Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。

静なる土曜、動なる日曜

今日のBlogは、先週末の備忘録。

土曜日。
午前10時くらいに目が覚める。今日は予定無し。というのも明日(日曜)はギター担当で所属しているバンドのライブなのだ。下手に出掛けると金も掛かる。それに最後にギターの練習もしておきたいし。

しかし、それはそれとして腹は減るのだ。相方は東京時代からの仕事をしている。俺はギターを持ち出して最後の練習。昼時になったので、相方に「昼食はどうするか」訊ねる。あまりがっつり食べたい気分ではないと言う。そして、せっかく天気が良いから散歩しながら、新しく店を開拓したいと。

確かに天気も良くて非常に気分が良い。20度以上あったのではなかろうか。おおまかな方角だけ決めて歩き出す。要するに散歩だ。明確なゴールも決めずに適当に歩き出す。すると、八重桜に遭遇。

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5月も半ばで桜を観る。無論、東京じゃあり得ない景色。でも、ここ札幌では5月に桜はごくごく普通。そりゃ東京は日本の経済、文化の中心かもしれない。だが、日本の全てじゃない。
それを俺は札幌に来て知った。

ネパールカレーの看板を見つけ、相方がそれを食したいと言う。ネパールカレーとインドカレーの違いが俺にはよく判らない。それに日本で食べられるインドカレーを作っているのは、ほぼネパール人だ。アメリカのスシレストランの板前がベトナム人なのと同じようなもんだな。
俺達は東京にいた頃、江戸川区という場所に住んでいた。日本在住のインド人の4割は江戸川区に住んでいるのだとか。俺達が住んでいたマンションも、両隣がインド人家族だった。マンションのエレベータ内でインド人に遭遇する割合と日本人に遭遇する割合が9:1くらいだった。これは冗談でも誇張でもなく、事実だ。
ネパールカレーはまあ普通に美味かったけれども、インドカレーと何が違うのか結局判らなかった。ナン食べ放題、キャベツのしょぼいサラダとソフトドリンクがついて1,000円丁度。
正直、札幌で、この値段でこの内容では厳しいなといった感じか。ナンを2枚お代わりしたお蔭で満腹となる。

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腹ごなしも兼ねてさらに歩く。山が見えたので、山に向かって歩く。不思議な事に「梅」に遭遇。桜が咲いている街で梅も見る事が出来る。これが不思議だが、これが札幌なのだなあ。

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次に見えるのは土筆だ。土筆なんて子供の頃はよく見たものだが、大人になってから見たのなんて、随分久しぶりじゃないだろうか。そして、たんぽぽ。ここ札幌へ来てから、毎年(とか言っても二回目だけど。札幌で過ごす二回目の春だからね)たんぽぽを見ている気がする。

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この黄色い花はなんだろう。菜の花? よく判らない。だが、判らなくてもいいのだ。こうやって散歩しながら目に入る花を愛でるだけでも意味がある。いや、意味なんかない。
単純に「花が咲いているねえ」と感じればいいだけの話だ。それ以上でもそれ以下でもない。

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次に見えたのは、チューリップと桜が同じフレームに収まる景色。これもかなり違和感がある。でも、これが札幌スタンダード。

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そうやって相方と景色を堪能しながら歩いていたら、どこを歩いているのか判らなくなった。ひたすら歩いていたら家から地下鉄で4駅分歩いていたらしい。
最後はさすがに疲れたので、地下鉄に乗って帰って来た。ひたすら歩いた一日。

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日曜はバンドのライブの日。あいにくの雨模様。昼間はバンドメンバーの一人が別バンド(吹奏楽団)でライブをやる(つまりライブのダブルヘッダーだ)と言う事で、それを見に行く。さすがに吹奏楽をやっている人達と言うのは基礎がしっかりしてるから上手いのだよなあ。大人数で楽器を吹きまくっているのに、ちゃんと調和しているのだ。
うちらのバンドも10人以上の大バンドだが、真似をしなくては。

夕方からリハを行う。俺達が今回ライブをやるハコ(ライブハウス)はプロも使用するところなので、スタッフの対応も素晴らしかった。アマチュア相手の仕事じゃなかった。金の取れる仕事をしていた。

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俺がアンプのセッティングをしてリハを終えると、ガムテープにマーシャルアンプのヴォリュームノブの数字が書き込まれていた。ヴォリュームは5、ベースは4、ミドルは6、ハイは8みたいな感じで。
俺が過去にやった事のあるライブハウスなんて、リハで設定した音なんて自分でメモしたり、写メとか取ったりしていた(いざ本番が始まると、そのリハの時の設定忘れて音が変わるなんて年中だった)。だが、ここでは本番が始まる時にアンプを見ると、既にリハと同じセッティングがスタッフによって準備されている。
プロの仕事だなあと感心した。

