Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

生姜焼き弁当

午前の会議が長引いて、会議の終了が12時を回った。やれやれ、だ。こうなると、いつも昼食を買いに行く弁当屋は混雑必至だ。仕方ないので、比較的混んでいない(つまり、きっとたいして美味しくない)弁当屋で生姜焼き弁当を買った。
案の定、美味くない。味が馬鹿みたいに濃くて、飯は硬い。値段相応の味ではあるけれども、なんだか非常に心侘しくなった。

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俺は普段、食い物には興味がないけれども、それは不味い物を食べても平気という意味じゃない。やっぱり美味い物を食えば「美味しいなあ」と思えるし、不味い物を食えば「ああ、失敗した」と思う。

相方は食道楽なので、滅茶苦茶食い物には拘る。俺の真逆だ。俺なんか、連日同じものを食っても全然平気なのだが、相方はそういったのがNGな人だ。
何しろ俺は、過去に一週間連続で晩飯がラーメンとか、七食連続で麺類とかそういったのが苦にならない。ま、こういった食生活は相方と一緒になる前の話だけれども。

不味い生姜焼き弁当のランチを終えて、すっかり気分がダウンしてしまった。俺の場合は晩御飯が自炊か外食だから、碌なものを普段食っていない。そして最近仕事がまた忙しくなってきたので、そうなると自炊している余裕がなくなり(帰宅が夜の23時とかになったら、晩御飯作る気力はなくなるだろう)、簡単な物で済ませるようになってしまう。
そうなると、せめて昼飯くらいはある程度美味いと思える物を食べないと、一日まともな物を食わずに過ごす、という事になってしまう。

相方の手料理が食べたいなぁとしみじみ思う。去年の6月に一人で東京に戻り、もう9ヶ月だ。その間、相方の手料理を食べたのは正月の雑煮のみ。相方が正月に東京に来てくれたので、その時に作って貰ったのだ。
相方は、蛋白質や野菜をきちんと摂る事に拘るから、相方の作ってくれる料理はバランスが取れている。相方の口癖は「今日食べた物が明日の君を作るんだよ!」である。どこの料理研究家だ?

俺は特に相方の料理でお気に入りがある訳じゃない。というか、正直「相方の手料理って何だったっけかな?」と考えても実はほぼ何も浮かばない。こういう点が「俺が食い物に拘っていない」点なのかもしれない。
だが、それでもやはり、「たまには相方の手料理が喰いたいなあ」と思う。それはきっと、「あの料理が食べたい」というよりも、「相方が俺の為に食事を作ってくれる」という状況を味わいたいという意味合いのほうがずっと強い。

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誰かが俺の為に何かをしてくれる(それは食事に限らない事なのだが)。その行為が東京に戻って来てから、無くなってしまった、皆無とは言わないが。
やはり人は、そういった有形無形の支え合いみたいなものを拠り所にして生きているのだなあと思う。

不味い生姜焼き弁当一つで、色々考えすぎである。