Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

夢の果てを

数日前のことだ。ある夢を見た。

夢の中で、俺は余命二日だった。何故かは判らない。何しろ夢だから。夢に論理的な解釈や理由付けは無意味だ。俺はうろたえることもなく、その事実を受け止めた。余命二日のわりには、俺は何事もなかったかのように動いていた。
そこに、彼女が現れた。大昔、好きで好きで堪らなくて、一緒になりたいと思った女性だった。
彼女は俺の前に立つと、俺を抱きしめて言った。
「最後は貴方と一緒に暮らすね」
彼女の言葉で、全てが報われたと思った。これでもう思い残すことは何もない、俺はそう思えた。

夢はそこで終わった。起きてから夢を反芻し、夢の中身を思い起こした。随分と短い夢だったな。夢を見ていた時間がどれくらいなのかは判らないけれども、この物語だけだと、ほんの数十秒の話だ。実際に見ていた時間も短いものだっただろう。
だが、鮮明に覚えていた。彼女が発した言葉もあの一言だけ。忘れられる筈がない。そもそも、それは夢だろ、お前の願望が見せた夢だろう。そういった意見や考え方もある。それも当然判る。というか、俺がずっと彼女に言って欲しかった言葉を、俺が夢の中で聴いたに過ぎない。
それだけのことだ。

彼女のことを愛していたかと問われれば、迷うことなく、愛していたと答えることが出来る。いや、誤解を恐れずに言えば、今でも愛している。お前には相方がいるだろ? そう叱責されても仕方がないがこれは事実だ。精神的二股をしている訳じゃない。もうはるか昔に彼女との関係は終わっている。
互いに納得して別れた。いや、互いに納得したのかは正直判らない。俺は納得してはいなかった。でも続けていくことも不可能だった。
彼女が俺との別れを納得して受け入れたのかも判らない。だが、俺達は終わるべくして終わった恋人達だった。

あの時、あの頃、俺に勇気があれば「俺と一緒になってくれ」と言えれば、その後の世界はまるで違うものになっていただろう。俺にはその言葉を発するだけの勇気も気概も、それだけの覚悟もなかった。
尤も、俺がその言葉を口にしても、彼女は受け入れてはくれなかっただろう。だから俺達は別れるより他なかったのだけれども…

人は誰もが、現実で叶えられなかった夢や希望をいつまでも心の奥底に持っているものだと思う。それを後生大事に持ち続けるのが良いとも悪いとも思わない。
ただ、夢の中で俺は彼女に一番言って欲しい言葉を聴くことが出来た。無論、夢だ。彼女が現実の世界で俺に言葉をくれたのではない。そんなことは俺が誰よりも判っている。

ただ、夢の世界であっても、俺はその言葉を得た。だから、きっと残りの人生、俺はどうあっても生きていくことが出来ると思うのだ。それほどまでにあの言葉は俺にとって重いものだった。
今、俺には相方がいて、相方と一緒に暮らし、相方と歳を取って生きていく。そのことに対しての迷いは微塵もない。だが、それと昔に置き忘れた物語の結末はまた別の話だ。

夢なんて、自分の願望や欲望が見せた、ただの幻だ。それ以上でもそれ以下でもない。でも、それでいい。それでいいんだ。