Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

楽器で一番難しいのは、続けるという事だ

懐かしい写真が出てきた。

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2010年の冬。Saxを吹いているのは、もちろん俺だ。ピアノを弾いているのは相方。当時、通っていた音楽教室の発表会にデュオで出演したのだ。なんとびっくり!俺がアルトSaxを吹いている。
今はもうアルトは持っていない。熱川温泉の旅費に消えてしまった。

何度か書いているけれども、本音を言えば音楽教室の発表会じゃなくて、ジャズのカルテットを組んでテナーサックスを吹きたい。でも、それは俺の実力では無理だ。現実的なところで、J-POPバンドのカバーでSaxを吹く辺りが限界か。
ジャズのカルテットは無理でも、Saxとピアノのデュオならいけるんじゃないだろうか。当時、そんな事を思って、相方のピアノと組んで演奏をした。その話は昔、このblogに書いた筈だ。

チュニジアの夜 - Some Were Born To Sing The Blues

この写真の時から、既に11年が過ぎている。Saxの腕は当時と比べて大して上達していない。思い返してみると、殆ど変化がないのではないか、という気すらもしてくる。さすがに10年以上も吹いていて上達してない訳ないとは思うけれど。
だが、それでもいいやという想いもある。

同じSax教室に通っていて仲良くなった人のうち、今でもSaxを吹いている人はどれだけいるだろう。
結構な割合で辞めている人が多いのじゃないだろうか。

去年の元日に一緒に酒を飲んだT君もSax教室を通じての友人だ。彼もとっくにSaxをやめている。彼はSax教室に通って友人を作ろうと思っていたのだと言う。音楽教室に通ってそこで他の楽器をやっている女性と交際出来たりしたのだから、そういう意味では目的は達したとも言える。
20歳も年下の女性と結婚したNさんも、結婚前後でSaxはやめてしまったと聞いた。結婚に向けて色々準備している間に、Saxを吹く機会が減少していったのだろうか。
というよりも、Sax吹いているよりも20歳下の女性と甘い時間を過ごしているほうが楽しいというのは容易に想像がつく。

前にこのblogで「何かを辞めてしまうのは、結局その程度の興味しかないからだ」と書いたような記憶がある。書いてないかもしれないが、多分そんな意味の事を書いたように思う。
だが、今の俺はその主張を撤回したい。

どれだけ好きだと言っても、人間は環境や状況が変われば、それまでの生活パターンやルーティーンが全く送れなくなるのだ。俺はそれを身をもって知った。
札幌に行く前の俺は、週に3回はSaxを吹いてた。吹ける環境、状況にあったのだ。札幌に行って、その頻度は落ちた。それでもまだ札幌時代は良かった。趣味で吹いているにしては、結構吹く機会はあった。音楽教室の発表会もあれば、ライブバーでのセッションに何度か参加する事も出来た。

ところがだ。
東京に戻ってきて、1年半の一人暮らしの間に吹いた回数は数える程。冗談抜きで、1年半で何回吹いたか。5回あるかないか、そのくらい。チェッカーズのセッションに参加して、バンド形態で吹いたのが、唯一まともな演奏の場だった。

このままではいけない。とりあえずカラオケボックスでリハビリをするようにした。去年の12月は毎週日曜はカラオケボックスに行ってSaxの練習。久しぶりに吹くとやはり楽しい。
そして、こうやって吹く機会を絶やさずにいる事が肝要なのだ。今はバンドは時勢的に難しい。いつ、バンドに参加出来るかは判らない。
だが、世の中でバンドが当たり前にやれる日々が戻った時、俺が既にSaxを吹かなくなっていたら、どうしようもない。

下手だっていいじゃねえか。素人の手慰みだよ、何の不都合があろうか。自分で出している音に気が狂いそうになるくらい、イラっと来る時もある。

だが、それらすべてをひっくるめて、とにかくSaxを吹き続けよう。
ジャズのアドリブ演奏出来る事は素晴らしい、でもそれが一番じゃない。艶のある音色で吹けたら素敵だ、でもそれが最大の望みじゃない。プロ並みの演奏に憧れるけど、それは夢のままでいい。

続けるって事が一番大事。