から????」と思った。
納品直前で、新しいシステムを一つ作れだって? このマネージャー、馬鹿なのかな?
例えて言うなら、二階建ての家が来月完成予定のところに、三階部分を増築して欲しいというようなものだ。どれだけクレイジーな事か想像がつくだろう。

初日にこの説明を受けて、俺は「このプロジェクトは駄目だな。崩壊以外の手はねえな」と匙を投げた。システム開発は技術者を増員することで乗り切れる場合もあるが、どうやっても根本からやり直さないと駄目な場合がある。今回のケースは完全に後者だった。
マネージャーから説明を受けて、資料を読み込み、自分の担当で何をどう作ればいいか、ざっくりとしたスケジュール表を作った。三ヶ月必要だった。
「マネージャー、無理ですよ。これ、どう考えても三ヶ月掛かります」俺はそう報告した。これは、かなり正直に作ったスケジュールだった。だから、このスケジュールに関しては文句を言われる筋合いはない。
「いや、一ヶ月で出来るよ、うん、出来る。一ヶ月で大丈夫だから。優秀なプログラマを君の下につけるからさ。大丈夫だよ」
なんの根拠もなく、彼はそう言った。この瞬間、俺はこのシステムをまともに作り上げる事を断念した。マネージャーも技術者なのだから、俺に依頼したシステムを作るのにどれくらいの時間が必要か、判らない筈がない。もし、本当に判らないのなら只の無能だし、判っているのに無理難題を俺に背負わせてなんとかしようとしているのなら、これもやはり無能だ。

そもそも、俺の契約期間はたったの一ヶ月。三ヶ月掛かる仕事をどうやって一ヶ月でやれというのか。一ヵ月後が納品期限なので、なんとしてもこれに間に合わせようとしていたのだった。
俺はこの時「一ヵ月後に、とりあえずそれっぽく動くようにだけ設計と製造をしよう。俺の契約が切れた後にどうせ障害が出るだろうけど、それはもう契約終了後だから、知った事じゃない」と腹を括った。
一つだけ断っておくと、最初から穴のあるシステムを設計/製造した訳じゃない。俺もポンコツエンジニアだが、技術者としての良心はある。ちゃんと動く想定で設計はするけれども、穴がないとは言い切れない、その穴を塞ぐ為の調査や考慮を設計段階でしなくてはいけないが、その時間がないから、諦めざるを得ない、といった状況だった。

一ヵ月後、表面上は何の問題もなく動いているシステムを俺は設計/製造し、納品してその現場を終えた。最終日、俺は夜中の3時まで資料を作って現場を後にした。もう次の現場の契約が決まっていたからだ。新しい現場で働いていると、営業担当から電話が来た。「前の現場のマネージャーが連絡欲しがってるから、電話してあげて」と言うものだった。
やっぱりな、俺は笑った。どうせ俺の担当したところで障害が起きたのだろう。ある意味当然と言えば当然だ。

俺はそのマネージャーに電話をした。
「君の担当した***で障害が起きてるんだよね。こっちの現場来られないかな」
「無理ですよ。私、もう新しい現場入ってますし」
「残業とか終わってからでいいからさ。その後こっち来てよ」
「そういったのは、営業通してくれないと困ります」
「君の担当したとこで障害起きてんだよ。来てくれてもいいじゃないか」
カチンと来た。「営業通して下さい」とだけ言って、俺は電話を切った。もし、あのマネージャーが「悪いけど、助けてくれないだろうか」といったニュアンスで話を持って来たら、俺もヘルプしようかなと思わなかった訳じゃない。そりゃ設計したのは俺だし。自分にも責任がある。
だが、だ。俺は最初から「この期間じゃ無理です」と言った。三ヶ月かかると。それを一ヶ月でやれと厳命して、無理矢理納品させておいて、この言い草はないだろう。
自業自得じゃねえか。