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本番に関しては特に言う事はない。
ちなみにやったのは
「異邦人」(久保田早紀
「ミ・アモーレ」(中森明菜
「君の瞳に恋してる」
「ルパン3世」
の4曲。勿論俺達のバンドはホーンセクション7人のバンドだから、歌も全てサックス/トロンボーンでやる。大きなミスもなく、まあ及第点じゃなかったろうか。
しかし、よく考えたら、エレキギター弾いてライブやるの、30年振りなんだが! 最後にエレキギターでライブやったのは大学生の時だぞ。ブランク有り過ぎ(勿論、エレキベースやドラム、アコースティックギター等担当でのライブなら割とちょくちょくやっていたけど)。

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30年振りだから、上手く演奏出来なかったってのは言い訳に過ぎない。単純に俺の腕(技量)が無かっただけ。
でもいいのだ。楽しかったのだから。ルパン3世でギターソロを弾いていた時は、かなり高揚もした。
ある意味、アマチュアバンドのライブなんて、公開自己満足ショーの塊りみたいなもんだ。だけど、それがいいのだ。だって、その自己満足ショーを観て盛り上がってくれた観客だっていたのだから。

同じ阿保なら、踊らにゃ損、損。そういうことだ。

(このライブに先立ってやった別のハコでの演奏を貼っておく) 

www.youtube.com

あんた、この劣等感をどう思う

人間というのは実に面倒くさい生き物だなあとしみじみ思う。そのうちの一つが「劣等感を持つ」という事だ。

生きてきて、劣等感を一度も抱かなかった人はいないと思う。例えどんなに美人であろうとも、頭がよかろうとも、金を稼いでいようとも、劣等感というものは存在するはずだ。

俺が20代の頃勤めていた会社の社長は、身長が160センチあるかないかだった。酒を飲む度に社長は「俺がもう少し背が高かったらなあ。俺はお前みたいな背のでかい奴に負けたくなくて、仕事を頑張って来たんだ」と俺に愚痴を言った。俺は身長177センチある。
だが、それを言ったら、俺だって身体的コンプレックスは腐るほどある。

前述したとおり、俺は身長が177センチだ。1960年代生まれの男性としては、背の高い部類に入ると思う。だが、悲しいかな、足が短い。なんでこんなに短いのかなーと若い頃からずっと思っていた。参考画像を載せておく。

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俺の実弟は身長が180センチ以上あり、足も長い。おまけに顔も良く、性格も良い。近所の人や親せきのおばちゃん達は、俺と弟を見比べると必ずこう言った。
「お兄ちゃんよりも弟くんの方がハンサムだわねえ。足も長いし。同じ兄弟かしら?」
やかましいわ。さらに追い打ちをかけるように、母親までが言った。
「ホントに、***(弟の名)は良く出来てるのに、なんでアンタはこうも駄目な人なのかしらね」
うるせーよ。だが、それは事実だ。

まあ、俺の場合は10代の頃から出来損ないの兄貴、よく出来た弟という構図の中で生きて来たので、別段それで捻くれたりする事はなかった。そういうもんだとずっと体感しながら生きて来たからな。
自分の中で、そういった劣等感を受け入れてしまうと、割と生き易くなる。

身体的なコンプレックスとしては、顔(頭?)がでかいというのもあるが、俺の親父も顔がでかいから、これは遺伝だな。諦めるより他ない。ちなみに、やっぱり弟は顔が小さい。なんでだ? 俺達は異父兄弟でも異母兄弟でもないのだが…はて?

他のコンプレックスとして、字が汚いというのがある。これはかなり致命的だ。大昔、職場で年賀状を書いていたら(俺が若かった頃は年賀状の習慣はまだ生きていたのだ)、憧れの女性上司から「君は字が汚いねえ」と大笑いされた事がある。
会議で内容を自分のノートにメモして、後で見返したら、何を書いているのか判読出来なかった事もある。冗談ではない。自分で書いた字を自分が読めないのだ。
絶望しかない。早く直筆とかサインとかいう文化が廃れてくれると良いのに。ま、その習慣が終わる前に、こっちの人生が終わるほうが早そうだ。

