Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。

人のサックスを笑うな

地震から一週間以上が過ぎて、札幌の街にも以前と同じような日常が戻って来た。勿論、復旧には程遠い場所も沢山あるが、今の俺に出来る事は、以前と同じような日々を過ごす事だけだ。
今の自分に出来る事を粛々とやるしか他にない。

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停電が復旧してから、東京時代の友人らに「停電が復活したよ」とLINEで告げると、「何か必要な物があったら言ってくれ。送るから」と言ってくれた人が何人かいた。有難い事である。
そのうちの一人が、Tちゃんだ。

Tちゃんは、俺の戦友である。歳は俺と同じ。二人とも名前が「た」で始まるので、互いに「Tちゃん」「Tちゃん」と呼び合っている。だが幼馴染じゃない。知り合ったのは、40歳ちょっと前。多分、38歳か39歳の頃。
Tちゃんとは共通点が多かった。歳が一緒。サックスを始めた時期も一緒。そして後にドラムを始めた点も同じ。違いは俺が男で、Tちゃんが女性であるという事。

12年くらい前の事だ。俺はサックスを始めて数ヶ月だった。自分がどんな練習をすれば良いのか参考にしたくて、アマチュアのサックス練習Blogを検索しては読み漁っていた。その中にTちゃんのBlogがあった。同じ程度のサックス歴の人でも、やはり若い人のBlogは無意識に敬遠してしまう。「サックス歴が同じと言ってもなあ。若い人なんか吸収力が全然違うからなあ。こっちとは上達が違うよ」と変なやっかみというか僻みがあったのは否めない。
そうやって、同世代の同じようなサックス歴のBlogを定期的に来訪してコメントの遣り取りとかをしているうちに、段々とコミュニティみたいなものが出来上がっていた。

気付くと、そういったメンバーで「初心者のサックス練習オフ会」みたいなものを開催するようになっていた。発起人は俺じゃない。そこでTちゃんと実際に会って話をするようになった。彼女と俺は家が同じ沿線で、駅も5つくらいしか離れていない事も判った。
「練習オフ会」はメンバーが入れ替わり、定期的に集まるのは固定の4人になった。固定になった事で、「いっそアンサンブルやろう」という流れになって、4人でブラスバンドを組んだ。発起人のFさんがトロンボーンでリーダー。Fさんが連れて来た20代前半の女の子がソプラノサックス。そしてTちゃんがテナーサックスで、俺がアルトサックス(Tちゃんとテナーが被るので、俺がアルトに回ったのだ)。

そのブラスバンドを組んだのが40歳とか、そんなもんだったかな。バンドは月一回の練習という非常に緩いペースで、メンバーで決めた課題曲を皆で合わせるという形だった。特にライブとか考えていなかったので、いつまで経ってもバンドのレベルは上がらなかった。だが、「肉体的、精神的、金銭的に一切無理ない形でやろう」というコンセプトだったから、一向に構わなかった。

ブラスバンドを始めて2年くらいした頃に、ソプラノ担当の女の子が「最近、ギターに嵌ってるんですー」と言い出した。当時、Tちゃんはドラムも始めていた。トロンボーン担当のリーダーはベースが弾けたから、「じゃTちゃんドラムやってよ。俺ギターやるから。そうすりゃロックバンドもやれるぜ」と俺達は全員楽器を持ち替えて、スタジオでロックナンバーを演奏したりした。
このブラスバンドは確か5年弱続いた筈だ。なんとなくの思い付きで始めたバンドにしては、長持ちしたほうだと思う。ブラスバンドだったり、ロックバンドだったり、色々な意味で自由度は高かった。単に好き勝手にやっただけとも言えるけれど。

俺もTちゃんもジャズが好きでテナーサックスを吹くのが好きだった。そして二人ともドラムにも手を出していた。似たような事をやっている。だが、一番の大きな違いは、楽器に対して彼女が非常に真摯に取り組んでいたという事だ。
俺は元々のいい加減な性格もあって、サックスもドラムもなかなか上達しなかった。サックスは同時期に始めたのに、彼女のほうがずっと上手かった。ドラムは俺のほうが一年くらい早く始めた筈だが、俺が叩けないドラムパターンとかを彼女は楽々と演奏していた。
それでもバンドの仲間と一緒に練習後に酒を飲むと、彼女はいつも「思った通りに演奏出来ない。自分は駄目だー」と落ち込んでいた。真面目過ぎるが故の苦悩だ。俺が全く出来なくても、落ち込まずにヘラヘラしていたのと対極だ。
彼女はテナーサックスが上手く吹けなかった(と自分で思い込んでいた)事に対するはけ口として、ドラムをやっていた(のかな?)。ところが、根が真面目なものだから、今度はそうなると「ドラムでこれが出来ない。叩けないー。駄目だー」となっていた。自縄自縛に陥っていた。

要するに、逃げたと思った先に更なる悩みの種が埋まっていただけの話。何度も「Tちゃんは真面目過ぎるんだよ、もっと気楽にやりなよ」と言ったけれども、真面目な人にその意見は全然アドバイスになっていないんだよな。

俺なんか、サックスで上手くいかないとドラムへ行って、ドラムで行き詰ると今度はまたサックスに逃げ込んで、みたいに互いが互いのガス抜きになっていたのだけれども、そうはいかない人もいるのである。