その後、営業から特に連絡もなかったので、その崩壊した(であろう)現場の顛末を俺は知らない。あの時、マネージャーが「一ヶ月で作るのが無理なのは判ってる。でも、一ヶ月でなんとか形にしてくれ」と言ってくれたら、俺だってもうちょっと何とかしただろう。
だが、最初から人の話を聴くことをせず(聴く態度も見せず)、見たくないものを見ようとしなかったのは、あのマネージャーの責任だ。そこは俺の責任じゃない。
俺に責任があるとしたならば「一ヶ月で出来る訳ないでしょ!」と放り出すことをせずに「一ヶ月で、体裁だけ整えよう」と誤魔化した事だ。
この場合は「出来ない」と素直に言い通すことが最も誠実な対応だった。

マネージャーが俺に真摯な態度を見せてくれていたら、俺の対応も違っていた筈だ。後悔とかは特にない。ただ、人というのは感情で動く生き物だ。だから、自分が誠実でなかったら、相手もこちらに誠実ではいてくれない。その事を俺はそのマネージャーから教わった。

相手に誠実でいて欲しかったら、自分も誠実でなくてはいけない。
相手から愛して欲しかったら、自分が相手を愛さなくてはいけない。そういうことだ。

50の夜(15の夜+35年)

あまりにも昔の事なので詳細は忘れたが、16歳か17歳の頃、家出をしようと思った事があった。

当時、父親と折り合いが悪く、「こんなオヤジの下で高校卒業まで面倒を見て貰うのはご免だ。俺は独りで生きていくぜ」と決心したのだ。だが、具体的な計画は何もなかった。群馬の片田舎で暮らす少年にそんな知恵なぞ有ろう筈がない。
精々、「東京へ出ればなんとかなるだろう」くらいに思っていたのではないか。
結局、家出は決行されなかった。
何故かと言うと、家出を決意した夜に思い出したのだ。「あ、来週は俺の好きな女優の出る二時間ドラマがあるんだった。それ見るまでは家出は出来ないな」
馬鹿である。当時は今みたいにケーブルTVやネットがなかったから、一度見逃すと又見るのが難しかったのだ。結局、翌週まで家にいたら、家出する気持ちが雲散霧消していた。

家出しなかったのは、その女優さんのお蔭かもしれない。尤も、家出したところで、計画も金も何もなかったのだから、どうせ二、三日でしょんぼりして家に帰ったであろう事は想像に難くない。

尾崎豊の歌に「15の夜」という曲がある。1960年代生まれの人間なら、好き嫌いに係りなく、何度か聴いた事があるかもしれない。この歌は悩む十代の心情を描いている。その中に「仲間達は今夜家出の計画を立てる」という歌詞がある。
ああ、正しく、それだなあと思う。今俺が「家を出たい」と思ったら、それは「家出」じゃなくて「失踪」だけどな。

と、唐突になんで尾崎豊の話(というか、家出の話?)をしたかと言うと、尾崎豊のバンドでギターを弾いていた江口正祥さんとセッションをしてきたからだ(10/08の事だ)。

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以前も彼とはセッションをさせて貰った事がある。その時は、アコースティック・セッションだったので、二人ともアコースティック・ギターを演奏した。俺の下手なギターとヴォーカルに江口さんのギターを合わせて貰った。至高の体験だった。

somewereborntosingtheblues.hatenablog.com今回は、フルバンドセッション。そして俺の担当はサックス。サックスはギター、ベース、ドラムと比べて演奏する楽曲が限定される。
よって、その江口さんとのセッションは、全部で20曲弱演奏があったが、俺が参加したのは以下の4曲。
・TIME AFTER TIME(CYINDI LAUPER)
・昴(谷村新司
・SIR DUKE(STEVIE WONDER)
・15の夜(尾崎豊

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そう、なんという驚き。尾崎豊の15の夜を尾崎豊のバンドでギターを弾いていた人とセッション出来るのだ。これはある意味、物凄く贅沢な事。

勿論、他の3曲も非常に楽しかった。カラオケボックスに土日篭って、トータルで12時間くらい練習した。すいません、嘘つきました。二日トータルで12時間ほどカラオケボックスにはいたけど、練習してたのは多分8、9時間くらいだろう。ちんたらやってたからな。

