Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

『大迷惑』を演奏しようとしていた頃

昔の邦楽に詳しい方なら、昨日俺が書いたものが奥田民生さん作詞作曲による「大迷惑」の歌詞だと気付いた人は多いかと思う。
これ、単身赴任のサラリーマンの悲哀を描いた名曲だ。
発表されたのは、もう30年以上前になる。本当はこういった歌詞の引用はNGだよな。

30年前、俺は大学生だった。俺は演劇部に所属していた。え? ロック同好会とか軽音楽部にいたんじゃないの? そう思われる人もいるかもしれない。大昔の話だが、演劇部に入ったその動機はよく覚えている。
俺は10代の頃はギターを弾いていたが、自分でもギターの腕前が最下層なのは自覚していた。俺の腕じゃ、ロック同好会とか入っても、きっとバンド組ませて貰えないだろうなという想いがあった。
そこで、じゃあ音楽が駄目なら芝居かなという非常に安易な考えから、演劇部に入った。ロッカーで芝居をやる人も多かったし、演劇人なのにロックやブルースをやる人も多くいた。萩原健一やジョニー大倉なんてミュージシャンだったのに、俳優としてのキャリアのほうが凄かったと思うし、松田優作みたいに俳優なのにブルースを歌う人も多かった。

俺は勝手に音楽と芝居は親和性が高いんじゃないかと思っていたのだ。
それにしても、芝居を一度もやった事もなければ、どんな芝居がやりたいかの展望もなく演劇部に入部したのは、今考えても浅はかだったなあと思う。それでも学生のアマチュア演劇だから、それで良いのだとは思うけれど。
演劇や音楽を学生時代にやる人は、明確に二極化されていた。卒業と同時にすっぱり足を洗う人と、学生時代が終了しても、その魅力に取りつかれて、ずっとその世界に足を突っ込む人の二種類だ。
実際、演劇部の中で、卒業後もずっと芝居をやっている人は何人かいる。

それにしても、俺には音楽の才能がなかったが、芝居の才能もなかった。ギターは下手でも、芝居なら違うんじゃないかと淡い期待を持っていたのだけれども、俺は役者としても二流だった。他の部員と比べても、自分の演技能力が明らかに低いのが判った。楽器の才能無いのだから、せめて演技の才能を持たせてくれれば良かったのに。残念である。

俺が三回生の時の話だ。誰が言い出したのか忘れたけれども、秋の学園祭に出ようという話が仲間内で持ち上がった。勿論、ロックバンドとして。
なんで演劇部の部員がロックバンドで出場するんだよ? という気がしなくもないが、上述の通り、芝居と音楽は近しい関係なのだ。
このバンドで俺が一番凄いなと思ったのは、全パート(ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード)を演劇部の部員で賄えたという事だ。ギターならともかく、ベースとドラムを自前で揃えられたのは僥倖と言うより他ない。
俺と先輩のTさんは、ローリングストーンズが好きだったので、ストーンズ中心でやろうと思っていたのだが、他メンバーの思惑もあり、邦楽、洋楽ごちゃまぜのレパートリーとなった。学園祭に出る為のある意味お祭りバンドだから、それでも良いのだけれど。

レパートリー決めをしている時、ベースのK君が「ユニコーンの『大迷惑』やらない?」と言って来た。これは最初に書いたが、単身赴任のサラリーマンの悲しみを歌った曲だ。曲は気に入ったのだが、間奏でギターが速弾きとライトハンドを駆使していた。俺は担当がリードギターだったから「俺には弾けないよ」と却下した。
当時は、この歌詞の意味なんか判らなかった。下の写真は実際の学園祭のライブの様子。右から二番目でギターを弾いているのが、当時21歳の俺。若いなあ(笑)

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むしろ、知らないほうが幸せだったように思う。俺は今、この歌詞の主人公と全く一緒だ。たった一人でポツンと仕事をして、一人で飯を喰って、寂しさを紛らわすために酒を飲んでいる。

『君の作った料理食べたいよ、君の寝顔を見つめてたいよ』
相方が餃子を作る時、餡を皮に包むのは共同作業だ。俺は高校時代にラーメン屋でバイトしていたから、餃子作成作業は苦手じゃない。二人で無駄話をしながら、餃子を作る。そしてその後は二人で大量の餃子を食べる。

俺が札幌で暮らし始め、四ヶ月遅れて相方が札幌にやってきた時、最初の自炊料理は餃子だった。やはり二人で作った。
相方が東京に戻ってきたら、その時はやはり餃子にしよう。
その頃になったら、今の苦しい生活もきっと、もっと明るくなっている事だろう。

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