Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

俺が街で配られるチラシやビラを受け取る理由

街を歩いていると、選挙カーと同じデザインのユニフォームを着た選挙スタッフ達が目に入る。
「xxx党です。xxx党のほにゃららでございます。よろしくお願いします」
選挙スタッフが適度な距離でビラを配っている。俺の前にもビラが差し出される。俺は黙って受け取る。
「ありがとうございます」礼を言う選挙スタッフ。

「あれ、xxx党なんか支持してたっけ」相方が不思議そうに言う。俺は首を横に振る。
政治のチラシやビラ、英会話教室の案内、キャバクラのティッシュ等々。世の中では色々なものが配られている。通り過ぎる人達でそれらを受け取るのはほんの僅かだ。ティッシュだと、きっと受取率は高くなるのだろう。だが興味のない政党のビラや英会話教室のチラシなどを積極的に受け取る人はあまりいないだろう。

俺が街を歩いていて「お願いしまーす」と何かを渡されそうになった場合、基本的には全て受け取ることにしている。それは別に「もしかしたら、その興味のないチラシがきっかけで、何か新しい世界に繋がるかもしれない」なんて肯定的な発想が理由ではない。
理由はシンプルに1つだ。「ビラやチラシを配っている人は、なかなか受け取って貰えなくて大変だから、せめて俺は受け取ろう」それだけである。

20代の頃、1年間だけファッションブーツの輸入代理店で働いていたことがある。会社が靴の在庫を抱えて、整理のために大バーゲンをやった。俺が働いていたのはショップではない。だが、倉庫には大量の売れ残ったビジネスシューズやスポーツシューズ、ブーツがあった。倉庫を開いて一時的なショップをやろうという社長の狙いだった。
その時、先輩が「ファッションブーツの大バーゲンやります」的なチラシを作成した。100枚程度は刷ったはずである。そして俺や先輩社員はそのチラシを持って、会社にほど近い専門学校に向かった。学生達の下校時間に合わせてビラ配りをやらされたのだ。
専門学校生は20歳前後だから、ファッションブーツに喰いつく世代の筈というのが社長の言い分。それは判る。
学校の前でチラシを配ったが、かなりの確率で無視された。無視されて腐ったりはしなかった。自分が逆の立場だったら、受け取らないだろうなあと思ったからだ。おまけにそのチラシは紙質が厚くて、かなり大きかった。受取りには適さない厚みであり大きさ。在庫があまりにも多く、色々な種類の靴を印刷する狙いで、サイズが大きくなってしまったのだ。

この辺りは難しいところだと思う。受取り易い大きさのチラシだと情報量が少なくなる。だが、情報量を増やすと、今度はチラシを受け取って貰える可能性が低くなる。
先輩社員達も1時間程度で値を上げて「あとちょっとやったら、喫茶店とか行ってサボろうぜ」と言い出した。その気持ちは判る。頑張ったところで、チラシを受け取って貰える可能性が高まる訳でもない。
倉庫にずっと塩漬けされたブーツが在庫一掃セールで売れたからと言って、俺達に臨時ボーナスが入る訳でもない。この臨時セールのせいで先輩社員の1人は2週間休み無しで働かされた。明らかに労働基準法違反である。ま、30年くらい前の話だからね。

このチラシ配りをやっていた時に「お願いしまーす」と若い女性に声を掛けたら「あ、さっき受け取れなかったから、今回は貰いますね」と受け取って貰えた。
あ、そうなのか。俺はさっきもこの女性に声を掛けたのか…もしかするとこの女性に最初のお願いをしたのは先輩社員かもしれない。それはどちらでも良い。
チラシを配っている兄ちゃん(俺のこと)に、ちゃんと詫びを言って受け取ってくれる女性がいることに俺は感動した。それほどまでに受け取ってくれない人が多いから(その人達に非はない)、受け取って貰え、尚且つ言葉まで貰えて、凄く嬉しかったのだ。

その経験があるから、街中で俺に向かって「お願いしまーす」と何かを差し出された場合、全て受け取ることにしている。
ただ問題はそうやって無条件で受け取ると「あ、絵に興味ありますか。ちょっとそこの画廊で絵を見ませんか」とキャッチセール的なものに引っ掛かる場合もある。50万円もする絵画(ラッセンみたいなもの)を売りつけられそうになったりもする。
だから世の中の常識的な人は、「お願いしまーす」と何かを差し出されても無視するのだろう。

20代の時にたった1度だけやったチラシ配りの作業。そして、わざわざ立ち止まって受け取ってくれた専門学校生。彼女の存在がなかったら、俺は街でビラやチラシ、ティッシュを配る人達を無視して通り過ぎるようになっていただろう。

無料のチラシを受け取るからなんだという話である。偉くも何ともない。わざわざここに「こんな理由があったんですよ」と力説するほどのエピソードでもない。
ただ、物凄くささやかな影響力ではあるが、とある1人の名も知らぬ女性が、とある男(俺)の一定の行動を一生左右する結果となった、その事だけは声高に言ってもいいかもしれない。

もしかすると貴方の何気ない行動が、誰かの一生に影響を与える可能性もゼロではない。
そう考えると、世の中に無意味な発言や行動なんて存在しないのかもしれない。