ブラスバンドが解散してからも、俺はテナーサックスを吹き続け、ドラムも続けていた。どっちも全く上達しなかったけれども。
Tちゃんは、それから程なくして、テナーサックスもドラムも辞めてしまった。というか、やればやる程、悩みが増えて、むしろ楽器をやらないほうが精神衛生上良いんじゃないかみたいな感じになってしまっていたのだな(あくまでも外野の推測)。

俺が札幌に来る前後に、彼女は今度はクラシックギターを始めた。俺は札幌に来てからピアノを始めた。互いに色々と楽器に手を出す二人である。

そして、先日停電復旧を伝えた後、彼女から「テナー売ろうかと思ってる」とLINEで伝えられた。いくつか彼女とその件に関して遣り取りをしたが、彼女が「もうテナーは吹かないと思うし」とメッセージを寄越したのを読んで、仕方ないのかなとも思った。
彼女と俺はサックスに関しては正しく「同期の桜」な訳で、その彼女がサックスを手放すのは残念でならない。昔、一緒にサックスを吹いた仲間としては、淋しい気持ちがないと言ったら嘘になる。

だが、彼女の決断をとやかく言える立場にない。仮に俺が彼女の夫であったとしても、それを言う権利はない。

彼女にとってのサックスは、凄く好きで理想の恋人だったのだけれども、一緒にいると緊張してしまって自分が出せなくなる相手、みたいなものだったのかもしれない。

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北海道胆振東部地震に関する覚書

札幌に住んで一年と八ヶ月になる。

先日、北海道胆振東部地震に遭遇した。その顛末を(まだ完全に復旧した訳ではないけれども)、備忘録として書いておきたい。
2018/09/06、夜中の3時過ぎにいきなりマンションが揺れた。確かに揺れは大きかったけれども、自分の中ではそれほどの大地震だという認識がなかった。
相方の無事を確認し、暫くスマホをいじっていたら、常夜灯が消えた。地震の直後に停電はよくある話だ。朝には直ってるだろうと気楽に考えていた。
朝、スマホの電話が鳴って何かと思ったら、群馬の父親からだった。「おい、地震は大丈夫か。停電して電車も止まってるぞ」と俺は札幌の様子を群馬の親から教えて貰った。謎のパラドックスだ。
「電車が止まってる」と教えて貰って、最初に考えたのが「じゃ、今日は仕事休みだな」という呑気な考えだった。停電なので当然テレビはつかない。スマホから情報入手しようと、スマホでブラウザを立ち上げて、地下鉄が止まっている事を再確認。その時、スマホのバッテリーが40%未満しかない事に気づく。あ、そうか停電したから、充電出来てないんだな、と。

9時を過ぎて職場に電話するが、電話そのものが繋がらない。ま、この状況じゃ自宅待機は間違いないところだし、慌てても仕方ない。仕事なんかよりも家のほうが大事だ。
相方が「停電に備えて蝋燭と懐中電灯あったよね。どこかな?」と言う。確かに東日本大震災の時に、蝋燭と懐中電灯を準備した筈だ。いったいどこに仕舞ったっけ?
あ、その準備って、東京にいた頃の話じゃねえか。札幌へ引っ越した時に、蝋燭も懐中電灯も処分してしまっていた。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので、俺達は東京から札幌への引越しで、地震に対する準備を怠っていた。だが、東京時代に支給された災害グッズ(バッグ?)はちゃんと札幌に持ってきていたので、手動で動く懐中電灯&ラジオは使えることが出来た。
「コンビニ行って、蝋燭買って来ようよ」相方が言う。俺は「どうせ夜には復旧するだろうから、蝋燭なんか要らねえだろ」と呑気に考えていた。この考えが甘かったことを後に知る。
家から一番近いコンビニに行ったが、普段からは想像もつかないような混雑具合。食い物、飲み水、スマホの充電器系が綺麗さっぱり売り切れだった。
仕方ないので、駅前の西友に行って見るが、閉店中。マックスヴァリュー(イオン系列のスーパー)も閉店中。
ついでに地下鉄の入り口に行ってみると閉まっていた。駅員らしき人が「地下鉄再開の見込みは立っていません」とアナウンスしている。
こりゃ、どうしようもねえな。相方と帰宅。
とりあえず、飯でも食うかとパンとヨーグルトのいつも通りの朝食を摂る。冷蔵庫が停電で使い物にならないので、牛乳やヨーグルトを消費しちゃおうという狙いだ。
冷凍庫に、アイスが三つあったので(風呂上りに食べるようにストックしておいた)、それらを平らげる。食わなかったら、溶けちゃうので。

俺と相方のスマホにそれぞれ東京時代の友人知人から「地震大丈夫かー」のメッセージが来る。気持ちの上では非常に有り難かったのだが、これはあえて書いておきます。
地震に遭った人への安否確認メッセージは、スマホのバッテリーを減らすだけなので、控えたほうが良い」
実際問題、地震に関しての有益な情報はFACEBOOKTwitter経由が多かった。が、スマホの充電が出来ない状態だと、これらへのアクセスも控えざるを得ない。いわゆる命綱だからだ。

午後、暇なので蝋燭と食料探しに散歩に出掛ける。うちは俺と相方の二人だけだから最悪、二日三日は水飲んでいればなんとかなる(うちのエリアは断水はしていなかった)。が、病気の年寄りや乳幼児を抱えている家族ともなれば、そうはいかないだろう。こういった自然災害が発生した場合、やはり身体的弱者を抱えていると、かなり厳しいのだなと思わざるを得ない。
俺達の住んでいる札幌市N区は地盤が固いとの話で、道路も陥没していないし、建物も崩壊していない。見た目はまったくいつも通りだ。信号にライトが灯っていないことを除けば。