これは劣等感とはちょっと違うのだけれども、世の中には楽器演奏の上手い奴が沢山いて驚く。俺はギター、サックス、ドラム、ピアノと色々手を出しているが、きちんとモノになったものが一つもない。
プロのミュージシャンなら上手くて当然だから、驚きや僻みみたいなもんはないのだけれど、アマチュアで「こいつ、もうプロ並みじゃね?」と思えるくらいに上手い奴がいる。
俺と同じように、普通に仕事をやっているのに、いつそのテクニックを身に付けたのだろう。不思議で仕方ない。ただ、楽器の上手いアマチュアというのは、10代の学生の頃に楽器にのめり込んだ時期があるものだ。
俺も10代の頃はギターをやっていたのだが、彼らのように上手くならなかった。これは才能の差だ。

ここでいう才能とは「楽器習得技術」と「ちゃんと練習を積み重ねて上達するまで辛抱出来る」という二つの才能を意味する。俺は残念ながら、その両方が欠けていた。
そして、当然の話ながら、中年になってから(二つの才能を持たない奴が)新しい楽器を始めたところでそう簡単に上手くなるはずがない。
サックスもドラムもピアノも当然、最下層の腕前である。まだピアノは始めてから一年半未満なので、ちょっとは上達する望みがあるかもしれない。だが、サックスとドラムは明らかに頭打ちだ。これ以上の望みはない。

となると、もう絶望しかない筈なのだが、現実はそうではない。
俺は楽器演奏の才能はこれっぽっちもなかったのだが、代りに「下手でも辞めずに、楽しく楽器を続ける才能」を持っていたらしい。だから恥ずかしげもなく、下手なサックスやピアノの演奏を堂々とblogにアップ出来るのだな。人はそれを恥知らずと呼ぶ。

俺は、この歳になっても、臆面もなく下手なギターやサックス(やら)を人前で演奏出来る(普通の人はここまで下手だと、楽器を辞めるか、或いは人前で演奏するのを躊躇する)。
なんだよ、俺って実は凄い才能持ってんじゃねえ?
と、能天気に考えて生きていけたら、コンプレックスなんてどうでもいいじゃん、とか思えるのではなかろうか。

今週の日曜日に、ギター担当で所属しているバンドでライブがあるのだ。人(バンドメンバー)の迷惑も顧みず、俺は下手なギターを弾く(でも楽しいから良いのだ)。そしてバンドの足を引っ張るのである。どうせだったら、俺の短い足を引っ張って、長くすればいいのにね。
と、あんまり上手くもないオチもついたようなので(ダジャレの才能もなかった…)、本日はここまで。あらあらかしこ。

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17歳のままさ

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FACEBOOKを見ていたら、ある女性がスリーショットの写真を投稿していた。キャプションにはこう書かれていた。
「娘と孫と一緒に」

ああ、そうか。彼女はもう孫がいるのか。ちょっと驚いたが、年齢を考えたら格別不思議な話じゃない。
その女性は俺が10代の頃に交際していた人だ。端的に言えば、元恋人だ。
彼女の投稿を見て、二つばかり衝撃を受けた事がある。

一つは、彼女と交際していた頃から既に30年以上が経過していたという事。当時、俺が17歳で彼女が15歳。一緒に過ごした時間はわずかに一年足らず。それからもう何十年も(厳密には33年)経っている。勿論、ちょっと過去を思い返せばそれだけの時間は確実に流れているのだけれども、俄かにそれが信じがたい。
彼女と別れて10代が過ぎ去り、迷走した20代、遊びほうけた30代、(俺にしては比較的)真面目に生きた40代と時間を積み重ねて、50歳を過ぎた今の自分がいるのもちゃんと認識している。

それにしても、である。よくもこんなに長い間生きたもんだな、感心する。別に早死に願望があったとか、刹那的に生きて来たとかそういう訳じゃない。ただただ、その日その日を生きてきたら、こんな年寄になっていた、というだけの話だ。
勿論、今の時代、50代なんてまだまだ若いという意見もあるだろうけれども、17歳の少年からみたら50歳なんて「棺桶に片足突っ込んでる人」だよな。当時の俺はそう思っていたもの。

当時、真面目に「結婚しよう。その為に俺は高校辞める!」と彼女に話していたのだ。彼女もまた「貴方と一緒になりたい」と言ってくれていた。客観的に見たら、明らかにままごとレベルの遣り取りだ。当時の二人(その片割れは俺自身だが)が何も考えておらず、単に好きな恋人が出来て、頭の中がお花畑状態になっていたに過ぎない。
だけど、俺は当時の自分自身と彼女を笑う気にはなれない。10代の純真さ、生真面目さというものは、あの年代でなければ発揮する事の出来ない代物だからだ。
あの恋愛に真摯に向き合って、互いの事のみを考えていられる時期というのは、どう考えても10代の純真無垢な時代にしか存在しない。

