Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

ジュリア・ロバーツとカシスオレンジ

恋敵と差しで酒を飲んだ事が一度だけある。

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ミヒロが亡くなった事を教えてくれたのは共通の知人だった。俺は衝撃を受け、そしてそれはあり得ない事じゃないと、どこかでそれを受け入れている自分がいた。
彼女の住所を調べ、俺はチャコールグレーのスーツに黒っぽいネクタイを締めて出掛けた。彼女の家は割と簡単に見つかった。
チャイムを鳴らすと、彼女の母親が顔を出した。疲れた表情をしていたと記憶している。それはそうだろう。自分の大事な娘が自分よりも先に旅立ったのだ。それで平然としていられる人間はいない。

俺はミヒロの友人である事を告げ、焼香させて貰いたいと頭を下げた。部屋に通される。客間とおぼしき部屋に彼女の遺影が飾ってあった。まだ俺と知り合うずっと前の写真だろう。若さの中に幼さも同居していた。
俺は線香に火を灯し、手を合わせた。あの時、俺は何を祈ったのだろう。もう思い出せない。不人情と言われるかもしれない。だが、人はいつまでも過去を引きずって生きてはいけない。

両親に無理を言って、形見を分けて貰った。それを手に持ち、駅への道を戻った。
交差点で信号待ちをしていると、道路の向こうに見知った男性が立っていた。隆一君だった。隆一君は、ミヒロの元婚約者だ。
俺達は互いに軽く会釈を交わした。俺が既にミヒロの家に行った事は彼には判っていただろうし、隆一君がこれからミヒロの家に行くのも俺には判った。

俺は電車に乗り、形見を見ながら悲しさを噛みしめていた。なぜこうなったのか。自分に判る事は何もない。判ろうとしたところで、それはきっと意味のない事だ。
乗換駅に着いた。電車を降りて、乗換通路を歩いていると携帯電話が鳴った。隆一君からだった。
「今、何処ですか。時間あったら、ちょっと飲みませんか」
俺は彼に駅の名を告げた。それから30分程度待っただろうか。

二人で開店したばかりの居酒屋に入り、生ビールを二つ注文した。俺は追加でカシスオレンジを頼んだ。隆一君が不思議そうな顔をした。
「カシスオレンジ、ミヒロが好きだったじゃん」
お酒に弱かったミヒロは、甘いカクテル系のお酒を好んだのだ。

二人で生ビールを飲み、煙草を吹かしまくった。まだ、店で自由に煙草が吸えた時代だ。隆一君も、黒系のスーツに濃い色のネクタイをしていた。
「ミヒロはスーツフェチだったから、俺達二人のスーツ姿を喜んでるだろう」俺は軽口を叩いた。
隆一君は、煙を吐き出しながら、ぽつりと言った。
「達史さんとミヒロが付き合ってたの、僕知ってましたよ」
「え? なんで」俺は衝撃を受けた。
俺とミヒロが付き合っていたのは、三ヶ月程度だった。短い付き合いだった。だから、誰も知らないだろうと思っていた。

「ミヒロが僕に話してくれたんです。達史さんと前に付き合ってた、って」
「馬鹿だなあ。そんなの黙ってればいいのに」
そこがミヒロの良い点でもあり、ダメなところでもある。馬鹿正直に、新しく付き合う男に、昔の男の話をする必要はどこにもない。黙っていれば済む。当然の話として、俺もミヒロとの過去を吹聴したりする訳がない。
だが、彼女からすれば、俺と隆一君の関係を考えたら、黙ってはいられなかったのだろう。

俺達はミヒロの思い出話を始めた。彼女はジュリア・ロバーツのファンだった。付き合っていた頃、「プリティ・ウーマンは最高だよね」と何度も言っていた。俺が「ジュリア・ロバーツのどこがいいの? アヒルみたいな顔してんじゃん」と言うと、ミヒロは膨れた。蛇足だが、俺はジュリア・ロバーツは嫌いじゃない。もちろん、この話は隆一君にはしていない。当たり障りのない、俺と隆一君が共通で知っているミヒロの話に終始した。

それから、隆一君はミヒロとの生活が徐々に壊れていった話を始めた。きっと吐き出したかったのだろう。そして間違いなく、この話を聴いてやる事が出来る人間は俺しかいなかった。他にこの話を聴く立場にある人間も、聴いて事を理解出来る人間も俺だけだった。
皮肉な話であるな、とも思う。
ミヒロの辛さも、隆一君の追い詰められた状態も、どちらも非難も否定もする気にもなれなかった。
誰が悪い訳でもなく、何が悪かったのか、決めつけられる話でもなかった。

 「ミヒロが隆一君と付き合う事にしたって俺に告げた時、俺は君に嫉妬したよ」俺が言うと、隆一君は返してきた。
「僕も達史さんに嫉妬してましたよ」

二時間近くビールを何杯も飲み、話すべき話はしたような気がした。だが、話すべき事はまだ沢山あったような気もするし、そもそも二人で話す事など、それほどなかったのかもしれない。

テーブルにずっと置かれたカシスオレンジを隆一君は一気に半分飲み干し、グラスを俺に寄越した。残りを俺も一気に流し込んだ。
駅の前で右と左に別れた。
あれ以来、隆一君とは会っていないし、連絡も取っていない。互いに取る気がないのも事実だ。
俺達二人は、もしかすると唯一悲しみを共有出来る間柄なのかもしれない。だが、だからこそもう会おうとは思わない。

別れ際に二人で握手をして、「生きよう」とだけ言い合った。それだけで充分だ。