近くの薬局を通り過ぎると、長蛇の列。カップラーメンや薬等を求める人がいるのだろう。
駅前の一杯飲み屋の前に「おにぎりあります」の看板が。入ってみると、お手製のおにぎりを一個200円で販売していた。有りがたく5個購入した。おにぎりはその日の晩御飯になった。
さらに歩いて、普段車でよく行くスーパーへと。ここも店内は封鎖されていて、入り口で必要なものだけ販売する配給制度みたいな風景が広がっていた。
相方の目指していた蝋燭を無事にゲット。

帰宅しても、当然やる事が何もない。仕方ないので、ラジオを点けて聴いてみるが、たいした情報はない。相方はスマホで札幌の知り合いとラインで情報交換とかしているが、この時点で有益な話が聴ける訳も無く。

夕方になったので、相方とさっき買ってきたおにぎりを食べる。冷蔵庫に卵が残っていたので、卵焼きを作る。それにしても侘しい晩御飯だが、贅沢を言っている場合じゃない。うちは、水とガスが活きていたので、まだ良かったほうだ。

日が落ちて暗くなったので、蝋燭をつけて夜を過ごす。と言ってもやれる事など何も無い。仕方ないので、俺は暇つぶしにギターの練習をしていた。せっかくなので、モロッコで買ったランプを使ってみた。なかなかムードがあって良い、こんな状況でなければ、もっとこの灯りを楽しめたかもしれないけれども。

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翌日、電気が復旧している事を期待したが、停電のまま。また暇つぶしを兼ねて駅前まで散歩する。西友は閉まったままだ。マックスヴァリューの前で行列が出来ている。もしかして、何か買えるかな?と俺達も行列に並ぶ。暫くして従業員が出てきて「本日、2時から営業します」の声。まだ時刻は9時である。さすがに並んでられん、という事で解散。
普段は車でしか行かないスーパーのほうまで脚を伸ばす。と、野菜とカップラーメンが売っていた。相方はインスタント食品が大嫌いなので、普段家にはインスタントの備蓄がない。贅沢を言える身分じゃないので、カップラーメンを買い込む。一人5つまでの札があるので、5つ買う。よく考えたら二人でいるのだから、10個買っても良かったけど、そんなに買い込んでも仕方ないしね。

カップラーメンを詰め込んだ袋を抱えて家まで帰る。この日は気温が割りと高めで、結構暑い。相方が「冷たい飲み物欲しいなあ」とつぶやく。街には自動販売機があるけれども、当然使えない。財布の中には金があるのに、物が買えないとは、不思議な感覚だ。

相方と歩きながら「この季節の地震だったから、まだ良かった。これが冬だったら買出しにも行けないし、暖房も使えないから、地獄だったね」と話す。冬の札幌で暖房器具が使えない状態は、冗談抜きで命にかかわる。

午後になって、やっぱり退屈なので、今度は隣町のイオン(この辺りで一番でかいイオン)まで出掛けることにする。さすがにイオンはやっているだろう。普段は車で出掛けるけれども、この日は徒歩でだ。
やはり長蛇の列が出来ている。そして入場規制をしていて、中が覗けない状態なので、何が買えるかもよく判らない。俺達の場合は、これが欲しいというものがある訳じゃないので、イオンを諦める。

夕方になり、相方が「土鍋でご飯炊いてみるね」と。うちは運よく、米の備蓄があり、ガスが使えたからこういったやり方が出来たが、米の買い置きがない、断水している等の家だとこうはいかなかったろう。
ちょっとオコゲの出来た固めのご飯、おかずはホッケの塩焼きとししゃも(どちらも冷凍食品、解凍されかかっていて、この日に食べないと腐って駄目になっていたろう)。
相方の大好きなカキフライは、既に解凍されていて、これは食べるのを諦めた。

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さすがに停電二日目の夜となり、相方が「ああ、まだ復旧しないのかなあ。お風呂入りたいなあ」と言い出す。避難所等で過ごしている人に比べれば、家でご飯が食べられて、ベッドで眠れるのだから、贅沢を言えばきりが無い。だが、この日は気温も高かったし、オッサンの俺だってシャワー浴びたいくらいなのだ。女性である相方が風呂に入りたいという気持ちも理解出来る。
相方はネットで銭湯や健康ランドの情報を調べている。が、近所の健康ランドが「駐車場への入り待ち」状態であるとTwitterで知り、諦める。
「よし、鍋でお湯沸かして、それでお風呂入ろう!」相方がとんでもないことを言い出す。うちのガスコンロは3口あるので、そこで寸胴、行平鍋、両手鍋の三つでお湯を沸かす。そして適温になったら、バスタブへ運ぶ(勿論、この作業をやっているのは俺だ)。
三往復くらいしたが、全くお湯が溜まる感じがしない。勿論、少しずつ水位は上がっているけれども、これ、風呂入れるだけの量となると、30回くらいやらないと駄目なんじゃ?
俺が絶望しかかっていると、マンションの階段の踊り場のほうから、子供達の嬌声が聞こえる。お、もしかして?
ドアを開けると共用部分に明かりが灯っていた。俺は慌てて、落としていたブレーカーを上げる。

点いた!