そして二つ目の驚きというのが、彼女がえらく老けていたという事実から、「ああ、俺もすっかり歳を喰った」という事実に気づいたという事だ。表現が回りくどくて判り辛いな。
話をシンプルに整理しよう。
娘さんとお孫さんと一緒に写っていた彼女はかなり老けて見えた(昔から大人びて見えたからなあ)。で、俺は図々しく「あの頃の彼女は若くて可憐な少女だったのに、今はすっかりおばちゃんだなー」と失礼な事を思っていた。で、その瞬間に、「待てよ。俺がそう思うって事は、向うだって俺の今の写真見て『この人もすっかりオッサンになったなー』と思ってるのか」と気づいたのだ。

自分ではまだまだ若いと思っているのだけれども(本当に俺は図々しい男である)、周りから見れば、間違いなく「老けた疲れたオッサン」そのものなのだ。

いつまでも若いつもりでいても、知らず知らずのうちに人は老いていくものなんだよなあ。周りはその人が歳喰った事を認識しているけれども、実はその認識が足りない(無い)のは本人だけなのかもしれない。

という事で、今までが前提(というか、えらく長い前提だな。御安心を。本題のほうが短いので)。
最近、札幌でバンド活動を二つほどしている。一つはデフ・レパードというブリティッシュロックのカバーバンドでドラム担当。もう一つがホーンセクションを中心としたバンド。こっちでの担当はギター(何故か諸事情によりサックス担当ではないのだ)。来週の日曜にギター担当のバンドでライブがある。
で、一所懸命、曲を覚えようと日々練習しているのだが、なかなかギターパートの演奏やコード進行が頭に入ってこない。20代の頃は三日もあれば覚えられたものだが、今は三日練習しても60%くらいしか頭に入らない。
(一応、言い訳として、ギターは東京から札幌へ引っ越すタイミングで丸二年くらい一切触っていなかった。だから、そういった影響もあるかもしれない、というか、そういう事にしといてください)

「これが年取るってことなのかなぁ…」と実感している。気持ちだけは、永遠の17歳なんだけどな。まったく、歳は取りたくないもんだ。

酒と煙草と男と女

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TOKIOの某山口メンバーがもう46歳だった事に驚いた。
基本的にこのBLOGで時事ネタや芸能ネタは書くつもりはない(仲間由紀恵さんに関する事を除いて)。が、某山口メンバーの事件のニュースを見ていたら、大昔のあるエピソードを思い出したので、書く。

当時、俺が27歳前後だったと思う(記憶はあやふや。そりゃ大昔の話なので)。勿論、まだ東京にいて、社員が10数人しかいない零細企業で働いていた。
その会社で温泉に旅行した。社員が車を出して、伊豆辺りに出掛けたはず(行き先も覚えていない)。零細企業の温泉旅行だから、温泉入って飯食ったら、後は部屋で皆で酒盛り。それ以外にやる事なんてある筈もない。
こういった零細企業の慰安旅行だと、社員が家族連れで来るとかのケースもあるけど、この旅行は社員のみ参加だった。
ところが、集合場所に行ってみると、社長の車から10代の女の子が降りて来た。社長の娘さんだと言う。当時、17歳前後だったかな。名前は恵美ちゃん(仮名)としておこう。
社長は今で言うところのシングルファーザーだった。だが、恵美ちゃんが小学生とかならともかく、高校生だ。小学生なら家に一人で置いておけないという心配があるだろうが、もう10代後半。一人で留守番も出来るだろう。
それに自分よりも年上の男性ばかりの集まりの社員旅行なんかに参加して楽しいものなのかな? 俺はそんな事を思った。

温泉に入り終わり、夜になると一番広い部屋で宴会開始。俺がいたこの会社は酒飲みが多く、下戸は一人くらいしかいなかった。当然、一晩の宴会に耐えうるだけの酒は大量に買い込んである。
そして酒を飲みながら、馬鹿話をしていたのだが、恵美ちゃんも車座に参加して、一緒に酒を飲んでいた。
「社長、恵美ちゃん酒呑んでますけど、良いんですか?」と誰かが問うた(俺だったかもしれない)。すると社長は「恵美は家でも父さんと一緒に呑んでるもんなー」という返事が来た(文言は覚えていないが、内容としてはそんな感じ)。

俺自身、16歳くらいから酒も煙草もやっていた人間だから、「女が、ましてや10代が酒煙草するんじゃねえ!」などと言うつもりはなかった。単に、社長の家は随分さばけてんなあと思った程度だった。
宴会でどんな話をしたかなんて当然覚えてないけど、この会社は上下関係が非常に緩かったので(この会社のメリットはそれくらい)、色々な馬鹿話を社長含め、上司も部下も一緒になって興じていた。

