Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

人を好きになるということ

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「老人ホームで70代後半の男女が痴情のもつれで殺傷事件を起こした」
この衝撃的なニュースをテレビで見たのは、まだ俺が10代の頃だった。
事件の概要としては、A男、B男さんがC子さん(全員70代後半)を取り合い、A男がB男さん、C子さんを殺傷したというもの。亡くなったのがB男さんだったかC子さんだったかは忘れた。多分、B男さんだったと思う。
当時10代の俺からすると「70にもなって惚れた腫れたで人殺しまでするのかよ」というのが正直な感想だった。大人というのは、色恋沙汰に関しては20代くらいで卒業して、それ以後は仕事に邁進するものだと思っていた。逆に言えば、10代の頃の俺は、女の子のことしか考えていなかった。いや、女の子の身体のことしか考えていなかったと言ってもいい。だが、これは俺だけが特別じゃない。一般的な10代の男子なんて、女の子の裸が頭の中の99%を占めているといっても過言じゃない。実際に女の子とデートをすれば、手を繋ぎたくなるし、手を繋げば次はキスをしたくなる。キスをすれば、身体に触れたくなる。健全な発想だと思う。これに異論を唱える人はいないだろう。
俺もそうやって段階を踏んで女性と交際していった。そして10代が過ぎ、20代になっても、その辺りは変わらなかった。むしろ、変わったらそのほうが違和感がある。

30代に入っても、やはりその辺りは変わらなかった。前に何度も書いているけれども、俺は30半ばくらいで、結婚まで考えた相手と別れて、その時の痛手はかなり深かった。飯が碌に食えなくなり、三ヶ月で体重が5キロくらい落ちた。
当時を振り返ってみても、それが異常だったとは思わない。本気で惚れた相手と別れてショックを受ければ、男女の違い関係なく、落ち込むのは自然の理だ。
その時の俺は「いい歳して、女の事でここまでダメージ受けるのか…」と自分に驚いていた部分もある。
また行動がおかしくなっており、明らかにストーカー一歩手前までいっていた。それは自分でも認めざるを得ない。元恋人が参加する集まりがあれば、平気で参加していた。周りも俺と彼女の関係を知っているから、腫れ物に触るようなもので、意図的に話題にしないようにしたり。今思い出すと、あの頃のメンバーには随分と余計な気遣いをさせたなと思う。尤も、当時はそんなことにも気付いていなかったのだけれど。
彼女と会って、やり直せるとかは一切思っていなかった。じゃ、なんで彼女と会う機会をわざわざ作ろうとしたのか? そう問われれば、単純に彼女の顔が見たかったという以外に答えはない。彼女にも周りの人間にも、いい迷惑だったとしか言いようが無い。俺が周りの人間だったら「お前と彼女はもう別れているんだ。諦めろ」と諭したかもしれない。だが、あの頃の俺は、露骨に彼女に何か働きかけるようなこともしなかった。ただ、彼女の顔を見ようとしていただけだ。だから周りも下手に注意出来なかったのだろう。一番始末の悪いパターンである。

その後、俺は新しい恋人を得て、心の安寧を得た。と綺麗事を書いているけれども実情はちょっと違う。もう時効だから書くけれども、新しい恋人と付き合っても、最初の三ヶ月くらいはいわゆる「精神的二股」状態だった。新しい恋人は心優しく穏やかで、俺には勿体無いくらいの人だった。俺と逢う時は、いつも笑顔でいてくれたし、俺に対する好意を隠そうともしなかった。それだけ素敵な人がいるのにも関わらず、俺は心の何処かで前の恋人のことを思っていた。その事を異性の友人に相談すると「思うのは自由。でも絶対にそのことを新しい彼女に気取られないようにして。あと間違っても前の彼女と逢ったりしちゃ駄目。心の裏切りは誤魔化せるけれど、身体の裏切りは誤魔化せない」とアドバイスを受けた。確か、友人は「心の迷いは後で無かったことに出来る、でも身体を裏切ってしまったら、その事実は消せない」というような意味のことを言ったと思う。
正直、心と身体の裏切りはどちらが重いのか、俺には判らない。映画「恋に落ちて」で、既婚者のロバート・デ・ニーロは人妻のメリル・ストリープを好きになる。二人は最後の一線は超えない。妻から不審な様子を問い詰められて、デ・ニーロは「でも彼女とは何でもないんだ」と答える。すると妻が悲痛に叫ぶ「もっと悪いわよ!(That's worse!)」つまり、身体の浮気だったら、一度の過ちと許せるかもしれない。だが、心が別の女性に向いていたら、それは身体だけの浮気よりも酷いということだ。印象的なシーンだった。
その友人のアドバイスは心に留めた。そして新しい恋人と時間を重ねることによって、俺は前の恋人のことを忘れた。忘れたというのは嘘だ。忘れられる訳がない。だが、段々と新しい恋人のほうが俺の中で占める割合が大きくなっていった。

それから一年くらいして、たまたま前の恋人と二人きりで飲む機会があった(なんでそんな機会が生まれたのか、状況は忘れてしまった)。付き合っていた頃は、カウンター席で横並びだったが、その時はテーブル席で向かい合って座った。物凄く自分でも不思議だったのが、俺はかつてこの人と一緒になろうと思っていたのだろうか、というくらいに心が穏やかだったことだ。心にさざなみが起きることもなく、冷静に会話を進めることが出来た。これが吹っ切れたということなんだと思う。
一年という時間が色々な感情を消し去ってくれたのか、新しい恋人の存在が過去を押し流してくれたのか、きっと両方だろう。
彼女とは、過去の関係を掘り起こすような流れにはならずに、自然と駅の改札前で右と左に別れた。
新しい恋人とはその後三年程付き合ったが、残念ながら縁無く別れてしまった。だが、あの恋人の存在がなかったら、俺は30代の中盤の時期をまともに過ごせたとは思えない。もう逢う事も叶わないが、今でも感謝している。人生の節目節目において「あの人がいたから、今の自分がいる」と思える人は必ず誰にでもいる。俺にとってはそれが彼女にあたる。今となっては、彼女も既に古い恋人ということになるのだけれど。

30代後半(というか終わり近く)に相方と知り合い、一緒になり、既に十数年が過ぎた。俺も50代になって結構な時間が経つ。さすがにもう、異性に関して心が揺れるとか、そういったことはない。相方というパートナーがいるから当然と言えば当然のことだし、歳をとってそういった恋愛の感度みたいなものが鈍っていることも否定出来ない。
ただ、もし俺が今でも独りだったら、やっぱり好きな女性を思って心痛めたり、切なくなって酒を馬鹿みたいに飲んで、荒んだ生活を送ったりするのかなとは思う。
70代の男女ですら、そういった有様になるのだ。50代で同じようなことが起きても何も不思議はない。
人を好きになって、心が揺れるというのは、死ぬまで続くものなのかもしれない。