実に二日ぶりに明かりが灯った。部屋の明かりがこれだけ嬉しいものだとはな。
そして、そのまま風呂のセットをする。いやあ、30回もお湯を沸かさなくて本当に良かったよ。
テレビを点けて見ると、普通に、くだらないバラエティ番組をやっていた。日常生活が戻って来たなあといった感じか。

土日は、地震前と同じように過ごした。相方は土曜に東京へ出張に出掛けたのである。地震が起きる前から決まっていた出張だからな。ご苦労な話だ。

今回の地震に遭遇して二つの事を強く思った。
人というものは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物であるという事。東日本大震災であれだけ地震への準備が必要と思っておきながら、時間が経ったら、見事に忘れていた。食料の備蓄や蝋燭、スマホの充電器具等、必要なものがいくらでもあるのに、それの準備をすっかり俺達は怠っていた。
そして、対岸の火事対岸の火事でしかないのだ、という事。
東日本大震災熊本地震などを俺がテレビで見た時、あれはやはりテレビの中の映像でしかなかった。実際に自分が遭遇しないと、こういったものは理解出来ないのである。
だが、実際に体験してから、色々考えても手遅れだ。
今回は、停電も二日で済んだし、家は水もガスも使えることが出来た。そしてたまたまだけれども、米も買い置きがあり、冷凍庫に食材が残っていた。
大人二人だから、食料もある程度は融通が効いた。が、これらは全て運が良かったとしか言い様がない。
俺達が乳幼児を抱えていたら、こう呑気には対応出来なかったはずだ。病気の年寄りがいたら、悩みどころはもっと増えたに違いない。勿論、備えが万全であっても、いや万全な備えなんて存在しないのかもしれないが、それでも備えていれば、もっと上手く対処出来た事も多かったろう。
「自分だけは大丈夫」なんて言葉は、この日本で暮らして、地震災害に遭遇する可能性がある限り、絶対に当て嵌まらない。

相方が「いつ死ぬか判らないんだから、私はこれからは好きに生きる!」と宣言したので、俺は言った。
「お前は今までだって、自由勝手に生きて来ただろ」
相方は苦笑いしていた。

高嶺の花

20代の時、初めて勤めた会社に、一回り以上年上の女性がいた。
身長が170センチ近い。スリムで背が高いなぁというのが第一印象。ショートカットで、きりっとした雰囲気を漂わせていて、近寄りがたいオーラを発していた。タイトスカートから伸びた、すらりとした長い脚が魅力的だった。
他の社員たちが彼女と談笑している時も、俺はちょっと離れたところから彼女を見ていた。要するに「憧れの君」という奴だ。
俺にとって、彼女は高嶺の花。

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ある時、何かのきっかけで彼女とお喋りする事が出来た。俺は調子に乗って「***さん、今度飲みに行きましょうよ!」と誘った。勿論、OKが貰えるとは思ってはいない。
「いいわよ。いつにする?」
逆にこっちが驚いた。あの後、自席に戻ったら、同僚に「お前、なんか顔が赤いぞ」とからかわれたのを今でもよく覚えている。

憧れの対象は、憧れのままにしておくのが良い、とよく言われる。その言葉の真意は判らなくもない。こちらが勝手に偶像化して、崇高で気高いイメージを作り上げてしまい、そのイメージが崩れた時に、これまた勝手に失望するなんて事もよくあるからだ。

以前、ハリウッドで女優がストーカーに殺害されるという事件があった。ある女優が処女の女子高生を演じていたのだが、その彼女のスキャンダルがマスコミに報じられた(日本で言えば、文春にプライベートのベッドシーンの写真が載るようなものか)。すると彼女のファンだった男が女優をピストルで射殺したのだ。
「彼女が処女だと思っていたのに、あんなふしだらな女だとは思わなかったから、天誅を下したのだ」と犯人は述べている。恐ろしい思い込みである。

高嶺の花と出会ったら、こちらが取るべき方法は二つに一つしかない。
そっと遠くから見守り続けるか、高嶺の花が実はどこにもで咲いているぺんぺん草だと判っても、変わらずに愛でるかのどちらかだ。

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Gibson(ギターメーカー)に【ハミングバード】というアコースティックギター(以下、アコギ)がある。俺の憧れのギターだ。前から良いなあと思っていたが、大体相場が30万円後半から40万円前半くらい。簡単に手の出る代物じゃない。正しく俺にとっての高嶺の花。
40万円は、清水の舞台から飛び降りた気になれば、準備出来ない金じゃない。ただし、アコギに使えるかというと、これはかなり心理的葛藤がある。俺の趣味がアコギによる弾き語りだったら、無条件で買っただろう。だが、俺の楽器演奏のヒエラルキーで、アコギはかなり低い。最上位は、サックスだ。俺の愛用しているテナーサックスが35万円なのに、それより高いアコギを購入するのは、ためらわれる。

とりあえず、一回弾きに行ってみよう。昨日、楽器屋さんへ行ってみた。
ハミングバードをじっと見る。もう、この店でこの楽器は何度も眺めているのだ。うむ、いいギターであるなや。店員に声を掛けられたので、せっかくだから、試奏させて貰う。
ん? ちょっとイメージと違った。これは説明がしづらいのだけれども、ピンと来なかった。楽器というのは(ギターに限らず)、楽器本体と演奏者の相性というものがある。
だから、人によっては50万円の楽器よりも5万円のほうが、好みに合う場合もある。