気付くと、恵美ちゃんは俺の横に座っていた。俺は酒を飲みながら煙草もガンガン吸っていた(当時の俺は、宴会となると殆ど飯も碌に喰わず、酒と煙草オンリーという不健康の固まりみたいな奴だった)。
恵美ちゃんが灰皿に置かれた俺の煙草を見て「なんで噛むの?」と問うてきた。
「さあ、なんでだろうね。癖なんじゃない」と返す。俺は煙草のフィルターを噛む癖があった。新しい煙草を銜える度に、恵美ちゃんに「噛んじゃ駄目だよー」と注意された。
当然、癖だからそんな事言われても治るわけがないけれども。

恵美ちゃんが俺の横に来たのは、物凄く単純に俺が若手の部類だったからだろう。ようは一番世代が近いという事だ。それでも10歳くらいは違ったと思うけれども。
恵美ちゃんは社長の娘にしては可愛かったけれども、さすがに俺も10代の女の子に対して惹かれたりはしない。俺がまだ20代前半とかだったら違ったかもしれないけれど。20代後半の男性にとって、10代の女の子なんて未知の生き物だ。
そして根本的な問題として、俺は若い女性に余り興味がなかった。ま、一言で言うと俺は年上好きだったのだ。俺の中で恵美ちゃんは女性の分類には入っていなかった。

その後、俺は30代になり、40代と年齢を重ねたけれども、やっぱり若い子にはあまり興味が湧かなかった。だから40前後の男性が「やっぱ付き合うなら、若い子が良いよなー」という趣旨の発言を聴いても、まったく賛同出来なかった。
(ちなみに50を過ぎた今では、恋愛自体と無縁の仙人みたいな状態になったので、もはや年上も年下もないけれど)

宴会が進み、酒も煙草も阿保みたいに消費していった。そして灰皿に置かれた煙草を吸おうとすると、俺の煙草がない。あれ、さっき火点けたばかりなのにな、そう思っていると、恵美ちゃんが俺の煙草を吸っていた。
「煙草を吸うんじゃない」と恵美ちゃんをたしなめて、俺は煙草を取り返した。そんな事が数回あった。そもそも社長は煙草を吸うのだから、恵美ちゃんが煙草を吸いたければ、父親から貰えばいい。また、俺の煙草を吸うのは構わないけれども、まだ火のついてない新品がパッケージの中にあるのだ。わざわざ俺の吸いかけを吸う理由が判らない。

その時は判らなかったけれども、客観的な話として、恵美ちゃんは俺の事を多少なりとも良いなと思っていたのかもしれない(自惚れんな、ジジイ!と思う方もいるだろう。が、当時はまだジジイじゃなくてお兄さんだ)。だが、10歳以上も歳が離れた男性と会話をしようとしたって共通点がない。だから、煙草を会話の接ぎ穂にしようとしていたのかもしれない。
この辺りは全て想像だ。後で恵美ちゃんに確認した訳じゃないので。

流れは覚えていないのだけれども、宴会が進んで皆が酔っ払ってきた辺りで、恵美ちゃんが俺に抱きついてきた。
この時、恵美ちゃんをたしなめたのか、それとももう面倒くさくなって、そのままにしていたのかも覚えていない。こんな行為をするくらいだから、恵美ちゃんも相当酔っ払っていたんだろう。
が、その様子を見ていた、俺の上司A(当時30代後半)が、「ボクも、ボクもー」と言って両手を広げて、恵美ちゃんにハグをリクエストした。恵美ちゃんは酔っていたのか、上司Aにも抱き着いていた。

俺はこの時、心底「上司Aって馬鹿なんじゃないだろうか」と思った。自分より20歳近く年下の10代の女の子にハグを求めるって、男としてどうなんだ? 呆れ果てた。
いくら女にもてないからと言って、酔った10代の子にハグを要求するような男になったら、お仕舞いである。恥を知れと言いたい。
と、恥の多い人生を送って来たオッサン(というかもう既におじいさん)が過去のエピソードを思い出したので書いてみた。
特にオチとかはない。

ちなみに、この話がどう歪曲されて伝わったのかは俺の知るところではないが、当時の恋人から「若い子相手にして恥ずかしくないの!?」と横面を張り倒されたという過不足ないオチが着いた事を記しておく。ってゆーか、オチあるんじゃねえか。

恋に生きるは切なすぎる、仕事に生きるはくたびれる

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一週間ちょっとの東京滞在を終えて、相方が札幌に帰って来た。
実母と過ごしたり、旧友達と邂逅したりと良い時間を過ごしたようだった。
火曜日の朝、「今日帰ってくるんだよね」とLINEにメッセージを送ると「飛行機会社のミスで席がない。午前の便で帰る筈だったけど、夜の便で帰るね」との返事が。

