Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

君が人生の時…

6月の第2週に相方が札幌へ旅行してきた。半分仕事、半分プライベートだ。旅行から戻ってきて、相方が言った。「ねえ、8月から札幌で暮らしてもいいかなあ?」

物語の前提を書く。
2016年の9月、俺はフリーランサーで働いていた。俺の職業はシステムエンジニア。あの頃、将来の展望は何もなかった。フリーなので現場の契約を切られれば、その瞬間に無職になるという不安定な生き方。おまけに当時いた現場でパワハラを受けたりと散々な目に遭っていた。
そんな時、相方から「知り合いのエージェントから仕事が回って来た」と紹介されたのが今の会社だ。
今更40代後半(2016年当時)で、正社員の道があるとは思っていなかったが、試しに受けてみるかと面接を受け、何故か合格してしまった。想定外だったのは、勤務地が札幌だったこと。
東京に20年以上暮らしていたが、50歳目前で北海道へ行くのも1つのチャレンジだな、俺はそう思った。また東京生まれ、東京育ちの相方が「このチャンス逃したら、もう正社員になんかなれないよ」と背中を押してくれた。

俺は、2016年12月に札幌で暮らし始めた。遅れること4ヶ月、相方も札幌にやって来た。相方は東京に暮らしていた頃、医療系コンサルティング会社の営業部で働いていた。肩書は「平社員」だが、ニックネームは「部長」だったとか。このニックネームで相方の社内での立ち位置がよく判る。典型的なお局様である。
札幌に引っ越してきた相方はそれから数週間で事務のアルバイトを探してきた。フットワークが軽い。バイト先の女社長の性格がキツくて、同僚のパートやバイトが次々に辞めていくと愚痴をこぼしていた。何故か相方は辞めなかった。相方曰く「社長は私のことが気に入っているみたいなんだ…」と。

それからしばらくして、相方が東京時代に勤めていた医療系コンサルティング会社が札幌に新規に事業所を立ち上げることになった。東京本社の人事部が「以前うちで働いてた奴が、旦那の仕事の関係で札幌にいなかったか?」と相方に白羽の矢を立てた。
相方は札幌事業所のオープニングスタッフとなる。この時、女社長の会社は無事に円満退社したらしい。というのも、その後も女社長との交流は続いていたからである。

そして、俺は当初の目論見が外れ、わずか2年半で札幌から東京へ舞い戻ることになった。これは札幌で想定していた仕事が無くなったせいである。定年まで札幌で暮らす計画は脆くも崩れ去った。
人生、裏目ばっかりよ。

相方は、医療系コンサルティング会社の札幌事業所のオープニングスタッフとなったから、事業所が軌道に乗るまで札幌は離れられないと言う。仕方あるまい。
その後、相方は札幌、俺は東京でそれぞれ1年半暮らした。
2020年の10月に再び、俺達は神奈川で一緒に暮らし始めた。相方は医療系コンサルティング会社の東京本社に戻った。そして今年の4月に部署異動となり、そこから愚痴が多くなった。
仕事が面白くなく、このまま定年まで働いていても、自分は何者にもなれないと言い始めた。相方の焦りや不安も判らないでもない。俺自身も20代前半の大学を辞めてふらふらしていた頃、将来自分はどうなるのだろうかという不安があった。
その後、システムエンジニアという職に就き、既に30年この仕事をやっているが、これが天職だと思ったことは一度もない。今でも俺は選択を誤ったという気すらしている。あと5年足らずで定年を迎えるというのに。

相方は、札幌時代の女社長が新規事業を立ち上げようとしていて、その片腕にならないかと誘われているらしい。これは相方のプライベートでもあるし、詳細をここに記載しても意味がない。
正直、俺の見立てだと成功する確率はあまりないと思っている。色々不安要素が多い。だが、だからと言って「成功する保証もないのに、札幌行ってどうすんだよ」などと言うつもりもない。
そんな権利は俺にはないからだ。成功するにせよ、失敗するにせよ、それを選ぶ選択肢を持ち合わせているのは相方だけだ。俺に出来ることは「やりたいことを、やってみればいいじゃん」と言うだけ。そして相方が上手くいかずに札幌を離れた時、ここで待っている、それだけのことだ。

とりあえずは、8月から札幌で暮らし始め、月のうち5日間程度は東京(神奈川)に戻ってくる生活スタイルにするらしい。とは言え、ほぼ殆どが未定状態だ。どう転ぶかは正直判らない。
相方がずっと「唯一の心配は夫の食事だよなー」とこぼしている。そんなことは気にするな。気にしている場合じゃない。
ま、失敗してもお前には帰る家がある。だから、大丈夫だ。