帰宅してから、何年か使用している安物のアコギを弾いてみた。あ、こっちのほうがしっくり来るなあ。俺には40万円のハミングバードよりも、4万円の安物のアコギのほうが似合うって事か…

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と、昨日は思ったのだけれども、今このエントリを書きながら気づいた。
家のアコギって、要するに長年連れ添った女房みたいなもんじゃん。もう相性から何から全て判りきってる(良い点も、悪い点も)。だから安心感があって当然だ。
それに比べて、昨日試奏させて貰ったハミングバードなんて、まだ一回デートして軽く酒飲んだだけじゃん、キスもしてなけりゃ、手も繋いでない状態だ。
そんな「憧れの君」を一回だけのデートで判断してよいはずがないだろう。

楽器選定も女性とのお付き合いも一緒である。一回で答えが出るはずがない(誰の言葉? 俺の言葉だよ)。
そもそも、40万の楽器をおいそれと思いつきで買える訳もないのだ。慌てずにじっくり行こう。

蛇足ながら、20代の時の職場の憧れの女性とはその後、酒を飲みに行った。この場合は何故か、一回で彼女の魅力にノックアウトされてしまった。
楽器選定も女性とのお付き合いも一緒である。惚れる時は、考える間もなく、恋に落ちる(さっきの言説と矛盾してるが、細かい事は気にするな)。 

札幌の二回目の夏が終わる

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(写真は、大通り公園である。冬に札幌雪祭りの会場となる場所)

札幌で過ごす二回目の短い夏が終わろうとしている。
去年は、相方と富良野に行ってラベンダーを観たり、積丹半島に出掛けて雲丹を食べたりと色々動き回った。が、今年は殆ど出掛けていない。

何故か。理由は大きく二つある。

一つは、俺達が札幌での暮らしに馴染んできたからというのが大きい。去年の夏は、札幌の初めての夏だったので、色々な事が珍しかったし、行ってみたい場所が沢山あった。
また、相方が慣れない札幌暮らしを始めて数ヶ月しか経っていなかったから、ある意味レクリエーションを提供するという意味でも、札幌近郊の良い観光スポットに出掛ける必要があった。
今は相方も札幌暮らしが一年数ヶ月となり、こちらでの友人も出来た。そうなると、そういった友人達との交流を深める場に週末は出掛ける事が多くなり、わざわざ俺と相方で何処かへ出掛けるという必要性が減って来たのだ。
相方がそうやって出掛けるとなると、俺も気兼ねなくスタジオに行ってドラム練習をしたり、カラオケボックスに篭ってサックス三昧とか出来る。互いに好都合なのであった。

二つ目の理由として、相方の東京出張の頻度が上がって来たのもある。今年の7月は俺も東京出張があったりしたから、余計に週末に遊びで出掛けている余裕がなかった。
春くらいから、相方は定期的に東京へ行くようになった。現状、毎月一回は東京に行くのがほぼ確定となっている(8月は二度も東京出張があった)。そのせいで、週末に遠出しようという流れに成り難い状況になっていた。

基本的に俺はインドアな人間なので、別にドライブとかをあまりしたいタイプじゃないから、不都合はなかった。それでも、北海道は車で走ると気分の良いところが多いのではあるけれども。あと物凄く単純な話として、こちらではマイカーがあるからね。あれば乗って出掛けたくなるのは不思議な事ではない。

思い出したけれども、俺は今年に入ってから、一回くらいしか車の運転をしていない気がする。去年は「せっかくマイカーもある事だし、運転しよう」とか気合いも入ったが、そういった付け焼刃的なものはすぐに駄目になるのであった。
そもそも、俺は車の運転得意じゃないしな。

東京の友人らとLINEで遣り取りしていると、まだまだ東京は残暑厳しく夏モードが続いているのだと言う。ここ札幌では既に秋の虫の鳴き声が聞こえる。
もう9月になって、札幌が気持ちよく過ごせるのもあと数ヶ月だ。そうなると、あの地獄の冬の季節がやってくる。今の季節(東京に比べ、地獄のような暑さもなく、纏わりつくような湿気もない)は最高なのだが、その代償として長く辛い冬が待ち構えている。
だが、そんな先の事を考えても仕方ない。

一年中、天国のような場所なんて存在しない。夏は北海道、冬は沖縄に住めれば、一年中ハッピーな気分でいられるだろう。だけど、そんな二重生活が送れるような人は、一握りだ。
俺のような平凡な貧乏人は、少なくとも地獄の夏を回避出来ているだけでも有難いと思わなくてはいけない。
また、人が幸せを感じられるかどうかは場所に依存するのではない筈だ。自分がどんな心の持ち様でいるかが大事だろう。
隣の青い芝生を観て、羨んでも意味がない。自分が楽園にいると感じられるかどうかは、自分次第だ、結局のところ。

それに9月は、何しろ出演予定のライブが三本もあるのだ! おまけに、ダブルヘッダーもありだ(一日にライブ二本の意味)。相方にそれを言ったら笑っていた。
「北海道は、冬にどうしても動き取れないから、夏とかにイベント事が集中しちゃうからなんだろうねー」
俺もそうなんだろうと思う。
(ちなみに、予定ライブ三本でやる楽器は全て違う。ギター、ドラム、サックスである。ジャンルもハードロック、ジャズ、歌謡曲系となんでもござれだ)