天下のJALでもダブルブッキングてあるんだな、変なところで感心した。ただ、飛行機会社のミスのお蔭で、マイルを倍貰って、ラウンジを使えるようになったので、それはそれで良い経験だったようだ。
また、夜まで時間が余ったので、東京で一仕事済ませて来たらしい。
相方は札幌に来ても、まだ東京時代の仕事を継続してやっているのだ。本人曰く、もう東京の仕事は綺麗さっぱり終わりにしたいのだが、後任が見つからないのだとか。
メール、LINE、TV会議で、遠隔地でも仕事は出来るというのが、現代の仕事のやり方なのだなあと実感する。

相方に「東京にいたら、離れがたくなったんじゃないの?」と訊いてみると「確かに離れがたかったけど、未練はないかなー。もう(東京に)家もないしね」と返してきた。そういうものなのかね。
俺にとっての東京は、故郷でもなく、単なる人生で一番長く暮らした街に過ぎない。だが、相方にとっての東京は故郷であり、実母も暮らす場所である。
家があるかどうか、というのは大きいのかもしれない。勿論、札幌で俺達が暮らしているマンションは賃貸物件に過ぎない。また未来永劫、札幌に暮らす訳でもない。それでもやはり、自分の家がある場所が帰る場所、という事になるのだろう。

「なんかさ、昔の恋人と久しぶりに再会して、懐かしさはあるけど、恋愛感情はもう無い、そんな感じに近いかな」と相方は表現していた。なるほどね。なんとなく判る感じだ。

そして、札幌に戻ってきて最初の土曜日、相方は札幌で出来た最初の友人C子さんと飲みに出掛けた。なんでもC子さんは色々ストレスが溜まっているので、その憂さ晴らしに付き合うのだと。
(俺はC子さんの事は相方からの話で聴いただけなので、実際にお会いした事はない)
夜中の一時過ぎに、相方はタクシーですすきのから帰って来た。
C子さんのご主人は現在40代後半。今、色々あって仕事を休んでいる。ずっと営業畑一筋で仕事をやってきたのだが、もう営業職からは足を洗って別の職種に行きたいらしい。
が、今まで営業以外の仕事をやった事がない。そこで運転免許の2種を取得して路線バスのドライバーをやるとか色々言っているのだとか。
話を聴くと、どうも仕事で(職場なのか取引先なのかは不明だが)パワハラ的な事を受けたようなのだ。話が全て伝聞なので、「らしい」とか「ようだ」が多くなる。

正直、40代後半の男性が営業以外の経験がなく、そこから新しい分野に飛び込んでいくのはかなり難しいだろう。だが、パワハラを受けて心が苦しくなってまで同じ仕事をやるべきじゃない。

俺自身、20代の頃の迷走を思い出した。俺は大学を中退したから、「学歴」「新卒」という武器が何もなかった。だから、それを補う意味で「手に職をつけよう」そう思ってソフトウエア業界に入った。プログラマシステムエンジニアという職種を選んだ。この仕事をもう25年もやっているが、未だにこの選択が正しかったかどうか判らない。
この仕事が楽しいか? 楽しかったか? と問われると、楽しかった事もあるし、苦しかった時もある。だからそれはどの職種を選んでも同じ答えになるんじゃないかと思っている。

俺が過去にやった事のある仕事なんて、アルバイト時代を含めても数種類しかない。
・居酒屋店員
・住み込みのパチンコ屋店員
サイパンでの社長秘書兼通訳
システムエンジニアプログラマ
・ファッションブーツの輸入代理店での営業(営業とは名ばかりで、実際にやったのはシステム保守と発送業務)

俺は仕事なんて食っていけさえすればなんでもいいと思っている。だから、C子さんのご主人も自分に合った仕事で、心穏やかに日々過ごせるような状況になれば、多少給料が下がろうが、それでいいんじゃないかと思っている。
(どうやら話では、まだ職探しに行けるレベルまで心が復活していないらしい)

