Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

人のblogを読んで思ったこと

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酒呑みなら、誰でも馴染みの飲み屋というものを持っているだろう。酒を飲まなくても、お気に入りのカフェ、レストランがあるという人もいる筈だ。
そして当然の事ながら、「たまには違う店でも行ってみるか」「いつもの店も良いけど、新規開拓してみる?」みたいな感じで、飛び込みで見知らぬカフェや店に入る場合もあるだろう。
これと同じことを、俺もネットでたまにやる。何の話かと言えば、新規のお気に入りblog発掘作業のことだ。

色々なリンクを辿って、全然読んだこともないblogへ辿り着く。それらのblogは旅行関係の記事を沢山書いてある場合もあったり、音楽関係に特化して、色々なミュージシャンのレビュー記事を載せていたり。また純粋にその人の日常をなんの外連味もなく綴っている、というのもある。
音楽絡み、海外旅行を中心に書いているblogだからといって、気に入るという訳じゃない。音楽の事も殆ど書かず、旅行などもせず、日常を淡々と綴っているだけなのに、物凄く惹かれるblogも沢山ある。これは年齢、性別は関係ない。
こればかりは正解というものがない。相手の書く文章の流れやリズム、空気、表現、想いなど色々ブレンドされたものが、俺の好みとマッチすれば俺は定期的に読むようになるし(馴染みになるということだ)、「どうもこの人のblogは合わねえな」と思えば、1回読んでそれっきりだ。

数日前にそうやって新規blog探索作業をしていたのだが、3つほど続けて「句読点無しblog」に遭遇してしまった。最初は「ん? なんかこのblog変だな」と違和感を覚えて、数行読んだら腑に落ちた。

人のblogの文章を引用するのもあまり好きじゃないので、今日の冒頭部分を「句読点無しblog」スタイルで書いてみる。

酒呑みなら
誰でも馴染みの飲み屋というものを
持っているだろう

酒を飲まなくても
お気に入りのカフェ、レストランがある
という人もいる筈だ

そして当然の事ながら
「たまには違う店でも行ってみるか」
「いつもの店も良いけど、新規開拓してみる?」
みたいな感じで
飛び込みで
見知らぬカフェや店に入る場合もあるだろう

これと同じことを
俺もネットでたまにやる

何の話かと言えば
新規のお気に入りblog発掘作業
のことだ

俺は最初のblogを読んだ時に「これはこの人の癖というか、この人の文章スタイルなのかな」と思った。ところが次のblogも全く同じような書きっぷりだったので、偶然にしては…と思いつつ、さらに次も読んでみると、そこも同じ表現方法だった。
そこで俺は「ははぁ、もしかすると今はこういった書き方が(ネットでは)流行っているのかもしれない」と思ったが、ある事に気づいた。
「あ、これってもしかして、スマホ用のスタイルなのかも」
スマホだとPCと違ってモニターが大きくない。だから、あまり1行の文章量を多くせずに、すぐに改行するようにしているのかもと。そのほうがスマホだときっと読み易いだろう。

ただ、偶然にしても3つ続けてこういったスタイルのblogに遭遇するということは、これは個人がそれぞれ勝手に「スマホだと改行多めにして、長い文章避けたほうがいいよね」と思ったのではあるまい。
きっと人気ブロガーとか、blogでお金稼いでます、みたいな人がそういった「blog書き方指南」を伝授したんじゃないのかなあ。これは俺の勝手な想像で、確認した訳でもないから事実は判らないけれど。

ただ、一つだけ言えるのは、俺みたいな紙媒体の本をずっと若い頃から読んできた人間からすると、こういった文の途中で意味もなく改行する文章を読ませられると辟易する。おまけに、句読点がないのも非常に座りが悪いというか、読んでいて落ち着かない。
「おっさん、今はこういうのが主流なんだよ。てめえが受け入れられないからって、文句言うんじゃねえ」と若者からは叱咤されそうだ。

さすがに紙媒体でこういった強制的に改行するような文章はまだないだろうと思う。だが近い将来、紙媒体もこういった句読点無し、強制改行が当たり前のコラム、エッセイ、小説とかが出てくるのだろうか。いや、そもそも紙媒体だったら、無理矢理改行する必要はない。
だが今の若い人達が作家やコラムニストになる頃には、改行しないで句読点を使うという文章が過去の遺物になっている可能性がないとも言えないのだ。

言葉は変化するものだと言う。それは真実だ。今は「ヤバい」は誉め言葉だ。昔はそうではなかった。それと同じように、文脈を途中でぶった切って、改行するのが主流になる日がくるのだろう、俺が棺桶に入った後くらいには。
個人的な趣味を言わせて貰うけれども、句読点がなくて途中で改行するような文章は、俺は受け入れるのが難しい。正直言うと、美しさを感じない。
「年寄りは新しい物を受け入れる許容がないからなあ」と呆れられても構わない。

なんでもかんでも新しければ良いってもんでもないさ。オールド・ジャズや70年代のロックは今聴いても楽しいよ。俺にとっては、文章も同じだ。