やがて来る冬の事は、冬が来た時に考えればいい。とりあえず今は、夏から秋へと移り変わる札幌の季節を楽しむ事にしよう。

ボ、ボクはオニギリが食べたいんだな

通勤には、地下鉄を使っている。これは東京にいた頃と変わらない。東京と大きく違うのは、こちら札幌では朝の通勤で座れるという事だ。毎日必ずという訳じゃないが、大体三日に二回は座れるくらいの高確率。
仮に座れないとしても、電車に乗っている時間は15分足らず。そして東京と違うのが車内の混み具合。はっきり言えば、札幌の朝の通勤ラッシュなんて、東京の地下鉄を経験している人間からすれば天国だ。

今日も、座る事が出来たので、音楽を聴きながらスマホを適当にいじる。いい歳したおっさんがスマホをいじるのもどうかと思うが、時代なんだから仕方ない。それに15分程度だと本を読むには短すぎるんだよね。だから、短い文章を細切れで読めるスマホ経由のネットのほうが、文庫本とかよりも都合が良い。

ふと俺の向かって左側に若いOLが立っているのが見えた。黒系のスーツだ。スカートだったか、パンツルックだったかは忘れた(それは今回の話には一切関係ない)。彼女がバッグの中に手を突っ込んで何か取り出そうとしている。まあ、スマホか手帳とかそんな類だろう。
俺はスマホに視線を戻した。暫くして、そのOLが何かしているのが見えた。俺はそろりと視線を彼女に向けた。

彼女は、おむすびを頬張っていた。

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黒い海苔が巻かれていた。いわゆるパリパリ系の奴じゃなくて、しっとり系の海苔。いや、海苔はどうでもいいのだ、この場合。そういう事ではない。具はやっぱり鮭かな、北海道だけに。いや、だからそういう事でもない。

時間は朝の8時40分くらい。いわゆる通勤ラッシュの時間帯。その地下鉄の中でおむすびを食べる若き女性。しかも立っている状態で。
彼女がおむすびをまだ食べている最中に、俺の下車駅に到着してしまったので、顛末を確認する事は出来なかった。いや、顛末もへったくれもないんだけど。おむすび完食するか、或いは食べきれずにバッグに戻したかの二択しかないのだから。

それにしても、だ。なんで地下鉄の中で立ったまま、おむすびを食べていたのだろうか、彼女は。普通に考えると、寝坊して朝食を摂る時間がなかったから、電車で済ませたと考えるのが一般的だろう。
まさか、彼女は毎日地下鉄で朝食を済ませている訳ではあるまい。

だが、だ。いくらなんでも地下鉄車内でおむすびを頬張るだろうか(いや、実際に頬張っていたのだけれども)。俺だったら、ちょっとそれは出来ない。どれだけ腹が減っているにしても、もう少し場所を選ぶ。駅のホームのベンチとかのほうが断然マシだろう。その時間すらもなかったのだろうか。

地下鉄内での違和感のある行為というと、やはり女性の化粧問題が一番だろう(痴漢行為はそもそも犯罪なので、ここでは考慮しない。混んだ電車でのスマホ使用、音楽プレイヤーの騒音もほぼ犯罪レベルなので、同様)。
一時期、ネットとかで、「女性の電車内での化粧は是か非か」みたいな議論があったように記憶している。東京にいた頃は車内で化粧する女性を何度も見た事があった。
ここ札幌ではさすがに見た事がない、札幌の女性の民度は東京の女性に比べて高いからね! と言いたいところなのだが、残念ながら札幌でも化粧する女性は見かけた事がある。

電車内での化粧について、昔からの知り合いの女性に訊いてみたところ「人前で下着姿になるより恥ずかしい」という答えが返って来た。俺からすると、下着姿のほうが恥ずかしいんじゃね、とか思うけど、これは俺がやはり男だからだろう。女性の羞恥心の沸点はきっと違うのだ。
江戸時代は、女性は寝化粧と言って、寝る時ですら男性の前では化粧をしたくらいだからなあ。そう考えるとすっぴん状態というのは、ある意味、裸や下着姿に近いのかもしれない。だとすると、知り合いが言った「下着姿を見せるより恥ずかしい」という回答も納得がいく。

確かに、人前で裸を見せたり下着姿になったりして着替えていたら、それはただの露出狂だ。車内で化粧する人も露出狂と同義語なのかもしれない。
ただ、多分「電車内化粧」を非難/否定する人は、「化粧をしている時の粉とかリキッドが隣の人に付着して迷惑を掛ける」という点を憂慮している可能性が高いとも思う。
あと、化粧というのは、本来人前でするものじゃないから、車内で化粧をするという事は、周りの乗客を人と見なしていない、それが不快だという意見も読んだ事があるが、それは穿ち過ぎだろう。

ちなみに俺は車内化粧はあんまり気にしていない。何故かというと、俺自身が東京にいた頃は、おっちゃんの車内迷惑行為の多分一位であろう「車内飲酒」を年中していたからだ。
ようは、人様の行為を偉そうに糾弾出来るような立場の人間じゃないから、である。

東京にいた頃は、京葉線という帰りの電車が割と空いている路線をよく使っていた。この路線は本数が少ないので、一本電車を逃すと10分以上は待つのが常だった。だから、ホームで一本ビールを飲んで、車内に乗り込んでから、ゆっくりと缶チューハイのロング缶を飲むなんて事を平気でやっていた。
今考えてみても、迷惑なよっぱらいのオヤジである。そんな人間が車内化粧をとやかく言う権利があろう筈がない。