世の中、これだけ仕事があって人不足だと騒いでいるのに、実際に職探しをしている人は自分に適した仕事が見つけられず、苦しんでいる。
上手くいかないものだ。

あんた、この苦悩をどう思う

ちょっと最近、調子に乗り過ぎていたかもしれない。
何の話か。
当然、音楽の話だ。

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札幌で暮らし始めて一年四ヶ月が過ぎた。札幌に引っ越して一ヶ月目にピアノ教室に通い始めた。もともと、札幌に引っ越したらピアノをやろうと予定していた。友人知人の類もいなかったから、仕事以外に話し相手が欲しかったというのもある。ピアノ教室に通えば、少なくともピアノの先生とレッスン中はお喋りが出来る。
それに最初の数カ月は相方も東京に残っていたから、部屋に戻っても一人でやるせなかったし。
なんで元々やっていたサックスをすぐにやらなかったかというと、単純に札幌の雪のせい。豪雪の中、テナーサックスを担いで教室に通うのが怖かったから(転んで怪我をするのも怖いし、テナーをぶつけて駄目にするのも怖い)。だから春になってからサックス教室にも通い始めた。

ここまでは、東京にいる頃から想定した通り。
ただ、東京から札幌に引っ越す時に、持っていたドラムスティックや練習用パッドは全て捨ててしまった。さすがに札幌でドラムを叩く機会はないだろうと思っていた。でも、スネアは捨てずに持ってきたから、その辺りが覚悟が半端だったのかもしれない。
だが、気付くとまたドラムを叩きたくなった。一度好きになったものを、簡単に諦められれば苦労はない。
結局、ドラムスティックも買い直し、気付けばバンドメンバー募集サイトにドラマー登録をして、ドラム募集の記事を漁ったりしていた。

紆余曲折を経て、好きなブリティッシュロックバンド、デフ・レパードのカバーバンドでドラムを叩く機会を得た。やはり自分の好きなバンドやミュージシャンの曲を叩くのが一番楽しい。

そして、ピアノ教室では今、夏の発表会に向けて、ビートルズの「Yesterday」を習っている。二月の発表会で「Let It Be」をやったもんだから、先生から「弾き語りですか?」と問われた。冬、夏とどっちもビートルズをやると言えば、そりゃ弾き語りをやるんだと思われるのは当然か。
「ピアノで弾き語りはもうやりません。冬が弾き語りだったのは、ピアノ一本じゃ、自分の腕じゃ無理だと思ったからです」と。そして当然の事だが、「Yesterday」はピアノのソロ演奏だ。今までコードしか押さえた事がない右手で単音でメロディを弾く。今までよりも断然難易度は上がるだろう。だが、そもそもそれがやりたかったのだ。いつまでも弾き語りでお茶を濁している場合じゃない。
また、譜面通りに弾くだけというのも俺の望みじゃない。俺の頭の中では「Yesterday」のアレンジが出来あがっているのだ。最初はオリジナルに近い感じでバラード的にしっとり弾き、途中からハードになって真ん中にアドリブソロを入れる。要するに譜面通りに弾くのは曲の半分くらいだ。あとはオリジナルアレンジ(当然、そのアレンジの譜面なんて存在していない。俺の頭の中にしかないのだから)。
イメージは出来上がっているんだけど、果たして俺の腕でそれをピアノで再現出来るかは正直判らない。でも、やるのだ。

サックス教室仲間のHさんに誘われて五月にライブに参加する事になった。最初はサックスのメンバー4人(俺含めて)で、なんかサックスに向いてる曲を数曲やるのかなと思っていたら、Hさんの人脈繋がりであれよあれよとメンバーが増えた。総勢10名以上の大バンドになった。ドラム、パーカッション、ベースもいる。そして当然サックス多数。
こんなにサックスパート多いなら、俺サックス吹かなくてもいいんじゃねえかな、とか思ったりして。で、半分冗談、半分本気で「ギターいないし、俺ギターやろうか?」とHさんに言ったら、気付くとギター担当になっていた(笑)
東京にいた頃、旧友Tとアコースティックギター2本で、ローリングストーンズのカバーデュオをやっていた。結構楽しかった。だが、俺の札幌引越しに伴って解散となってしまい、ギターはそれっきりになっている。
俺の部屋の押入れには、エレキギター2本、アコースティックギター1本、エレキベース1本が仕舞い込まれたままになっていた。
ついさっき、エレキギターを押入れから出して、錆びた弦を張り替えて、ワックスがけをしてやったところだ。

当然、サックス教室でも夏に向けて、ソロとアンサンブルの2曲やる。曲はもう決まっているけどまだ練習を始める気はない。何故かというと、その前に上に書いた二つのバンドのレパートリーとピアノを覚えるのが先だからだ。

また、散歩の途中に偶然発見して入会したしたセッション教室でも何故か秋に発表会をやる事になった。こちらでも2曲アンサンブルでサックスをやる。セッション教室なのにアンサンブルやるって、矛盾してるような気がしてならないんだけど、どうなんだろう(矛盾してるよな)。