15の夜はイントロのサックスはある程度コピーした。間奏とアウトローの二回サックスソロがあるのだが、さすがに二回も吹くだけのネタがない(ソロはそもそもコピーする気がなかったので、アドリブでやるつもりだった)。
当日、ステージに上がった時に江口さんに「アウトローのソロお願いしてもいいですか?」と訊いて快く承諾して貰った。

あくまでもセッションなので、その場で楽しくやれれば良いのである。「楽しくやろうよ」が江口さんの言葉でもある。
実際、ソロは上手く吹けたとは言い難いが、俺は充分に楽しんだ。
音楽なんて、楽しんだ者勝ちだ。

あの10代の日、もし家出をしていたら…、札幌で50代になってからサックスを吹いている事は、なかったかもしれないな。

野外ライブ@ニセコの演奏

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先日、ニセコでライブをやってきた話を書いた。

somewereborntosingtheblues.hatenablog.com天候にも恵まれ、非常に楽しい経験だった。東京でも野外ライブは一回だけやった事があるけど、外で演奏するのは気持ちが良い。ハンバーガーを売っているバスとか出てたりして、こういうのも野外の楽しみ方の一つかも。

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で、そのライブの映像を主催者から入手したので、俺達のバンドの演奏のリンクを貼っておきます。
俺のギターソロの部分で音がたびたびズレてますが、そこは寛大な気持ちで聴いてあげて下さい。スケール間違えてるだけなので(笑) ちなみに、向かって一番右手でキャップ被ってギター弾いてるのが、俺です。

www.youtube.com

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LOVE LETTER

10代の頃、酔ってラブレターを書いた事があった。

既にこの一文で色々な事が破綻している。10代で【酔って】って、どういう事だよ? 確か、便箋に三枚くらい、長々と真夜中に書いた記憶がある。内容は流石に覚えていない。
翌朝、素面になってから、封筒を糊付けする前に中身を確認した。読み終わって、便箋をビリビリと破いて、ごみ箱に捨てた。

酔った勢いで書いた手紙をそのまま出さなくて良かった、そうホッとしたのは覚えている。
何しろ、その手紙を出すつもりだった相手は、別れた元恋人で、既に人妻になろうとしていた人(婚約中だったかな?)だからだ。一歩間違えれば、ストーカーだ。

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今みたいにネット全盛で、コミュニケーションの手段がメールやラインのメッセージ主流の時代に、特別の相手に手紙を出す人ってどれだけいるのだろう。「LOVE LETTER」という単語はもう死語だな、きっと。今はさしずめ「LOVE EMAIL」とか「LOVE MESSAGE」とか言うのかな、言わない気がする。

30代前半の頃、酒ばかり飲んでいた。当時、酒飲み仲間が5、6人いて、よく集まっては雑多な話題を肴に酒を飲んでいた。
その中の一人に、詩織(仮名)という女性がいた。ショートヘアーで目鼻立ちがはっきりしていて、洒落た服を着ていた。女優の樋口可南子さん似だった。第一印象は「いい女だなあ。きっと男とも遊び慣れてんだろうなぁ」程度だ。彼女は俺にとって飲み仲間の一人に過ぎなかった。

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当時、俺は結婚まで考えていた女性と破局したところだった。結果、酒量が増え、その仲間との飲み会でも毎回泥酔していた。ある意味、やけ酒だ。
経緯は全く思い出せないのだけれども、気付くと俺は詩織と二人で酒を飲む約束をしていた。
恋人と別れて、新しい女性が欲しかったとか、詩織と特別な関係になろうと思っていたとか、そんな考えは全くなかった。
単純に俺は、一緒に酒を飲んでくれる相手が欲しかっただけだ。