ひとつだけ言えるのは、化粧も朝食も家で済ませておくのが一番だと言う事だ。それくらいの余裕は日々あったほうが、きっと良いに違いない。

最高の女とベッドでドンペリニヨン

10代の頃、浜田省吾の「MONEY」という曲を聴いていたら、以下のような歌詞があった。

純白のメルセデス
プール付きのマンション
最高の女とベッドでドンペリニヨン

この「MONEY」という曲は、貧乏な家に育った主人公が、いつか大金を手に入れて、自分を見下してきた奴らを見返してやるという内容のロックな歌だ。
そして上の三行の歌詞が曲半ばで歌われる。最初の二行は良い。意味が判る。
白いメルセデスベンツが欲しい(何故、ロックミュージシャンはみなベンツを欲しがるのだろうか?)、高級マンション(いわゆる億ションて奴だな)を手に入れてやる! そういった決意だ。
問題は三行目だ。最高の女とベッドで…これも別に比喩でも隠喩でもなく、ストレートな意味だ。モデル並の美人な女性とベッドで裸で抱き合いたいという以外に解釈のしようがない。

さて、問題はだ。「ドンペリニヨン」てなんですか?

勿論、今は何を意味しているかは判る。だが、当時まだ10代で、群馬の片田舎で暮らしていた高校生が「ドンペリニヨン」なんか知る筈もない。俺は勝手に「セックス」を意味する英語以外の外国語だとずっと思っていた。
あの頃は多分バブル経済のピークで、東京ではドンペリを呑むバブリーな人が沢山いたのだろう。

25歳の時、勤めていた輸入代理店の社長がドンペリを呑ませてくれた事があった。人生最初で最後のドンペリだ。確かに美味かったが、「ふーん。ただのシャンパンじゃねえかよ」と思ったのも事実。二千円や三千円なら飲んでもいいけど、万札使ってまで飲む酒じゃない。
今値段調べたら、ドンペリロゼでも、8,000円だってさ。高い酒だ。

スパークリングワインだったら、スペインのミハスで飲んだ一杯5ユーロ(約650円)のほうがドンペリより断然美味かった(そりゃ、勿論スペインのアンダルシア地方に旅行するという付加価値があるから美味いんだけど)。

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というか、酒にしても料理にしても、最初から高い値段がついているものなんて、それほど意味はないと思う。当然高いには高いなりの理由があって、その理由に正当性があるのならば文句を言う気はない。例えば、一流の料理人が丹精込めて作った懐石料理とかね。ただ、料理にしても酒にしても、それ本来の味よりも、どこで飲むか、誰と飲むかのほうがずっと大事だ。

とか偉そうに言ってはみたものの、根本的な問題として、俺は馬鹿舌だから高級料理や高級ワインなんか飲んでも味が判らないのだ。俺が馬鹿舌の持ち主なのは、これはガキの頃にまともな物を喰ってこなかったせいだ。だからと言って、両親を恨むとかそういった事じゃない。群馬の片田舎なんて、新鮮な魚介類を喰う事も出来なかったし、まともな料理がなんであるかすらも知らなかった。
肉じゃがにいれるのは豚肉じゃなくて牛肉だというのを知ったのも東京に来てからだし、世の中にチキンカレーやビーフカレーがある事を知ったのも二十歳過ぎてからだ。

だから、いわゆる成金な人達が金に物を言わせて、下品な金の使い方をしている事を非難する気にはなれない。突然、慣れない大金を手に入れたら、そりゃ外国産のスポーツカーを何台も買って、高級タワーマンションを現金で購入して、銀座の料亭で飲み食いもしたくなるだろう。酒に金粉を浮かべたくなったりもするかもしれない。

そういう訳なので、俺がそのうち「アウディ買ったよ」とかblogで報告したら、「やっぱり成金は金の使い方判ってねーな」と馬鹿にしてやってください。
今から、宝くじの結果確認するので。

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それから、宝くじを買う人の事を「当たる訳ねーだろ。この情報弱者め!」とか馬鹿にする奴がいるが、そういう無粋な奴には一言言っておきたい。
「夢を見るのは自由だ」

現実からの逃避

日々、なんの屈託もなく、悩みも辛みも抱えずに生きている人というのは、そういないと思う。
大なり小なり、誰もが辛さや苦しさ、要するにストレスだ、を持って、それと折り合いをつけながら、毎日を過ごしている。
笑顔を絶やさずにいつでも陽気に見える人だって、表立って言えない悲しさを秘めて、笑顔を作っているのだ。

俺自身、札幌に来てからそれ程大きいストレスや悩みを抱えた事がある訳じゃないが、それでも多少なりともストレスはある。そのストレスの大半はやはり仕事や仕事に絡む人間関係など。
また、プライベートの人間関係が拗れた時が一番きつい。これは経験ある方は頷いて貰えるかと思う。特に一緒に生活を共にしていた人間との生活が破綻を迎えた時なぞ、ちょっと洒落では済まない。
全てを投げ捨てて逃げ出したくなったりする(経験談である)。

