Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

安心して下さい、開いてますよ

今日あった、どうでも良い出来事を書く。

俺は電車で職場まで通勤している。池袋駅でJRから地下鉄へ乗り継ぐ。この時、池袋駅前の喫煙所で煙草を2本吸うのが日課だ。え、なに? お前、禁煙してたんじゃないのかだって? 馬鹿言ってんじゃないよ。
「酒も煙草も女もやらず、百まで生きた馬鹿がいる」と都都逸でも歌われているじゃないか。やりたい事もやらず、好きな物も口にせず、惚れた女を抱くこともせず、それで長生きして何の意味があるというのか、いやない(反語)。
ちょっと待て、俺が話したい主題はそういった与太話ではない。いや、そもそも俺の話は全て与太話だが。

本題に戻す。
喫煙所で煙草を吸っていると、俺の斜め前で女性が煙草を吸っていた。喫煙所なのだから、男だろうが女だろうが、20歳を超えていれば煙草を吸っていても、人に後ろ指をさされる謂れはない。
その女性はジーンズを穿いていた。俺はふと違和感を覚えた。

ん?

彼女が穿いているジーンズのジッパー(ファスナー)が全開だった。なんてこった! 俺は0.5秒ほど、冗談抜きに彼女にそれを告げるべきか考え、速攻でその考えを否定した。
ここは喫煙所である。俺とジーンズの彼女以外にも人は沢山いる。その場で「ファスナー、開いてますよ」などと告げれば、彼女は相当の羞恥心を覚えるに違いない。
俺が小声で言えば、彼女は速攻でジッパーを閉じようとするだろう。その行為で「あ、この人全開だったんだな」と周りの人達は気づくかもしれない。

それに、そういったシチュエーション以前に、俺のようなオッサンに「ファスナー開いてますよ」と告げられる行為自体が、相当の屈辱であることは想像に難くない。
屈辱はさすがに言い過ぎか、辱めという言葉のほうがニュアンスとしては近いかもしれない。
俺は、一刻も早く、彼女がフルオープン状態であることに気付いて欲しいと思った。或いは、彼女の近くにいる女性が注意喚起してやれば良いと願った。
俺はいたたまれなくなり、煙草を消してその場を後にした。

池袋駅の地下鉄への通路を歩きながら、昔のことを思い出した。俺がまだ20代の頃の話だ。駅への道を歩いていた。俺の少し前を女性が歩いている。穿いているタイトスカートが素敵だった…と、スカートのジッパーが開いていて、彼女の下着が見えていた。あちゃー、俺は歩く速度を速め、彼女を追い抜こうとした瞬間に告げた。
「開いてますよ」
そして、さらにスピードを上げて、駅を目指した。彼女に「(スカートのファスナーが)開いてますよ」と告げた瞬間、俺は自分が赤面して、動悸が激しくなったのを認識した。無論、俺は何一つ悪いことはしていない。にも係わらず、まるで俺は女性に対して非道なことをしたような感覚になっていた。いや、もしかすると女性のそういった恥ずかしい状態を、告げる事自体が罪なのかもしれない。
あの時、20代だった俺からすれば、告げた事に関しては何もやましい気持ちはなかった。純粋な親切心以外、何もない。

今思うと、俺はタイトスカートの女性に、それを指摘するべきではなかったのかもしれない。スカートのジッパーが開いて下着が見えていることは、同性が指摘するにしろ自分で気づくにしろ、いつかは解決する問題だ。
お手洗いに行った時に「あ! 開けっ放しだった…」と気づいて自己嫌悪に陥るかもしれない、「どれだけの人に下着見られたのかなぁ…」と落ち込むかもしれない。それでも、その見たかもしれない人達は名もなき数も不明確な、エキストラに過ぎない。
だが、俺が指摘したことで「あ、あの教えてくれた男性は私の下着見たんだよね」という確証を与えたことに他ならない。「人に見られてたかも…」という類推では済まないのだ。
俺は間違いなく「小さな親切、余計なお世話」をしたのだと今更ながら気付いた。とはいえ、俺だって言葉を掛けるのに、とても勇気が要ったのである。好意を持っている女性と手を繋ぐ以上に勇気が必要だったのだ。比べることではないような気もするが…

ということで、互いの平和のために、女性陣に言っておきたい。
「出掛ける前に、パンツやスカートのファスナーが閉じていることを確認してくれ」
心は開いて、ファスナーは閉じて。そうやって生きていけば、きっと幸せになれるに違いない。多分。