と、今現在、俺が関わっているバンドや音楽のグループはこれだけになる。
当面、ドラムで4曲、ピアノ1曲、ギター5曲、サックス4曲覚える事が確定だ。ドラムとギターはバンドが進めばさらにレパートリーも増えるから、覚える曲も増える。

どう考えても許容量を超えているのは明らかだ。だが、むしろこの状況を俺は楽しんでいる気がする。なんか「大変な事になっちゃったぞ。でも、良いんじゃね?」みたいな。
仕事が山積みだったら、辛いだけだ。だけど、演奏しなくちゃいけない曲が沢山あるなんて、それは贅沢な悩みなんじゃないだろうか。

そして、今日の俺が直面している悩みは、一番経験値の低いピアノの練習をするか、一切手をつけていないギターの練習をするか、どっちにするかなのだ。
これもきっと、贅沢な悩みに違いない。

カミングホーム

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(この景色は東京時代に住んでいたマンションのベランダから撮ったもの)

相方が今日から東京へ里帰りした。
前からの予定通りに、実母のところへ二日程泊り、その後はアクセスの良いビジネスホテルに数泊して、友人達との旧交を温めてくるのだとか。
トータルで一週間強の東京旅行である。
相方は母一人娘一人なので、「四月に東京へ行って母の顔を見てきたい」と随分前に言われた時も「そりゃ当然だな」と思い、すぐに賛成した。
実際は実母の顔を見て安心する(安心させる)目的が半分で、残り半分はどうみても旧友らと遊ぶことっぽいけど。ま、深くは詮索すまい。

俺の場合は実家が群馬の前橋なので、札幌から行くのは容易ではない。去年の夏に必要があって実家に帰ったけれども、冗談抜きで到着するまでトータルで8時間くらい掛かった。下手な東南アジアに行くよりも大変なのである。
(あと、俺が群馬にあまり行きたくない理由に、ほぼ半分勘当状態ってのもあるので、余程の事がない限り、俺達が群馬に行く事はない。)

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(この写真は、やはり東京時代に住んでいたマンションから撮った荒川。ここの夕焼けの風景を眺めるのが、俺は好きだった)

相方が今日から東京へ戻る事を決めたのは、実は去年は今頃がちょうど桜の季節だったのだ。それを見越してこの週に帰京スケジュールを組んだのだが、どうやら当てが外れて、既に東京の桜は散っている状態らしい。
相方は天気予報を見る度に「くそー、失敗したー」と悔しがっていた。相方は桜が大好きなのだ。
チャンスがあったら、実母と上野動物園に行って、「しゃんしゃん」を見て来たいと言っていたが、どうもふらっと行って観れる状況ではないらしい。なんで日本人てパンダが好きなんですかね。
あと、親友のYちゃん(俺も一度だけお会いした事がある)と会って、東京ディズニーランドで一日遊び倒す計画なんだとか。よくまあ、色々詰め込めるもんだな、と感心する。

相方が「お金が掛かるなー」と愚痴っていたので、昨日、それなりのお小遣いを渡した。相方はお札を数えて「えー、こんなにいいのー? 半分でいいよー」とか言っていたが、実際に返す素振りは全然なかった。
これが「友人に会いに行きたい」というだけなら、「じゃ勝手に行きなさい」と放置しときゃいいんだけど、「母親の顔を見て来たい」と言われたらね、そりゃ旅費の足しになる程度のお小遣いは渡さないと駄目でしょう。
その程度の男の甲斐性は見せておかないとね、一応。
相方が「半分返そうか?」と言った時に「おっ。じゃ半分返してくれ」と思ったが、それをぐっと飲み込んで「いいから持っていきな」とやせ我慢をしたのはここだけの秘密だ。
男とは、やせ我慢をする生き物なのである。

で、相方が東京を満喫する間、俺は何をするかというと、これが懲りもせずに仕事とピアノとサックスとドラムという、いつも通りの生活なのであった。
びっくりするくらいに他に何もない。だが、別にいいのだ。俺はその生活に満足しているのだから。仕事が終わって、解放されたら、その後に自分の大好きな趣味に時間を費やす(費やす事が出来る)というのは、とても貴重な事だと思う。

まだ飲酒習慣が続いていた頃なら、平日の夜からしらばっくれて酒を飲んでいただろうが、酒を止めた今となっては、夜は晩御飯が済んだら、風呂→ピアノなのである。

あとは、一週間後に相方が札幌に無事に帰ってくる事を祈るばかりである。何しろ東京生まれの東京育ち、東京以外で暮らした地は、ここ札幌での一年のみだからね、相方は。
「やっぱ、東京離れたくない。札幌は貴方一人で頑張って下さい」と言われたら、ま、そんときゃ、しょうがねえと諦めるさ。
それもまた人生。