先の話は本当に洒落じゃ済まないので、これ以上言及はしないでおく。仕事に限定して言えば、過去に本当につらくて逃げ出したかった事が二度程あった。
一回はまだ20代の頃。当時、まだ技術者としては半人前で(今でも俺は三流システムエンジニアなのだが)、仕事も碌にこなせなかった。にもかかわらず、現場に一人前として送り込まれた。
例えて言うなら、カレーと野菜炒めしか作れない調理人見習いが、中華料理が出来る触れ込みでレストランに雇われたようなものだ。現場に入れば、すぐに他の技術者からは実力がばれる。それでも辞める訳にもいかないので、必死で仕事をこなしたが、本当に結果は酷いものだった。
毎日、仕事終わりに駅まで向かう途中の酒屋で缶ビールを買って、それを飲むのが唯一の楽しみだった。ストレスで飯が喰えなくなり、その現場にいた半年強、毎日昼飯抜きだった(食欲が湧かないのだ)。
おまけに一緒に働ていた上司がクソッタレ野郎で、部下の心情を思い計る事が一切出来なかったので、さらにストレスは増えた。
その現場が終了する時、本当に嬉しかった。

もう一回は、東京の最後の一年でやった仕事だ。ここでは、俺より年上の当時50代半ばのお局ババアにパワハラを受けた(基本的に、自分より年上の女性を『お局』とか『ばばあ』とか呼ぶ趣味は俺にはない。が、あいつだけは別だ)。あいつだけは今思い出しても腸が煮えくり返る。神様からこの世で一人だけ金属バットで気が済むまで殴って良いと言われたら、俺はあのババアをぶん殴りに行く!(何をされたかは具体的には書かない。書きだすと、止まらなくなりそうだから)
ちなみに、このババア、名前を『彩乃』と言った。なんで顔と性格が名前と反比例すんの?

今はさすがに上記のような、もうどん詰まりのどうやっても逃げ場のないようなストレスを抱える事はない。それでも、やはり日々小さな、人から見たら取るに足らないようなストレスは少しずつ累積していく。
よく「そんな小さな事でクヨクヨするなよ」とか「そんなの、***に比べたら、大した事じゃないさ」とか無駄な慰めを言う人がいる。俺から言わせれば、痛みや悲しみは他と比べられるものではないし、比べた事で傷が癒えたり、減ったりするもんじゃない。
だから、そういった無意味な慰め言葉は不要だし、無用だ。

さて、やっと本題。というか、俺は自覚しているけど、前提が無駄に長い。もうちょっとなんとかなりませんかね?(自分に向かって言っています)

こういった日々の少しずつ累積されるストレスを解消する一番良い方法は何か。これは人によって解消方法は様々だろう。憂さ晴らしの晩酌という人も多いのではないだろうか(昔の俺がそうだったから)。また、俺の場合は間違いなく楽器演奏がそれにあたるのだが、最近調子づいて色々やっていたら、腱鞘炎になった。暫く楽器演奏は「ほどほどに」である。

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俺の場合は楽器演奏はストレス解消とかじゃなく、純粋に楽器をいじりたいので、ストレス解消とはちょっと違う気もする。おまけに楽器を触り過ぎて腱鞘炎になって、楽器がいじれなくなるとは、これは本末転倒である。

現実の辛さを一時なりとも忘れるのに一番良いのが、俺の中では映画鑑賞だ。それもハリウッドの大作映画、SFやアクションを主眼としたのが良い。こちらは現実世界の辛さから逃避したくて映画を観るのだから、そこで変に現実を感じさせるようなリアリティのある物語は要らない。
だから、理想形は「エイリアン」、「マトリックス」、「バイオハザード」みたいな未来のSF物か、「007」や「ミッション・インポッシブル」みたいな超ど派手なアクション映画。これらが最高だ。
愛と追憶の日々」とか「クレイマー、クレイマー」(どっちも古いな)みたいな現実生活の度合が120%な映画は御免被る。せめて、映画のスクリーンの中だけでは、夢を見ていたいじゃないか。

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ということで、先日「ミッション・インポッシブル(以下、MI):フォールアウト」を観て来た。アクション満載の馬鹿映画(誉め言葉)である。微妙にストレスが溜まっていたし、音楽絡みのイベントが集中した事もあって、暫く相方と出掛けていなかったので、たまには一緒に外出しないとなあという狙いもあった。
この時期にやっているそういった俺の希望する映画がそれしかなかったのだ。相方は「MI」好きだし、俺も嫌いじゃないので、好都合。しかし、前作の「ローグ・ネーション」も前々作の「ゴースト・プロトコル」も一回しか観ていないので、内容をほぼ忘れていた。
ま、「MI」に関して言えば、脚本がどうのこうの言う映画じゃないので、問題無しだ。トム・クルーズのアクションを堪能する以外にこの映画の主題なんて存在しないのだから。
ただ、一つ思ったのが、さすがのトムも老けたなあって事だ。56歳だもんな。老けていて当然だ。それでもアクション満載で俺は二時間、現実を忘れて映画に没頭する事が出来た。
これだから、映画って面白いんだよなあ。

勿論、毎週毎週映画を観に行くような時間的、金銭的余裕はないから、たまにしか映画は楽しめない。そうなると家でケーブルTVとかで昔の映画を観る事になってしまう。が、やっぱりアクションとかは映画館の大スクリーンで迫力のある音響装置と共に観たいもんなあ。

贅沢を言えばキリがない。だから、そういった時はなるべく小さな、ささやかな喜びを見つけて、それを心の糧にするしかない。例えば今夜、俺は晩御飯のデザートにメロンを食した。相方が会社から貰って来たのだ。

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良い歳したおっさんが「デザートにメロンだ。わーい」と喜んでいるのも阿保みたいではある。だが、そんなささやかな幸福を積み重ねていく事が、日々を少しでも暮らし易くする方法なのだと思う。