Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

ぎっくり腰になったのだ

ぎっくり腰になったのだ。俺がじゃない、なったのは相方だ。

先々週の日曜日の午後。俺はいつものようにカラオケボックスに出掛けた。Sax練習の為だ。帰宅すると、相方はダイニングテーブルでパソコンを見ている。きっと映画だろう。
俺が着替えてリビングに行くと、相方が言った。
「あのね…ぎっくり腰になったみたい」

え? 俺は相方を見た。相方はチェアーから動かずに言った。
「屈んだ時に、痛みが来た。多分、ぎっくり腰じゃないかなぁ。しゃがむ事が出来ない。座ってるだけなら大丈夫なんだけど」
それは一大事だ。俺は言う。
「この辺にやってる整形外科あったっけ?」
今日は日曜だ。休みのところが殆どだろう。この街で暮らし始めてまだ半年弱。病院とかの情報も持ち合わせていない。
「いや、行っても多分意味ない。湿布貰うくらいだろうし。それにじっとしてれば大丈夫だから」

うーむ。相方がそういうのなら、無理して連れて行っても仕方ない。腰というのは人間の体のパーツで一番重要だという気がする。何しろ、上半身も下半身もどちらも腰を使う。
俺自身も長年のデスクワーク、また去年の4月からの在宅ワークの影響で、腰痛が酷い。腰の重要性は身に染みて判っている。

うちにはyogiboというビーズクッションがある。引っ越した時に相方が欲しいとリクエストしたので買ったものだ。相方はそれに座って「あいたたた…」とやっている。腰をやってしまうと、もう大人しくしている以外に手がない。
相方の今の勤務状態は「半在宅ワーク」だ。週のうち2日ないしは3日は出勤しなくてはいけない。
「その状況で仕事行けるの?」俺の問いに相方は首を横に振る。
「とりあえず来週火曜は出勤なんだよなー。それまでに腰がどうなるかだなあ」

俺が迂闊に相方の腰に素人マッサージなんかする訳にもいかない。下手をすると、というか下手をしなくても間違いなく悪化する。静観するより他にやることがない。

唯一の救いは、俺がちょうど前のプロジェクトを抜けて、この一週間は暇だという事だった。
つまり、晩飯は俺が作るということだ。昼飯は総菜パンやサンドイッチで良い。今までもそうだったし。だが、さすがに晩飯も総菜や弁当オンリーという訳にもいかんだろう。

相方と一緒になってから、何度か晩飯を作る機会はあった。特に札幌に行く前は何度か作っていた。それでも、月に2、3回がせいぜいだ。
相方が札幌の単身生活(それはイコール俺の東京での単身生活も意味したのだが)を終えて、二人で川崎で暮らし始めてから、俺も何度か晩飯は作っている。だがそれはいずれも単発だ。
今回は今までと勝手が違う。相方の腰がある程度良くなるまでは、俺が晩飯担当ということだ。

夕方になって、スーパーに行って晩飯の材料を買ってきて、夕食を作る。冷蔵庫の野菜室にやたらと玉葱がある。相方が札幌時代に世話になった人から貰ったインカのめざめ(じゃがいも)もかなりの量だ。
これらを使って何か作ろう。
俺はスマホで「男の手料理 簡単」で検索する。なるほど、ジャーマンポテトか。それは良いな。

今までも晩飯を作った経験はあるから、晩飯を作ることそのものは苦痛じゃない。月曜に作ったおかずが多少残る。そしてそれを翌日(火曜)の晩飯に回す。だが、火曜は火曜でメインのおかずを考えなくてはいけない。味噌汁の具材も昨日とは違うものを考える必要がある。

また相方は健康オタクなので、野菜摂取に拘る人でもある。俺はスーパーに行くと、やたらと葉っぱ物を買うことを意識する。
俺だけの為の晩飯なら、何も考えなくて良い。カット野菜と卵とソーセージを買って、サッポロ一番味噌ラーメンで充分だ。野菜とソーセージを炒めて卵で閉じて、それを茹でたラーメンの上に載せればいい。これを一週間続けることが俺一人なら可能だ。

f:id:somewereborntosingtheblues:20210308175010j:plain

だが相方に食べて貰うことも想定して作るとなると、これがかなりめんどい。相方が健康オタクだからという意味ではない。
「人に食べて貰うことを意識した料理」って色々気を遣う。この味を相手は気に入ってくれるだろうか、この料理で栄養は足りているだろうか、おかず三品作って、味付けが醤油ベースばかりじゃしつこいから、一品くらいは変化が欲しいな、とかとか。

こういった食べて貰う相手のことを考えて作るだけでも大変なのに、さらにそれが何日も続く。元々俺は料理に興味がなかった人間だから、料理のレパートリーも少ない。
月曜から木曜まで毎晩料理を作った。そして金曜の夜はさすがに新しいメニューが浮かばなかった。冷蔵庫の材料を無視すれば可能だったが、それでは意味がない。金曜の夜は、殆ど木曜と代り映えしない食卓となった。
「もう無理。ネタが尽きたよ」俺が苦笑いしながら相方に言うと、相方がそうでしょう、そうでしょうと言わんばかりに得意顔になった。
「私の普段の苦労が判ったでしょ」

料理って、作る事自体はそれほど大変でもない。大変なのは、メニューを考える事なんだな。今日作った(使った)料理(食材)をどう明日に繋げるか、そこまで考えなくてはいけない。
毎晩、生姜焼きか野菜炒めで良いのなら、1ヶ月でも2ヶ月でも可能だ。だが、それで良い筈もなく。

5日連続で晩御飯を誰かの為に作ったのは人生初だ。メニューを考えるのがこれほど大変なものだとは思いもしなかった。いや、相方がよく「今晩何にしようかなぁ…」と唸っているのをずっと見ていたから、なんとなく「大変なんだろうなぁ」とは思っていた。
それを身を持って知った。

よくネットとかで「旦那が料理にケチをつけた」「夫に料理を流しに捨てられた」なんて話を読む。どこまで本当か判らないけれど、誰かが作った料理に文句を言える人って、料理をした経験がないのは間違いない。
メニューに苦心して料理を作った事のある人間なら、自分の為に作ってくれた料理を無碍に出来る訳がない。
大事なのは感謝と労いだ。