新宿の紀伊国屋書店の前で待ち合わせた。歌舞伎町の中にあるバーで二人で酒を飲んだ。確かこの夜はバーボンを飲んでいたような気がする。どちらが誘ったとか誘われたとか、そんな事じゃなく、単なるその場の流れに過ぎなかったのだけれども、そのまま彼女と一夜を共にした。
正直言えば、詩織に対しての恋愛感情はなかった。いや、厳密に言えば良い女だなあと思っていたし、好ましくも思っていた。だが、それ以上に俺は、まだ別れた元恋人への未練のほうが強かった。
それに、詩織が俺にどんな感情を持っていたのかを図りかねていた部分もある。二人で一緒に酒を飲んで、そのまま身体を重ねたのだから、嫌いという事はないだろう。だが、単に酔った上で流されただけなら、互いにその後は触れないのが大人のたしなみだ。

俺は詩織に「二人で一緒に過ごせて楽しかったです」という、当たり障りのない、ビジネスメールのようなメールを出した(当時はまだ携帯電話で、携帯メールが主流の頃だ。スマホも当然なく、LINEもメッセンジャーもない)。
詩織は、俺と過ごした夜の数日後に沖縄に行く事になっていた。彼女の趣味はダイビングだった。

彼女が沖縄でダイビングをしている頃、俺は家でネットをしながら酒を飲んでいた。当時は休みの日の昼と言えば、ネットをしながら酒を飲むか、時代劇を見ながら酒を飲むか、サッカーを見ながら酒を飲むかのいずれかだった。全部酒かよ。

詩織からメールが来た。「沖縄に来ました」という挨拶のようなメールから、「今、船の上です。これから潜るので、暫くメール出来ません」とたわいのない、正直必然性も必要性もないようなメールがポツポツと送られてきた。
俺はこの時「この人、俺にわざわざメールなんか寄越して暇なのかな?」と馬鹿な事を考えていた。

数時間後、また詩織からメールが来た。「今からダイビング仲間と晩御飯です」俺はなんて返したっけか。あんまり覚えてないな。間違いなく、当たり障りのない返事しかしていない筈だ。
それから、「部屋に戻って一人です」みたいな続報が届いた。タイムラグのあるチャットをしているかのようだった。

「あいたいと思うの」

暫く時間が経ってから、彼女からその一言だけが書かれたメールが届いた。俺は不覚にも、この時やっと彼女の心情を理解した。なんて事のない、日報のようなメールをずっと沖縄から送っていたのも、この一言を俺に伝えたかったからだ。
二人で一緒に夜を過ごしてから、俺からは特に何も言葉がない(好きだとか、付き合いたいとか)。だから彼女自身は、自分から行動に移さないと結果が得られないと決心したんじゃないか。

また、一言「あいたい」でなくて、「あいたいと思うの」という表現に彼女の逡巡のようなものを感じた。「あいたい」という相手(俺)に対してストレートな欲望をぶつけて、もし相手がそれに応えてくれなかったら、それは辛い。
だから「あいたいと思う」という自分の感情を表現しているだけなんだよ、貴方にその気がなければ、答えなくても良いんだよという体裁を取る事で、彼女は自分の発言に保険を掛けていた訳だ。
自分が傷つかなくても済むように、と。

彼女は見た目は派手ではあったけれども、性格は実は非常に内向的だった。その事を知るのはずっと後になってからだけれど。
俺はすぐに「詩織が東京戻ったら、また会おう」と返した。その時まで、俺達は次に会う約束すらしていなかったのだ。
そして、俺自身、自分の気持ちにも気づいていなかった、この時まで。あまりにも迂闊だった。

このたった一言のメールは、彼女が俺にくれたラブレターだ。本人はそんなつもりはなかったかもしれないけれど。そして、この一言で俺の気持ちが彼女にぐっと向いたのも事実だ。俺が人生で貰った最後のラブレターは、きっとこの短いメールになることだろう。
30歳過ぎた分別のついた大人でも、いや大人だからこそ余計にそうなのかもしれない、たった一言で気持ちを持っていかれてしまう事がある。

「あいたい」という言葉は時として、他のどんな求愛の言葉よりも強い場合がある。彼女がそれを俺に教えてくれた。