Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京で一人暮らしを開始。2020年10月に神奈川に移り住む。生々流転の日々。

一人前になるには10年かかる

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どんな事でも、一人前になるには10年掛かると言う。
んな訳あるか、ぼけっ!

Facebookで、俺はいくつかの音楽グループに所属している。とは言っても、単に人の投稿を読んで面白ければいいねボタンを押し、何か言いたい事があればコメントする。それだけの話だ。音楽関係はやはり一家言を持っている人が多い。俺は音楽は好きだが、知識や経験、技量はほぼないに等しいので、人の投稿を読んで、「へぇー」と感心したり情報を仕入れたりするのがメインだ。

或る日、ベースギターのグループに「ベースの師匠になってくれる人はいませんか」と投稿している人がいた。投稿者の年齢もベース経験も俺には判らない。アイコンの写真から男性だろうなというのが推察出来る程度。
こういった投稿すると、教えたがりのおっさん達が阿保みたいにコメント書き込むんだよなぁと思うと、案の定だった。
「まずは自分で独学で練習です。そしてどうしても判らなければ師匠を探しましょう。それまで練習をして、色々な音楽を聴いて、ベース以外の楽器も聴いて。基本が判るようになるまで10年掛かります。(以下、省略)」
文章はだいたい要約だが、「基本が判るのに10年掛かる」という意味のコメントをしていた。また、プロのミュージシャンの言葉を引き合いに出すわ、読んでいて不愉快になるコメントだった。

まず、どこから10年という数字を弾き出したのかがよく判らない。昔の寿司屋の修行かよ? そもそも「師匠探しています」と書いた人がベースをどこまで極めたいのか(プロになりたいのか、ある程度上手くなりたいのか、とりあえず弾ければいいのか)も書いていないのだ。
にもかかわらず、勝手に「基本が判るようになるまで10年頑張れ」的な発言をしている。さらには、自分の音楽経験、プロのミュージシャンの言葉、師匠を探すのは大変だという大きなお世話なアドバイス(にもなっていない)、など無用な長文を書き連ねていた。後半はムカついたので読み飛ばした。

一つだけ言っておくと、「お前のblogも無駄に文章なげーよ(長いよ)」と思っている方もいるだろう。だが、ここは俺のblogだ。長い文章を書こうが、短い散文詩のような記事を書こうとそれは俺の自由。俺の居場所だからだ。
だが、Facebookのグループへの人様の投稿に対してのコメントには最低限のマナーがあって然るべきだ。そこはある種の公共の場なのだから。

あのな。お前はベースが判るまで10年掛かったかもしれない。だがな、この投稿者は1年でお前が気づいた点に辿り着くかもしれない。勝手に決めるなって話だ。
実際問題として、楽器に限らず何かを極めようと思えば一生モノだろう。死ぬまで探求は続く。そして死ぬ時に「うん、俺はもう***に関してはやれることは何もない。やり尽くしたな…」なんて思える人のほうが少ないんじゃないだろうか。

また逆に深く追求するのではなく、対象物を広く浅く楽しむ人もいるだろう。俺の楽器演奏なんか正しくこれだ。ギターもまともに弾けないのにSaxをやって、それがモノにならないうちにドラムにも手を出して。最後にはピアノまで始めた。全部が中途半端。でもそれでいいのだ。何故なら俺がそれで良いと思っているから。

「師匠が欲しい」と書いた人の要望も条件も何も判らないうちから、いきなり上から目線で何の根拠もない10年修行しろ発言。俺はこういった発言をする奴が大嫌いだ。
相手が求めてもいない情報をダラダラと書く。こういう奴は大抵演奏も駄目に決まっているのだ(って自分も人様を断言してるじゃねーか)。
前にも同じような事を書いたけれども、音楽というのは楽器を通しての会話を楽しむコミュニケーションツールなのだ。だからセッションで延々ソロを弾く奴は嫌われるし、他の楽器との音量バランスを考えない馬鹿も蔑まれる。だが、楽器演奏が下手という理由で仲間外れにされる人はいない。この意味は楽器をやらない人でも判ることだと思う。
要はコミュニケーションだ。会話(この場合は文字だけれども)のコミュニケーションが取れない奴が、偉そうに楽器に対して語るんじゃねえってことだ。

あと一つだけ言っておく。
俺はSaxを吹き始めて10年以上経つが、未だに基本も何も判っていない。あら?